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毎日ヘトヘト

ロボット前立腺全摘の術者を独立してするようになって1年以上が経ちました。1年間の執刀数は約100件程度。カロリンスカではこれが普通の数ですが、日本では一施設で100例ある施設はほとんどないと思われます。したがって、これだけの数を執刀する医師もいない訳ですが、少ない症例数で到達できる手術のレベルは限られるため、症例が分散してしまう日本のシステムは問題があるなと感じます。

 

日本と異なり、予定時間を超過してしまう手術になると、2例目、3例目がキャンセルされることも多々あるため、手術にはスピードも求められます。また、常に慣れた助手がつくとは限らず、慣れていない助手があたると、あっという間に30分、1時間近くの手術時間のロスがでることもあります。最近、新人が助手についたとき(もちろん、慣れた助手がもう一人監督としてついているのですが)、心臓が止まりそうになったことがありました。腹腔鏡用の器械を間違ったアングルで挿入したため、リンパ節郭清をした、腸骨動静脈の背側につっこんで、私が知らないあいだに動静脈を持ち上げていたのです。幸い血管は無事でしたが、もし血管を損傷したら直ちに開腹して止血しつつ血管外科を呼ぶ事態にもなりかねず、最悪、損傷側の足を失うなどということにも、、、。ロボット手術においては、術者は患者さんから離れたコンソールに座っているため、患者さん近辺のことは全く見えません。開腹手術でしたら、助手が失態をおかしそうであればすぐに対応できるのですが、、、。今回はロボット手術における怖さを感じました。

 

こんなことがあると、手術が終了すると、通常以上に疲労を感じます。すでに熟練した術者の仲間入りをしたために、割り当てられる症例も難しいものが増え、1日2例執刀しただけでも十分な疲労感。しかし、帰宅して少しゆっくりしたくても日々活動的になっている双子の世話が待っています。食事の支度、掃除、洗濯、お風呂、明日の準備、本を読んで寝かしつけるまで、休む暇もありません。これにオンコールが当たって、緊急手術に呼ばれたりすると、本当に悲惨。

 

今週は、昨年、カロリンスカでロボット前立腺全摘が602例、膀胱全摘が98例施行され、これまでの最多を記録、また、ヨーロッパではいずれの手術も最多、全世界でも膀胱全摘においてはトップレベルの症例数ということを祝うミニカンファレンスとパーテイーがありました。その中で、私は、スウェーデンでは初めての女性ロボット外科医であるという紹介を受けたことは、大変光栄でした。後輩の女医さんたちがやってきて、「これからも頑張って、私たちのお手本であってください。」と言ってくれましたが、何だか妙な気持ちでした。最も競争の激しい大手術の分野で、スウェーデン人の女医さんたちも近寄らないところに私などが無謀にも参戦しているのですが、やはり、若い女医さんたちもあとに続きたいという気持ちはあるようです。

 

パーテイーは夕方から始まりましたが、食事が終わると生DJ付きのダンスタイムがあって、夜が更けるまで続きました。私は勿論途中で退散しましたが。ママっ子の娘は、「ママ、ママ」と泣きじゃくってなかなかなか寝付かなかったようですが、私が帰宅したときには、スヤスヤと安らかな寝息をたてていてホッとしました。本来ならば、週末はしっかり休養して新しい週に備えるところでしょうけれど、週末は子育てにさらにエネルギーを奪われ、月曜日に保育園に双子を送り込むと、ホッと肩から力が抜けて仕事に出かけるという、そんな生活です。スウェーデン語には、「gillar läget」((良くも悪くも)おかれた状況を好きになる)という表現がありますが、まさにそれを唱えながら、忍耐の日々です。

心優しき日本人求む!

この夏に3歳の誕生日を迎える双子。最近、言語の発達も著しいです。

悲しいことに、職場から帰ってきた私には、スウェーデン語が上手になってきた双子と敢えて日本語を話す気力も体力も残っていないのが現状です。

以前、同僚女医さんの子供のお世話をしてくださる日本人の方を何回か募集したところ、大変良い方とご縁があり、喜んでもらっています。今回は、双子と日本語で遊んでくださる子供好きな心優しい日本人の方がいらっしゃらないかと、記事にさせていただくことにしました。

ストックホルムご在住で、主に、週末や保育園のない平日などに数時間、日本語で双子と遊んでくださる方はいらっしゃいませんか?待遇などはご相談させていただければと思います。プロフィール欄のメルアドにご連絡いただければ幸いです。

日本語の堪能な優しいお兄ちゃん、お姉ちゃんでも構いません。

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おひなまつり

先日、ストックホルム日本人会主催のおひなまつりの会に双子を連れて行ってきました。

私自身、日本人会の役員(補欠ですが)をしているのですが、子供向けの行事に子供を連れて参加したことはありませんでした。3歳も近くなったので、少しはお行儀よくしてくれるかなと思い、思い切って連れてゆくことにしました。

