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相手の心に寄り添って伝える

少し前の記事に対して、コメントだけでなくメールも頂きました。

少しでも多くの方に正しく理解していただきたいと考え、いま一度自分の考えをまとめてみたいと思います。長くなってしまうので、お疲れの方はスキップしてください。

毎日の仕事の中で、人間が学校などで習うことではなく、人それぞれの人生経験により培われた人生哲学が大事になることが多くあります。そのうちの一つが、「ものの伝え方」です。

医療従事者同士における情報伝達では、「正確な情報の伝達」こそが重要であり、どのように伝達するかは、むしろ、感情移入することなく、客観的な立場であることがプロとして大事なこと。しかし、対患者となると、事情は異なってきます。「正確な情報」が大事であるのは言うまでもありませんが、いかに「相手の心に寄り添って」表現するか。治癒の見込みのない癌患者さんであっても、わずかの希望は与えなければならない。「死期を悟る」という言葉があるように、医師から情報を得たのち、患者さん本人がもう少し時間をかけて悟るもの。そして、医師はその過程をサポートする。しかし、これは決して易しいものではなく、時間を要するものでもあります。この、決して「義務」ではない役目に対する考え方は、医師の哲学により大きく異なってきます。私自身は、父の末期癌闘病生活を通じて、予後が絶望的な患者であっても、医師のサポートにより、かなり精神的に救われるものだということを学びました。正しい情報を、思いやりのある伝え方によって伝え、そして、義務ではないけれど、どれだけの時間を患者さんに割くことができるか。知識、技術の優れた医師であることは当たり前として、これらの思いやりが医療における愛なのだと思っています。

思いやりのある「ものの伝え方」が大事であることは、無論、医療現場に留まるものではありません。言葉や文章で表現された情報が、人の心を傷付けることは日常茶飯事です。発信者こそが伝えられた情報に責任を負う義務があり、人を傷付けたなら、それを真摯に受け止めるべきです。

くだんの記事では、不妊治療で苦しんでいる友人Aに届いた、Aの友人である妊婦Bからの胎児の超音波画像について取り上げました。奇しくも、友人Aは数日前に流産してしまい、彼女の苦しみは計り知れないものがあり、心が痛みます。

そもそも友人AとBは、ブログを通じて知り合い、未だに面識がありません。そして、BはAが書いている不妊ブログにより、Aがいかに辛い状況にあるかを知っています。その中で、Bは自分のブログで妊娠の報告をする記事を書いています。Aはその記事を読むことで、Bの妊娠を知り、お祝いのメールを個人的に送っています。そしてBから送られてきた、複数の人間にあてたとみられる季節のご挨拶メール。妊娠の経過報告もあり、最後に胎児の写真。Aによると、Bは、「事実を隠さずに伝えることこそが友人への思いやり」であると。Bの言動にはいくつかの矛盾があります。友人であるならば、なぜ、最初の妊娠報告をブログという場でするのではなく、ブログに書く前に、個人的にAへ伝えなかったのでしょうか。そして、妊娠の報告は事実を隠さずに伝えることとして間違っていないけれど、胎児の写真を添付する必要性があったのでしょうか。そして、悲しいことは、Aが傷ついているにもかかわらず、議論を、「事実を隠さず伝えることの意義」にすりかえて自己弁護に終始しているのだそうです。傷付けようとする意思があっての行動であったとは思わないけれど、一人の人間を傷付けたのなら、どうしてそれを真摯に受け止められないのでしょうか。

医師として働いていると、患者さんの診断治療の流れが、王道どおりにいかないことがあります。わき道に反れたときは、それを修正しながら、目的とする方向へ向かいますが、そんなときには、ときとして、意思疎通に問題が起こることがあります。患者さんが怒ってしまったりすることもない訳ではありません。こちらに不備があることもあります。そんなときは、まっすぐに謝罪します。繰り返しになりますが、情報を伝えるものには、責任があります。患者さんが情報を理解できておらず、医師は患者さんが理解したと誤認していたとすれば、それは、適した情報発信ができていなかった医師の責任であり、反省すべきなのです。「理解してもらえないのは、情報を受け取ったその人の責任」とは言えません。

日本には心細やかな思いやりの文化があります。お中元やお歳暮の習慣もその一つであろうし、喪に服している人間へ年賀状の送付を慎むことも、その典型であると考えられます。しかし、どんなに相手を思いやる努力をしたとしても、それには限界があるのだということを認識することも大事です。癌の患者さんに、軽がるしく、「辛い気持ちは理解できる」などとは言ってはいけないと考えています。自分がその状況にならない限り、理解など到底できるものではないからです。不妊で悩んでいる友人も同じです。たかが不妊程度、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、本人にとっては、とてつもなく辛いものです。そんなことを考えると、相手の心に寄り添う努力は、いくらしてもしきれないくらいだなと思います。

