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徒然なるままにと言ってみたい

毎日毎日、やらなければいけないことが多すぎて、やりたいことはできないままに時が過ぎていきます。

日本の職場と違って、出勤すると、その日の仕事プラス貯まっている仕事を、可能な限りのスピードでこなして、できるだけ早く家に帰るようにしています。これは、同僚のすべてがやっていること。日本では、仕事がなくても上司がいれば帰れないですし、受け持ち患者さんの容態が安定しなければ、当直に任せて帰るということもできません。その点でスウェーデンの勤務体制ははっきりとしていて、プライベートとの区別をつけやすいのです。

勿論、手術日であれば、一部のマッチョ外科医とは異なり、手術時間で競争するような考えはないため、「早く終わらせる」ために手術をすることはありません。受け持つ手術のほとんどが既に慣れたものであるため、それでも予定終了時間から大幅に延長したりすることはほとんどありませんが。しかし、手術とはまさに芸術で、登りつめられる頂点というものはないように感じています。ことに、私が担当する、癌治療と機能温存のバランスを保つことを考えるような手術ではそう。如何に癌を切除し、機能も温存するか。ミクロの単位での切除ラインの調節を症例に合わせて決定することも必要です。

最近、前立腺癌の患者さんの術後で、「腫瘍マーカー検出不能」、「切除断端陰性」だけでなく、「勃起および性交可能」で「尿失禁ゼロ」という方が増えてきて、嬉しい限り。以前は、「尿失禁」はなくとも、「勃起」に関しては成績が芳しくなかったのですが(これは、私自身あまり重きを置いていなかったのと、温存して切除断端が陽性になることを恐れていたということがあります)、機能温存の領域はまさに芸術の域に入ってくると思っています。

前立腺癌の患者さんは、比較的若くて、それまで健康だったという方が多いため、非常に喜んでもらうことがしばしばです。これまで、スウェーデン人は勿論のこと、世界各地からやってきている移民の患者さんの手術を担当してきましたが、数多くのハグをもらいました。中には涙を流してくれた人もいました。

外科医は神ではありませんので、不幸にも良い結果が得られないことがあります。そのたびに私はかなり落ち込むのですが、同僚の外科医を見ていると、腕の良い外科医になるためには、不幸な結果を踏み台にしていかなければいけないようで、この部分は何年外科医をやっていても、私には最も大きな課題であるように感じています。

課題といえば、有能なスポーツ選手が有能なコーチである訳ではないのと同じように、メスの切れる外科医が上手に後輩を指導できるかといえばそうではありません。後輩の能力を見極めた上で、どこまで辛抱できるかということは大事ですが、センスで手術ができる人は、それをうまく説明できないため後輩には伝わらないということがあります。私の最初のオペの師匠は、一つ一つの操作には理由があるんだということを叩き込んでくれましたが、それが私が後輩を指導するようになった今も生きています。これまでの外科医の修行は子育てにも見事に生きていて、辛抱、辛抱、また辛抱、決して声を荒げることなく、折り合わない場合でも、最終的には、「ママが決める」ということを納得させる。子供達は、「Det är mamma som bestämmer. (It is mammy who decides.)」と言ってくれ、私はシメシメとほくそ笑むのでした。

拙文のつぶやきにお付き合いいただき、ありがとうございました。

あけましておめでとうございます!

あけましておめでとうございます。

日本のような豪華な新年の幕開けというのはありませんが、ストックホルムから40分ほどにあるサマーハウスで、ひっそりと新年を迎えました。

今年もよろしくお願いいたします。

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保育園のルシア祭

保育園では折々の行事がありますが、クリスマス前のこの季節は、ルシア祭

双子の保育園はKungsholmenでは最大級で、園児数約120人。1−2歳児のグループ二つと3−5歳児のグループ2つがあります。双子は3−5歳児のグループで一番小さいのですが、このグループは今年は屋外で歌を披露するという企画でした。

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娘はペッパーカーカ(ジンジャークッキー)の服装で臨みました。パッと見ても一番小さいのが娘です。

息子はサンタ。

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歌を歌ったあと、サンタルシアの歌で退場し、引き続き園庭でルシア祭用のパン(ルッセキャット)やジンジャークッキー、グレッグなどが振舞われました。

 