 

東アジア美術館のアトリエドラゴンという場所を借りての催しでしたが、到着すると、在瑞おりがみ名人によるお雛様が。

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アトリエドラゴンというだけあって、立派な龍の飾りものがあって、子供がよじ登るには丁度良い大きさです。

 

運動系が大好きな息子は、すぐによじ登り、

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勿論、娘も負けてはいません。何たって、二人とも辰年生まれですもの。

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歌やおりがみ、お遊戯などがあり、最後にはFIKAタイム。

日本人会の副会長さんが作ったひなまつりケーキと、会長さんが作った手作りジュース、それに果物などを頂いて。

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おそらく、参加した子供の中では最も小さい双子ですが、親も驚くことにお行儀良くしてくれました。

また、お土産に、手作りひなあられもいただきました。

 

日本人会は数々の行事を主催していますが、そのために役員は多くの時間を割いて頑張っています(私はたいしたことはやっていませんが)。是非、多くの在瑞邦人の方が会員となって、日本人会を一層盛り上げて欲しいなと思います。

 

 

成長の春

この数日、ストックホルムは日中10度を越す暖かさです。長い冬を耐えてきた木々や植物が、一気に芽吹きそうな雰囲気。

 

そんな中、私といえば、人生最悪と言える(おそらく)インフルエンザに罹患し、1週間近くも38度以上の弛張熱が続きました。日本であれば、解熱剤を使いながら通勤するところかもしれませんが、ここはスウェーデン。遅々として下がらない熱に、1日1日と欠勤が伸び、診断書無しに欠勤できる最長の一週間を休んでしまいました。診療所を受診してもすぐに診断書がもらえるかどうか不明だったので、1週間欠勤したところで、フラフラしながら無理矢理出勤。その後は、アドレナリンの分泌を強制的に刺激しながら、何とかやっていますが、発症後3週間になる現在も本調子ではありません。

スウェーデンでは、病欠1日目は傷病手当は給付されず、2日目からは、給与のほぼ80%が給付されます。しかし、私の場合は、給与のレベルが給付の上限を上回っているため、病欠するとかなりのマイナスになってしまいます。それでも、給付があって病欠できるのは本当にありがたいことです。同時に3、4人の同僚医師が病欠していたらしく、手術をこなすことを第一目標に、外来をキャンセルしたりして何とか回していたようですが、とても大変そうでした。

私のインフルエンザ?が双子に発症するのではないかと心配だったのですが、鼻風邪と微熱程度の症状しかなかったため、保育園に送り込むことができ、日中は休養できたのが幸いでした。双子が感冒症状を得たときには、とにかく、鼻水ドレナージを徹底します。以前耳鼻科医だった私は、子供の鼻づまりで、急性、慢性副鼻腔炎、浸出性中耳炎、そしてそれによる難聴などを数多く見てきました。ベッドに子供を寝せて、水スプレーを鼻腔内に注入しながら吸引します。うまくすると、咽頭まで下がってぜこぜこの原因いなっている喀痰まで吸引できます。そして、鼻粘膜収縮スプレー。

physiomer-isotonicこれを最低朝晩2回は徹底的にします。

しかし、このために、もしかすると私がウイルスを子供からもらったのかも、、、。

 

最近の双子ですが、目を見張るのが言葉です。

双子は双子語があるために言葉が遅いと聞いていたため、呑気に構えていたのですが、保育園で年上とばかり遊んでいるためなのか、話す話す。うるさいほど話します。私に日本語を話すエネルギーが残っていないのと、スウェーデン語があまりに通じるのとで、日本語に関しては単語くらいですが、スウェーデン語の発達は驚くばかりです。そして、家でも、親とよりは、双子が二人で話していることが多いのですが、聞いていると、ちゃんと会話になっています。本を二人で読むときは、二人で解説しあっていますし、DVDもそう。そして、喧嘩になると、どちらかが親のところへきて、「XXちゃんが、XXしたの〜。」と言いつけにきます。また、私のところに寄ってきては、「Min mamma!(私のママ)」「Min mamma!(私のママ)」「Julias mamma!(ユリアのママ)」「Eliass mamma!(エリアスのママ)」とママの取り合いをするのですが、最近、娘は「Bådas mamma!(二人のママ)」「Inte bara min mamma.(私だけのママじゃないの。)」と言うようになりました。

息子は、娘よりこわがりで、「おばけに電話するよ〜」というと言う事をきくのですが、自分がこわがりなくせに、本やDVDでおばけや猛獣が出てくる場面で、ママが「ママ、ちょっとこわ〜い。」というと、「Ingen fara, mamma. Det är bara mönster.(大丈夫、ママ。ただのおばけだよ)」と言って、ハグしてくれます。