以前の記事で、複数の批判コメントを頂いたことがありました。スウェーデンの大学で「あいうえお」を学ぶ日本人を例にとり、スウェーデンの高福祉に寄生する日本人の話題でしたが、その定義が曖昧であったため、他の目的がある方が、ひとくくりにされたくないという批判でした。私には、全くそのような意図はなかったのですが、個人のブログとはいえ、私の伝え方が適切でなかったため誤解を生んだのだと反省しました。決して易しいことではないけれど、思いやりのある素敵な表現ができるように、努力してゆきたいと思っています。

14 comments to 相手の心に寄り添って伝える

  • ituka

    はじめてお邪魔させていただきます。
    スウェーデンにずっと惹かれており、
    こちらのブログに辿りつきました。
    色々読ませていただき、DRPIONさん
    の、特に医師としての心構えの
    この記事に、感銘を受けました。
    医師としての、真摯な姿勢と、誠実さ
    が伝わってきて、本当に頑張っていら
    っしゃる方がいるのだな…と思いました
     また、人間同士、顔をあわせながらの
    コミュニケーションというものが、
    文字のやりとりだけでは叶わない様々
    な情報をお互いやりとりし、信頼関係
    を作っていくものなのではないか…
    と考えさせられました。ご友人の気持が
    ふっと癒されればよいですね…

    • itukaさん。はじめまして。コメントをいただき、有難うございます。
      コミュニケーションとは、本当に難しいですね。
      ものの感じ方や考え方は千差万別ですから、コミュニケーションの取り方は一通りという訳にはいかないと思います。しかし、それでも、自分のしっかりとした哲学に基づいて行動するしかないのではないかと。いろいろな問題があっても、続く信頼関係はなんとか続いてゆくものと信じています。友人への温かいコメントにも感謝いたします。

  • kotori

    はじめまして。半年ほど前から、ブログ村より時々拝見
    させていただいています。

    そうですね、相手の状況を考えて思いやるということは、
    とても大切なことだと思います。ただ、人それぞれ考えや
    感じ方も違い、相手を思っての行動が反対に裏目に出て
    しまうこともあり、言葉であまり伝え合わない日本のこの
    文化は難しいと感じることも多いです。

    私も不妊治療を経験し(子供はいません)、お友達の方
    の辛さもとてもよくわかりますが、私は反対に、自分だけ
    事実を伝えられなかったり、また自分だけ超音波の写真を
    外されたりすると、その事実を知ったときは、どこか不自然
    で、また疎外されてしまったような気持ちになると思います。

    お友達の方はBさんに、気持ちをきちんと伝えられたの
    でしょうか。人はそれぞれで、たとえ相手のことを思って
    の行動でも、受ける側は傷ついてしまうこともあると思い
    ます。でもその時は、きちんとそのことを相手に伝えること
    も必要だと私は思います。そのときに相手の真意も分かり、
    相手の行動を理解することもできるのではないでしょうか。
    悪意があっての行動は傷つきますが、好意からの行動
    の場合は、たとえそのときは傷ついたとしても、相手の
    思いが分かれば、傷にはならないのではないでしょうか。
    それをせずに、誤解したまま関係が絶たれてしまうという
    ことが日本人の間では多いような気がするのですが、
    そうするとせっかくの相手の好意も伝わらず、とても残念
    だと思います。

    ところで、”「年末年始のご挨拶」というタイトルのメール”
    という部分や、また本文も書かれていましたので、Bさんが
    誰かが分かったのですが、Bさんは信頼している人に対して
    は、真正面から付き合われる方だと私は思っています。
    それだけにBさんは、お友達の方のことを深く思い、他の
    Bさんのお友達と同じように真剣にお付き合いをしたいと
    思われたからこそ、他の方と全く同じメールを送られたの
    ではないでしょうか。

    半年前にBさんのブログにコメントをするようになって
    以来、Bさんは私のことも知っていますが(不妊症で、
    体外受精の副作用等で手術を繰り返し、卵巣も一つ
    失ったことなど)、私にも胎児の写真なども全て、隠さずに
    知らせてくれました。私はBさんが、知り合って間もない
    私のことも、他の方と同じように真剣に思ってくれている
    のだと感じ、私にも他の方と同じように接してくれたことが
    とても嬉しかったです。