娘は服装が気に入ったらしく、家でも着たがります。

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大きめの服を買ったけど、来年は着れないんだろうなあ。

今年のノーベル医学・生理学賞 (1)

今年のノーベル医学・生理学賞は、実に良い賞でした。アフリカなどを中心として、貧しい人々が多く罹患するマラリアと線虫に対する治療薬の発見に対して。

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ノーベル医学・生理学賞審査委員会からのプレス用の情報はこちら。簡易バージョンはこちら

線虫に対するAvermectinを産生する放線菌を発見した日本の大村博士。河川盲目症(River blindness )は、Onchocera bolvulus(回旋糸状虫)がBlack flyと言われる蝿を介して人間に感染し、幼虫が炎症により角膜に非可逆性の瘢痕形成を来たすため盲目となる疾患です。感染者1億にも上るといわれますが、AvermectinがIvermectinとして商品化され、Ivermectinの年2回投与にて盲目となるのを完全に予防することが可能となるものです。メスの成虫は1日1000匹ほどの幼虫を産みます。成虫にはIvermectinは効かず、成虫は20年近くも生存するので、長期にわたる投与が必要ですが、症状の原因となるのは幼虫であるため、幼虫を殺すことで発症を防ぐことができるという訳です。

Ivermectinはこの他にも、蚊が媒介するフィラリア症(象皮病や巨大陰嚢水腫の原因)にも有効です。沖縄で勤務していたとき、ときどきフィラリア症、乳び尿や陰嚢水腫の患者さんを診ることがありました。フィラリアの診断は、ミクロフィラリアの血中内での確認でした。ミクロフィラリアは昼間は体内奥深くの静脈などに潜んでおり、夜間には末梢血内に出てくるため、夜間に末梢血を採って診断するのがポイントでした。沖縄の離島からやってきた患者さん。さとうきび畑で働く人でした(さとうきび畑で蚊にさされやすい)。巨大な陰嚢水腫を長年隠し持っていて、とうとう我慢できずに家族に伴われてやってきたのですが、応急的に穿刺したところ、穿刺液3リットル以上。

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この写真は、教科書にも採用されている有名な挿絵。担ぐほどの巨大な陰嚢水腫です。

Ivermectinはフィラリアの他には、糞線虫の治療に使われます。日本で糞線虫の治療の適応となってから10年にもまだ満たないのですが、現在では、ダニによる疥癬の治療に多く使われているようです。私が専門医取得前に修行していた都内の病院で、疥癬が大量発生したことがありましたが、当時は有効な治療薬がありませんでした。隔離、消毒やガウンテクニックなどで対応していましたが、それほど有効でもなく対応が大変だったことを覚えています。Ivermectinは節足動物に有効なのだそうです。

薬には必ず副作用がありますが、Ivermectinの凄いところは、人間への重篤な副作用がないにもかかわらず、寄生虫を殺すことができ、また、現在のところ耐性もないということです。IvermectinはGABAなどのligant-gated chloride channelをブロックすることが作用機序で、細胞膜の極性が失われ、このchannelが発現している筋肉や神経組織が障害されることで殺寄生虫作用が発生します。このchannelは人間では中枢神経系に発現しているのですが、blood- brain barrierを通過しないため、人間に対する作用はないとのこと。薬としては、too good to be trueといったところでしょうか。

このIvermectinの元であるAvermectinは、大村博士が川奈ゴルフ場近所で採取した土に含まれていた放線菌から産生されたもので、現在までAvermectinを産生する放線菌種は発見されていないということです。これも驚きです。

大村博士がスクリーニングした上で選別したこれら放線菌を培養し、それらが産生するactive substancesを解析しAvermectinを同定したのが、共同受賞者のCampbell博士です。大村博士が1971年に(何とサバテイカルのようなのですが)アメリカを訪問した際に、Merck社などのラボで働いていた研究者たちとのコラボレーションが始まりました。そして、1970年後半に、Avermectinの発見がなされたのです。Avermectinを化学的に合成したものがIvermectinであり、1980年代初頭にすでに人間における治験が始まったのは、驚くべきスピードであったと思われます。2012年までに2億人以上の人々がIvermectinの治療を受けてきました。マラリアと比べて、River blindnessは忘れられていた熱帯病:the neglected tropical diseaseの一つでありましたが、Ivermectinの導入によって治療は急激に進み、WHOによると2025年までに撲滅できるということです。このように急激に治療が進んだことの大きな理由は、Merck社がIvermectinを無償で提供することを決断したことによるものが大きいそうです(余談ですが、動物のフィラリア症治療に関しては薬価は高額であり、Merck社は動物の治療を通して利益を上げているのだそうです。)。