 

双子の最近の写真。お気に入りのリュックサック。娘はてんとう虫。息子はふくろう。自分で選びました。

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各自のiPadをキッチンの引き出しの取っ手に載せて(これは娘のアイデア)、並んで鑑賞中。

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2011年12月(3年前の話のつづき)

先日、3年前の12月8日に、2つの胚盤胞を移植したことを書きました。

それまで、日本やスエウェーデンを含め、ヨーロッパ周辺各国で最低20回はIVFを試みてきました。採卵するたびに凍結可能な胚盤胞が得られていたため、諦め切れずにズルズルと治療を続けていました。IVF経験者の中には、諦めた途端に自然妊娠した、という話も良く聞きますが、私たちの場合、夫が脊髄損傷患者ということで、IVFを諦めて自然妊娠に期待するという可能性はあり得ません。ですから、いつか諦めなければならないとは理解していながら、その決断をすることが怖くて仕方がありませんでした。子供を諦めることより、そのような大きな決断をする勇気がなかったと言えるかもしれません。

3年前の治療にあたっては、夫と同じ日に受傷したメンターのClaesは勿論のこと、彼の学位の指導者だったPeter Sjöblom博士の助けがありました。彼については別稿で述べるとして、この時の治療は、先日も記載したように、世界に誇れる卵子凍結技術を持つ加藤レデイースクリニックの技術を取り入れた、ロシアのクリニックでした。ストックホルムからも比較的近く、望めば日帰りも可能、また、すでにIVFに掛けた費用が8桁に達していた私たちにとって、スウェーデンや日本に比べて安めの価格が魅力的でした。ロシア語も出来なかった私にとって、当時そのクリニックに勤務していた知人の女医さんを頼ることができたのも幸運でした。

Exif_JPEG_PICTURE(写真は前回治療時、9月のもの)

新鮮胚を移植した前回の治療で発見した、お気に入りのレストランがクリニックの近所にあり、そこでタコのサラダやピザなど、お気に入りのメニューでお昼を済ませてから、移植に臨みました。

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手術室のライトは赤と緑のクリスマスカラーになっていました。移植だけですので、あっという間にすみました。頭の中で、どこか現実のものとは思えないような感覚が交錯して、同時に、「どの道、成功することはないのだろうな〜。」とボーッと考えていました。ひとつだけ嬉しい驚きだったのは、子宮内膜が12 mmと過去最高だったことでした。

 

1時間くらいベッドの上で休んでから、ホテルへの道の途中にあるレストランで、好きなロシア料理を食べました。

イクラとパンケーキにスメタナ!ゴールデンコンビ!

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言わずもがなのボルシチ!

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デパートで、キャビアを眺めました。ロシアルーブルが値崩れしている今なら、もっとお買い得だったのかしら。

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また、ここに来ることがあるのかなあ。次はどこへ治療の旅をするのかなあ、などと思いながら、空路、帰途へ着きました。

 

 

こんな感じで、全く期待していなかった移植の旅でした。

帰国してからも同じように働き、子供もいないので特にクリスマスや年末年始もお休みを取る必要がなかったため、通常勤務が続きました。

ずっと治療してもらっていた漢方の中国人の先生は、私の脈を取って、「もしかするかもよ。」と言ってくれましたが、「妊娠なんてありえない」と思って(思うようにして)いた私。

そして、12月19日。移植11日目の採血。

hCG 558。同じ年の春に妊娠したときの倍近くありました。まさかね。胚は着床したらしいけれど、前回もそこから流産したし、きっと糠喜びになるに違いない、と思いました。

 

そして、年末12月27日。この日もまだ勤務。hCGは9200。順調に伸びています。大晦日には2組の友人夫妻が来てくれたので、私は一応ノンアルコールで乾杯。しかし、ノンアルコールのワインとかビールって、美味しくないのね。普通に深夜まで飲み食いして、片付けて床に着いたのは、元旦の朝の5時でした。

 

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仕事納め

12月29日、30日は通常勤務で、30日が年内の仕事納めに当たります。私は両日共に手術日でした。

オペ室にやってくると、ドアにこんな張り紙が!