    お友達の方にも、Bさんのそういった思いが伝わると
    いいですね。

    初コメントで、長くなってしまい申し訳ありません。

    • kotoriさん。はじめまして。kotoriさんも、辛いご経験をなさっていらっしゃるのですね。この記事のために、またその思い出を蘇らせてしまって、ごめんなさい。kotoriさんの考えていらっしゃる方がその方かどうかは存じませんが、kotoriさんとその方の信頼関係が、とてもうらやましく感じられます。

      kotoriさんは海外にお住まいなのでしょうか。私の住むスウェーデンでは、日本と同じように、直接の衝突を出来るだけ避ける文化があります。言いたいことも、遠まわしに表現することが実は多いのです。アメリカ人のようにヨーロッパでもストレートな表現がされるのかと思っていましたが、婉曲な表現方法は、日本だけのものではないのだということを学びました。スウェーデンでも不妊症で悩む患者さんは非常に多く、高齢になってから、海外からの養子を受けることに切り替えるカップルが沢山います。医師や研究者の世界でも、女性がキャリアを優先させることもあって、子供がいない人が沢山います。ですから、妊娠の話題の取り扱いは非常にデリケートです。

      問題の胎児の超音波の写真ですが、会ったことのない不妊症の人間にそういった写真を送るリスクは、常識的に考えれば高いのではないでしょうか。kotoriさんの場合は、しっかりとした信頼関係ができていたから問題はなかったのでしょうけれど、kotoriさんが反対の立場だったら、どうなさいますか?友人Aの場合も、Bさんには悪意があった訳ではないと思いますが、やはり、メッセージの発信には慎重になる必要があります。そして、発信したメッセージにより、傷付いた人間がいるとすれば、その責任は、メッセージを発信した人間にあります。かく言う私も、数々の失敗を繰り返しながら今日まで生きて参りました。失言をしたかなと思うと、私は夜も眠れなくなります。仕方がないので、相手ともう一度お話をして、お詫びをすると、眠れるようになります。ですから、以前にも書いたことがありますが、大事なメールは、最低一晩寝かせます。本当は、このkotoriさんへのお返事も寝かせたいくらいです。

      kotoriさんのコメントを拝読して、ますます、人間は人それぞれだと感じました。だからこそ、上手にコミュニケーションを取るのは、難しいですね。特に、昨今のように、ネット上でのお付き合いは難しいです。私は、相手の眼をじっと見て話さないと、相手の真意がわからないと思っていますが、ネット上ではそれができませんしね。ただ、人間性というものは、かなりの割合で、文章に表現されるように思います。人生哲学や、怒りや悲しみなどの表現方法などで、その人がどんな人間なのか、想像できるような気がします。kotoriさんのコメントには、お友達への気持ちがこめられていて、そして、趣旨からすると、私の考え方とは異なる意見であるにもかかわらず、穏やかな議論となっているところが、kotoriさんの人間性を現していると思います。重い話題にも関わらず、踏み込んだコメントをいただいて、有難うございます。友人にも、kotoriさんのような意見があることを伝えたいと思います。

  • くるり

    drpionさん、こんにちは。
    人の感じ方って本当に千差万別なのだなと思いました。
    でも、もし私だったら、drpionさんと同じ意見で超音波写真は見ず知らずの
    インターネットをとおしてしか知らない人には見せないと思います。
    というより超音波写真は、実の親やパートナーには見せると思いますが、
    不妊、不妊でないに関係なく友達には、よほど頼まれない限りは
    見せません。だって素人には、みんな同じに見えるし、見せられたところで
    コメントのしようもありませんよね。
    悪気がなくても、人を傷つけてしまうことってあります。でも、もしそれが
    分かったら自分の真意を伝えることも大事ですが、まずは一言謝ってこそが、
    誠実な対応ではないかと私は思います。大切な友人だったら、なおさらです。
    Aさんのやる方ない気持ちが、drpionさんの寄り添う気持ちによって、
    心の傷が和らぐといいですね。

    • くるりさん。私の表現は複雑でわかりにくかったかもしれないのに、くるりさんが、私の言いたかったことを、簡単に直球でおっしゃってくださいました。「寝起きですっぴんのまま会える人間」くらいにしか、そのような写真は見せないとも言えるかもしれません。

      私の意見をサポートして下さる意見も、少し違う意見もありましたが、何だか友人とも前向きな話ができそうです。不妊にかかわらず、世の中には様々な問題で苦しむ人がいて、実に人生は不平等にできています。しかし、それぞれが自分の運命を受け入れ、さらに、人への思いやりも忘れず、できるだけ心安らかに生きてゆけるといいなと思います。