今回のノーベル賞関連の行事にあたり、大村博士とお目にかかる機会がありました。長くなりましたので、そのあたりのことは次回に。

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半年もご無沙汰してしまいました。

気が付けば2015年も残り僅か。師走とは良く言ったもので、毎日走るように忙しい時間を過ごしております。ブログも半年もご無沙汰してしまっている事態に愕然としています。

夏には久しぶりに双子を連れて日本へ帰国しました。双子は日本で3歳の誕生日を迎えました。祖父母である私の両親、妹夫婦、従兄弟たちに可愛がってもらい、日本の保育園にも短期間通わせてもらって、充実した時間を過ごしました。

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未熟児で生まれた双子ですが、1年目は何回も入院を余儀なくさせられたものの、最近はほとんど病気をすることもなく、保育園に元気に通っています。言葉も達者になりました。残念ながら、スウェーデン語の発達が著しく、仕事と育児で忙しくしている私に日本語を話す余力がないため、日本語はいくつかの単語のみ理解するに留まっています。しかし、途中でどもりの傾向のあった息子のこともあり、まずはスウェーデン語で自信を持って話すことができればいいのではないかとも思うようになりました。ときどき、日本人の優しいお姉さんに遊んでもらったり、私も日本語の歌を歌ったりすることで、少しは日本語に曝露する機会を作るようにしています。

 

3歳になってから、悪いことをしたら、「ごめんなさい」と素直に言えるようになり、娘、息子同士でも思いやりの行動が見られるようになりました。喧嘩もするけれど、二人はお互いが大好きなようです。どちらかが泣いていると、まずは自分で慰めようとし、それでもダメな場合は親のところへやってきて、「xxが悲しがっているよ。」と報告してきます。誰がエレベーターのボタンを押すかなどで以前は良く喧嘩をしていましたが、今では役割分担が出来上がっているようで、譲り合っているのを見ます。

 

健康で優しい子供に育っていることだけで、親としてはこれ以上幸せなことはありません。オンコールもあり、手術が長引いて超過勤務もままあるため、仕事は120%くらいしている計算になるため毎日は大変ではありますが、何とか両立しています。忙しい中でも少しずつブログの記事を更新してゆければなと思います。これらの記事は、娘と息子へのメッセージでもありますので、、、。

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毎日ヘトヘト

ロボット前立腺全摘の術者を独立してするようになって1年以上が経ちました。1年間の執刀数は約100件程度。カロリンスカではこれが普通の数ですが、日本では一施設で100例ある施設はほとんどないと思われます。したがって、これだけの数を執刀する医師もいない訳ですが、少ない症例数で到達できる手術のレベルは限られるため、症例が分散してしまう日本のシステムは問題があるなと感じます。

 

日本と異なり、予定時間を超過してしまう手術になると、2例目、3例目がキャンセルされることも多々あるため、手術にはスピードも求められます。また、常に慣れた助手がつくとは限らず、慣れていない助手があたると、あっという間に30分、1時間近くの手術時間のロスがでることもあります。最近、新人が助手についたとき(もちろん、慣れた助手がもう一人監督としてついているのですが)、心臓が止まりそうになったことがありました。腹腔鏡用の器械を間違ったアングルで挿入したため、リンパ節郭清をした、腸骨動静脈の背側につっこんで、私が知らないあいだに動静脈を持ち上げていたのです。幸い血管は無事でしたが、もし血管を損傷したら直ちに開腹して止血しつつ血管外科を呼ぶ事態にもなりかねず、最悪、損傷側の足を失うなどということにも、、、。ロボット手術においては、術者は患者さんから離れたコンソールに座っているため、患者さん近辺のことは全く見えません。開腹手術でしたら、助手が失態をおかしそうであればすぐに対応できるのですが、、、。今回はロボット手術における怖さを感じました。

 

こんなことがあると、手術が終了すると、通常以上に疲労を感じます。すでに熟練した術者の仲間入りをしたために、割り当てられる症例も難しいものが増え、1日2例執刀しただけでも十分な疲労感。しかし、帰宅して少しゆっくりしたくても日々活動的になっている双子の世話が待っています。食事の支度、掃除、洗濯、お風呂、明日の準備、本を読んで寝かしつけるまで、休む暇もありません。これにオンコールが当たって、緊急手術に呼ばれたりすると、本当に悲惨。