      どうも有難うございました。

  • sonto

    Drpionさん、こんにちは。
    記事とコメントに対する返事を読ませていただいて、感服いたしました。私自身議論をすることも自分の非を認めることも苦手なので、drpionさんの姿勢にいつも学ばせていただいております。

    好意と信頼からの行為であっても、相手を傷つけたという事実の上には、行為の真意などもはや意味をなさないと思います。
    件のBさんが釈明されていることは、drpionさんの論点とずれてしまっていて悲しくなってしまいました。AさんにはAさんの、BさんにはBさんの思いがあるのでしょうが、仰るとおり、ネット上でのコミュニケーションとは難しいものですね。

    とはいえ、いざ自分がBさんの立場に立ったとき、果たしてどのような行動をとるだろうかと、考えてしまいました。素直に非を認め謝罪することを学びたいものです。
    勉強になりました。

    • sontoさん、こんにちは。
      議論や自分の非を認めることは、私も苦手ですよ。それが自分の弱点であることがわかっているので、努力してそれを改善するように努めています。

      コミュニケーションを上手に取ることは、本当に難しいです。ネット上ではなくても難しいのですから、ネット上ではなおさらですね。

      最後の文章が、お会いしたことはないけれど、sontoさんのお人柄を表しているように感じられ、微笑ましく思いました。謝罪もトレーニングが必要です(と自分に常々言い聞かせております。)。

      余談ですが、Bさんもきっと友人の気持ちをそのうちわかってくれるのではと思っています。折角、ネット上での出会いがあったのに、コミュニケーションが取れずに仲違いでお別れでは、悲しいですよね。

  • kotori

    温かいお返事をありがとうございます。

    私もヨーロッパに住んでいます。
    私はずっと、体外受精で起こった出来事を受け入れられずにきました。どうして私は、私が一番望み、そして多くの人が得られる幸せを得られないのだろうと思い、またそれだけでなく危険な状態の一歩手前まで行き、体も傷つき、悔しい思いでいっぱいでした。そんなとき、偶然Bさんのブログと出会い、コメントをするようになったのです。主に不妊や医療に関する記事でのコメントでした。そしてその後はメールでそのときの私の辛かった気持ちなどをBさんに綴り、どんなに長文でも、Bさんはいつもきちんと聞いてくれました。

    そんな中、私は不妊に悩む気持ちなども書いたわけですが、私はBさんに、「きょうだいや友人、また私を思ってくれる人の妊娠出産はいつもとても嬉しかったし、自分に子供がいないので、自分が経験することのできない超音波の胎児の写真も見たいと思う。」と書きました。そして、「私は全てを教えて欲しいし、そのとき私は信用されていると感じる」と伝えました。この前の11月か12月ぐらいだったと思います。

    私はかなり人に対して不信感がありました。これはお医者さんに対してもそうでしたし、また夫の家族ともいろいろとあり、「人は結局、他人のことなんてどうでもいいんだ」と思っていました。でもBさんは違いました。まだ知り合って間もない、会ったこともない私に対しても個人的なことを話してくれて、私のことを信用してくれているのだと、そのことが本当に嬉しかったです。また、会ったこともない他人のことも本気で考えてくれる人がいるのだと思いました。会ったことがあるかないかは重要ではないのだと思います。大事なのは、相手に対する思いや信頼なのだと。そのときの嬉しかったことを、私は何度かBさんに伝えています。

    だからこそ、Bさんはdrpionさんのお友達の方にも、他の方と同じように、隠さずに全てを知らされたのかもしれません。もしそうであるとすれば、今回の原因は私にあるのだと思います。

    drpionさんの記事の主旨からは逸れてしまったかもしれませんが、ただ、前回の私のコメントは、意見が同じとか違うということは全く関係ないのです。もし、drpionさんのお友達の方がBさんの思いを誤解して受け取られているのでしたら、それはお友達の方にとっても辛いことだと思いますし、Bさんの思いが伝われば、お友達の方の悲しみも和らぐと思ったのです。また、誤解のために友人関係が壊れてしまうのはとても残念だと思う気持ちから書かせていただきました。

    drpionさんの、他の方や私へのお返事から、drpionさんの優しさや他人に対する思いやりの心をとても感じました。とても温かい方なのだろうなと思っています。そんなdrpionさんのお友達の方も素敵な方なのだろうと思います。だからこそ、お友達の方とBさんとの間の誤解がとけて、友人関係が続いていって欲しいと願っています。