 

今週は、昨年、カロリンスカでロボット前立腺全摘が602例、膀胱全摘が98例施行され、これまでの最多を記録、また、ヨーロッパではいずれの手術も最多、全世界でも膀胱全摘においてはトップレベルの症例数ということを祝うミニカンファレンスとパーテイーがありました。その中で、私は、スウェーデンでは初めての女性ロボット外科医であるという紹介を受けたことは、大変光栄でした。後輩の女医さんたちがやってきて、「これからも頑張って、私たちのお手本であってください。」と言ってくれましたが、何だか妙な気持ちでした。最も競争の激しい大手術の分野で、スウェーデン人の女医さんたちも近寄らないところに私などが無謀にも参戦しているのですが、やはり、若い女医さんたちもあとに続きたいという気持ちはあるようです。

 

パーテイーは夕方から始まりましたが、食事が終わると生DJ付きのダンスタイムがあって、夜が更けるまで続きました。私は勿論途中で退散しましたが。ママっ子の娘は、「ママ、ママ」と泣きじゃくってなかなかなか寝付かなかったようですが、私が帰宅したときには、スヤスヤと安らかな寝息をたてていてホッとしました。本来ならば、週末はしっかり休養して新しい週に備えるところでしょうけれど、週末は子育てにさらにエネルギーを奪われ、月曜日に保育園に双子を送り込むと、ホッと肩から力が抜けて仕事に出かけるという、そんな生活です。スウェーデン語には、「gillar läget」((良くも悪くも)おかれた状況を好きになる)という表現がありますが、まさにそれを唱えながら、忍耐の日々です。

おひなまつり

先日、ストックホルム日本人会主催のおひなまつりの会に双子を連れて行ってきました。

私自身、日本人会の役員(補欠ですが)をしているのですが、子供向けの行事に子供を連れて参加したことはありませんでした。3歳も近くなったので、少しはお行儀よくしてくれるかなと思い、思い切って連れてゆくことにしました。

 

東アジア美術館のアトリエドラゴンという場所を借りての催しでしたが、到着すると、在瑞おりがみ名人によるお雛様が。

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アトリエドラゴンというだけあって、立派な龍の飾りものがあって、子供がよじ登るには丁度良い大きさです。

 

運動系が大好きな息子は、すぐによじ登り、

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勿論、娘も負けてはいません。何たって、二人とも辰年生まれですもの。

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歌やおりがみ、お遊戯などがあり、最後にはFIKAタイム。

日本人会の副会長さんが作ったひなまつりケーキと、会長さんが作った手作りジュース、それに果物などを頂いて。

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おそらく、参加した子供の中では最も小さい双子ですが、親も驚くことにお行儀良くしてくれました。

また、お土産に、手作りひなあられもいただきました。

 

日本人会は数々の行事を主催していますが、そのために役員は多くの時間を割いて頑張っています(私はたいしたことはやっていませんが)。是非、多くの在瑞邦人の方が会員となって、日本人会を一層盛り上げて欲しいなと思います。

 

 

成長の春

この数日、ストックホルムは日中10度を越す暖かさです。長い冬を耐えてきた木々や植物が、一気に芽吹きそうな雰囲気。

 

そんな中、私といえば、人生最悪と言える(おそらく)インフルエンザに罹患し、1週間近くも38度以上の弛張熱が続きました。日本であれば、解熱剤を使いながら通勤するところかもしれませんが、ここはスウェーデン。遅々として下がらない熱に、1日1日と欠勤が伸び、診断書無しに欠勤できる最長の一週間を休んでしまいました。診療所を受診してもすぐに診断書がもらえるかどうか不明だったので、1週間欠勤したところで、フラフラしながら無理矢理出勤。その後は、アドレナリンの分泌を強制的に刺激しながら、何とかやっていますが、発症後3週間になる現在も本調子ではありません。

スウェーデンでは、病欠1日目は傷病手当は給付されず、2日目からは、給与のほぼ80%が給付されます。しかし、私の場合は、給与のレベルが給付の上限を上回っているため、病欠するとかなりのマイナスになってしまいます。それでも、給付があって病欠できるのは本当にありがたいことです。同時に3、4人の同僚医師が病欠していたらしく、手術をこなすことを第一目標に、外来をキャンセルしたりして何とか回していたようですが、とても大変そうでした。

私のインフルエンザ?が双子に発症するのではないかと心配だったのですが、鼻風邪と微熱程度の症状しかなかったため、保育園に送り込むことができ、日中は休養できたのが幸いでした。双子が感冒症状を得たときには、とにかく、鼻水ドレナージを徹底します。以前耳鼻科医だった私は、子供の鼻づまりで、急性、慢性副鼻腔炎、浸出性中耳炎、そしてそれによる難聴などを数多く見てきました。ベッドに子供を寝せて、水スプレーを鼻腔内に注入しながら吸引します。うまくすると、咽頭まで下がってぜこぜこの原因いなっている喀痰まで吸引できます。そして、鼻粘膜収縮スプレー。

physiomer-isotonicこれを最低朝晩2回は徹底的にします。

しかし、このために、もしかすると私がウイルスを子供からもらったのかも、、、。

 

最近の双子ですが、目を見張るのが言葉です。

双子は双子語があるために言葉が遅いと聞いていたため、呑気に構えていたのですが、保育園で年上とばかり遊んでいるためなのか、話す話す。うるさいほど話します。私に日本語を話すエネルギーが残っていないのと、スウェーデン語があまりに通じるのとで、日本語に関しては単語くらいですが、スウェーデン語の発達は驚くばかりです。そして、家でも、親とよりは、双子が二人で話していることが多いのですが、聞いていると、ちゃんと会話になっています。本を二人で読むときは、二人で解説しあっていますし、DVDもそう。そして、喧嘩になると、どちらかが親のところへきて、「XXちゃんが、XXしたの〜。」と言いつけにきます。また、私のところに寄ってきては、「Min mamma!(私のママ)」「Min mamma!(私のママ)」「Julias mamma!(ユリアのママ)」「Eliass mamma!(エリアスのママ)」とママの取り合いをするのですが、最近、娘は「Bådas mamma!(二人のママ)」「Inte bara min mamma.(私だけのママじゃないの。)」と言うようになりました。

息子は、娘よりこわがりで、「おばけに電話するよ〜」というと言う事をきくのですが、自分がこわがりなくせに、本やDVDでおばけや猛獣が出てくる場面で、ママが「ママ、ちょっとこわ〜い。」というと、「Ingen fara, mamma. Det är bara mönster.(大丈夫、ママ。ただのおばけだよ)」と言って、ハグしてくれます。

 

双子の最近の写真。お気に入りのリュックサック。娘はてんとう虫。息子はふくろう。自分で選びました。

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各自のiPadをキッチンの引き出しの取っ手に載せて(これは娘のアイデア)、並んで鑑賞中。

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2011年12月(3年前の話のつづき)

先日、3年前の12月8日に、2つの胚盤胞を移植したことを書きました。

それまで、日本やスエウェーデンを含め、ヨーロッパ周辺各国で最低20回はIVFを試みてきました。採卵するたびに凍結可能な胚盤胞が得られていたため、諦め切れずにズルズルと治療を続けていました。IVF経験者の中には、諦めた途端に自然妊娠した、という話も良く聞きますが、私たちの場合、夫が脊髄損傷患者ということで、IVFを諦めて自然妊娠に期待するという可能性はあり得ません。ですから、いつか諦めなければならないとは理解していながら、その決断をすることが怖くて仕方がありませんでした。子供を諦めることより、そのような大きな決断をする勇気がなかったと言えるかもしれません。

3年前の治療にあたっては、夫と同じ日に受傷したメンターのClaesは勿論のこと、彼の学位の指導者だったPeter Sjöblom博士の助けがありました。彼については別稿で述べるとして、この時の治療は、先日も記載したように、世界に誇れる卵子凍結技術を持つ加藤レデイースクリニックの技術を取り入れた、ロシアのクリニックでした。ストックホルムからも比較的近く、望めば日帰りも可能、また、すでにIVFに掛けた費用が8桁に達していた私たちにとって、スウェーデンや日本に比べて安めの価格が魅力的でした。ロシア語も出来なかった私にとって、当時そのクリニックに勤務していた知人の女医さんを頼ることができたのも幸運でした。