    最後に、少し思ったことを書かせてください。
    ヨーロッパ在住の日本人社会はとても狭いと私は感じています。偶然私が検索で見つけたブログのコメント欄で、知人の名前を見つけたこともあります。今回のこの記事は、明らかに個人を特定できる内容で、これはちょっとどうかなと思いました。drpionさんのおっしゃりたいことも分かりましたし、またお友達の方が辛い思いをされていることも分かりました。でもそのときは、このように他の人が誰のことかが分かる内容を書いて、ご自分のブログで一方的にBさんを批判されるよりは、Bさんに直接言われたほうがいいのではないかと思いましたし、またその方が誤解も生じにくいと思いました。

    ブログでは複数の共通の仲間がいることも多く、こういったことは気分のいいものではないと思います。

    もし私がBさんの立場でしたら、今回のこのような記事はとても傷つきます。

    • kotoriさんのおっしゃること、わかります。

      あれから時間が経って、友人も本来の友人にもどったような気がします。
      意思疎通というもはとても難しいですね。本当は思っていることを直接伝える方が良いと思いますが、状況によっては、直接伝えにくい場合も往々にしてあるのではないでしょうか。

      また、ネット上だけの付き合いで、本当の信頼関係を構築できるかどうかは、私には疑問です。ネットでの出会いは、出会いの一つの形であり、その中には素晴らしいものがあることは、私も経験済みです。しかし、友人としての深い信頼関係は、実際に会ってからはぐくむものだと思っています。

  • こんばんは、難しいテーマですね。
    『相手の心に寄り添って伝える』医療の基本ですが、最も難しいことでもあります。結局は、ハートの問題とコミュニケーション・スキルの問題だと思いますが、私自身なかなか上手くいきません。
    理解してもらえないと、『ちゃんと聴いてないから』と人のせいにしてしまう自分がいます。
    患者の思いと医療者の想い・・・決してイコールにはならないのかもしれませんが、そうなるように努力するのが私たちの永遠のテーマなのだと思います。
    AさんとBさんの問題もいろいろな考えがあるのでしょうが、私はdrpionさんのお考えに賛成です。こうした難しいテーマをブログに取り上げられるdrpionさんの勇気に感銘を受けました。ところで、日本はここ数日とても温かくなりました。梅の花もあちこちで満開となっています。そちらは、いかがですか?

    • Haruch先生。感情的な記事で先生のお目を汚してしまって恥ずかしいです。

      医療での思いやりのあるコミュニケーション、難しいですよね。日瑞両国で働いてみて、日本の方がはるかに難しいと思います。医師と患者の信頼関係は脆弱であり、拍車をかけるような医療訴訟。人間が善意を持って行う行為がうまくいかなかった場合でも、莫大な対価を支払わなければならない、また、それを狙う人達がいるという現実。とても悲しいですね。スウェーデンでは、医師と患者の関係は20年以上前の日本のものだと思います。セカンドオピニオンはこの数年のことですし、基本的に担当医を信頼しています。そんなスウェーデンにいるから、理想論を掲げていられるのかもしれません。日本の真面目でプライベートよりも仕事を優先させるような倫理観を持った医者は、世界でもトップレベルだと思います。脱線しますが、医療システムも、患者さんに非常に優しい。日本国民はそれを知らずに医者を叩いて、日本の良いシステムを壊そうとしています。辛いですね。

      こちらはまだまだ雪が残っています。湖はまだ凍っていますよ。日本のあたたかさが恋しいです。

  • Lemon

    これらの感情には、双方の環境や感じ方などが作用し、一概には言えませんが、簡単に言うと、”自分が逆の立場ならどう感じるか?”と、言うことではないでしょうか。これが、もし逆でAさんが先に妊娠して、Bさんに胎児の写真が送られてきたとします。そして、その時にBさんが妊娠出来ずに悩んでいて、又年齢的にもタイムリミットであったとすると、やはり
    焦りと同時に、何故自分は妊娠できないのだろう?と思ってしまうのではないでしょうか。同時に、Aさん、何故これを私に送って来たのだろう?と、思うかもしれません。そして、そう思うのもごく普通の感情だと思います。

    これらの記事を読ませて頂いて、つくづく”相手の身になって考える”事の重要さと深さを思い知らされました。

    • Lemonさん。相手の立場に立って考えてみる、というのは、簡単なことなのに、なおざりにすることが多いですね。毎日、意識してトレーニングすることが大事なのではないかと思っています。

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