Exif_JPEG_PICTURE(写真は前回治療時、9月のもの)

新鮮胚を移植した前回の治療で発見した、お気に入りのレストランがクリニックの近所にあり、そこでタコのサラダやピザなど、お気に入りのメニューでお昼を済ませてから、移植に臨みました。

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手術室のライトは赤と緑のクリスマスカラーになっていました。移植だけですので、あっという間にすみました。頭の中で、どこか現実のものとは思えないような感覚が交錯して、同時に、「どの道、成功することはないのだろうな〜。」とボーッと考えていました。ひとつだけ嬉しい驚きだったのは、子宮内膜が12 mmと過去最高だったことでした。

 

1時間くらいベッドの上で休んでから、ホテルへの道の途中にあるレストランで、好きなロシア料理を食べました。

イクラとパンケーキにスメタナ!ゴールデンコンビ!

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言わずもがなのボルシチ!

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デパートで、キャビアを眺めました。ロシアルーブルが値崩れしている今なら、もっとお買い得だったのかしら。

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また、ここに来ることがあるのかなあ。次はどこへ治療の旅をするのかなあ、などと思いながら、空路、帰途へ着きました。

 

 

こんな感じで、全く期待していなかった移植の旅でした。

帰国してからも同じように働き、子供もいないので特にクリスマスや年末年始もお休みを取る必要がなかったため、通常勤務が続きました。

ずっと治療してもらっていた漢方の中国人の先生は、私の脈を取って、「もしかするかもよ。」と言ってくれましたが、「妊娠なんてありえない」と思って(思うようにして)いた私。

そして、12月19日。移植11日目の採血。

hCG 558。同じ年の春に妊娠したときの倍近くありました。まさかね。胚は着床したらしいけれど、前回もそこから流産したし、きっと糠喜びになるに違いない、と思いました。

 

そして、年末12月27日。この日もまだ勤務。hCGは9200。順調に伸びています。大晦日には2組の友人夫妻が来てくれたので、私は一応ノンアルコールで乾杯。しかし、ノンアルコールのワインとかビールって、美味しくないのね。普通に深夜まで飲み食いして、片付けて床に着いたのは、元旦の朝の5時でした。

 

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仕事納め

12月29日、30日は通常勤務で、30日が年内の仕事納めに当たります。私は両日共に手術日でした。

オペ室にやってくると、ドアにこんな張り紙が!

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今年のロボット前立腺摘出術が603件(601は間違い)で、ヨーロッパで最も多くの症例をやったという内容。しかし、1件目に時間がかかって2件目をキャンセルしなければならないと、この数が少なくなる訳で、ちょっとプレッシャーですが、看護師さんサイドからのこんな張り紙は、張合いになります。

1件目はハイリスクの前立腺癌で、リンパ節郭清をバッチリやりましたが、どうした訳か腹腔内は腸管の癒着が高度で剥離に時間 がかかり、さらに腫大したリンパ節が大血管に癒着していて、難しかった。それでも、正午くらいには終了したため、2件目も問題なく手術できることになり、ホッとしました。最後の症例は中レベルのリスクの前立腺癌でした。しかし、結構大きな中葉があっ て、多少時間がかかりましたが、1時間半弱で終了。結局、16時前には終わり、良い締めとなりました。

本格的にこの手術を始めたのが、去年の9月。数えてみると、これまでに100例弱を執刀しましたが、通常の症例であれば1時間前後、難しい症例では2時間程度、リンパ節郭清を徹底的にやっても2時間から3時間弱で終了するようになり、自信がつきました。外科医としては、麻酔科の先生に褒められることは非常に名誉なことなのですが(麻酔科医はどの外科医が上手か下手か、良く知っています)、最近も、「とってもエレガントな手術ね!」と過分な褒め言葉をもらい、とても嬉しく思いました。手術で時間や出血量を競う外科医もいますが、もちろん、上手な外科医は短時間で少ない出血量で手術しますが、癌であれば根治性、そして、機能温存という面でも、優れた結果がなければいけません。その点でも、私の手術後の癌の根治性や尿禁制(尿失禁がないこと)の割合は非常に高く、満足のいくものでした。インポテンスに関しては、自慢はできませんが、、、。

 

新しい年も、さらに研鑽を重ね、よりメスの切れる外科医を目指し、また、愛のある診療を心がけたいと思います。