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今年のロボット前立腺摘出術が603件(601は間違い)で、ヨーロッパで最も多くの症例をやったという内容。しかし、1件目に時間がかかって2件目をキャンセルしなければならないと、この数が少なくなる訳で、ちょっとプレッシャーですが、看護師さんサイドからのこんな張り紙は、張合いになります。

1件目はハイリスクの前立腺癌で、リンパ節郭清をバッチリやりましたが、どうした訳か腹腔内は腸管の癒着が高度で剥離に時間 がかかり、さらに腫大したリンパ節が大血管に癒着していて、難しかった。それでも、正午くらいには終了したため、2件目も問題なく手術できることになり、ホッとしました。最後の症例は中レベルのリスクの前立腺癌でした。しかし、結構大きな中葉があっ て、多少時間がかかりましたが、1時間半弱で終了。結局、16時前には終わり、良い締めとなりました。

本格的にこの手術を始めたのが、去年の9月。数えてみると、これまでに100例弱を執刀しましたが、通常の症例であれば1時間前後、難しい症例では2時間程度、リンパ節郭清を徹底的にやっても2時間から3時間弱で終了するようになり、自信がつきました。外科医としては、麻酔科の先生に褒められることは非常に名誉なことなのですが(麻酔科医はどの外科医が上手か下手か、良く知っています)、最近も、「とってもエレガントな手術ね!」と過分な褒め言葉をもらい、とても嬉しく思いました。手術で時間や出血量を競う外科医もいますが、もちろん、上手な外科医は短時間で少ない出血量で手術しますが、癌であれば根治性、そして、機能温存という面でも、優れた結果がなければいけません。その点でも、私の手術後の癌の根治性や尿禁制(尿失禁がないこと)の割合は非常に高く、満足のいくものでした。インポテンスに関しては、自慢はできませんが、、、。

 

新しい年も、さらに研鑽を重ね、よりメスの切れる外科医を目指し、また、愛のある診療を心がけたいと思います。

クリスマス

クリスマス休暇も終わった週明けの今日、12月29日、日本なら御用納も済み休暇モードのところを、スウェーデンでは通常業務の始まりです。ロボット手術が5件、そのうち2件を担当しました。明日も2件、その上オンコールです。

 

さて、今年のクリスマス・イブは、義理の姉のところで集まって祝いました。

双子と早目に退散することを考えて、2時過ぎに集合。クリスマスに合わせて、赤系の洋服を着せてみました。まだまだ髪の毛が少ない「わたし」ですが、エステル王女を真似て赤いリボンのヘアピンを付けてみましたよ。Farmor(父方の祖母)のお膝で、変顔。

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Estelleはこんな感じ。これ、一年前?

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こちらが、今年でしょうね。大分毛が伸びました。

Prinsessan+Estelle+julen+2014+Foto+Kate+Gabor,+kungahuset.se+43Farfar(父方の祖父)と従兄弟と。

2014-12-24 17.02.5515時にKalle anka(ドナルドダッグ)の番組を見て、お食事して、その後に、誰かがサンタさんの扮装をしてクリスマスツリーの下に用意されているプレゼントを配りにくるのがスウェーデンの慣習。

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初めて見るサンタさんに、双子は怖がって大泣き。それを見て大人は大笑い。

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涙を拭き拭きプレゼントを受け取った「ぼく」。しばらく恐怖でおののき、お兄ちゃんに抱きついている「わたし」。

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そのうち落ち着き、プレゼントを開け始めます。

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イブの集いの他にも、pepparkaka(スパイスクッキー)を作ったりして、クリスマスの休暇は過ぎてゆきました。外気は零下10度くらいに冷え込んだため、室内でゆったりと過ごしました。

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ノーベル賞晩餐会

ノーベル賞シリーズもこれが最後です。

授賞式終了後、バスに分乗して晩餐会会場のストックホルム市庁舎へ。

招待状には、名前だけでなく、バーコードもついています。招待状と身分証明書をスキャンして入場。会場には、70ページ弱の小冊子が積んであります。

2014-12-25 12.49.52この小冊子が座席表。

最初のページは、ノーベル財団の招待客。王族と受賞者です。今年初めて、マデレーン王女の夫、クリスと、カールフィリップ王子のフィアンセ、ソフィアが出席しました。

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最後のページには、テーブル配置。

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招待客の名前はアルファベット順に並んでおり、テーブル番号と席番号がわかるようになっています。

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タイトルのある人は、タイトルとともに。私は赤崎先生とその家族、天野先生の家族、そして化学賞のHell教授の家族と同じテーブルになりました。

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右下が王様、右隣に生理・医学賞のMoser教授(妻)、ダニエル王子、ダニエル王子の右隣は、Hell教授の妻で、彼女も教授。前回の記事で述べたように、夫妻ともに教授や、妻が准教授や博士などのタイトルを持っているカップルが多いのには驚かされます。日本では、成功する夫の伴侶は専業主婦が多いはず。

 

オナーテーブル以外の招待客が着席し、王族ほかオナーテーブルの招待客が2階からの階段から入場します。夫妻ではないペアの男女で入場しますが、婚約中のカールフィリップ王子は例外。

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マデレーン王女はHell教授と。マデレーンのドレス、好みです。

 

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婚約中のカールフィリップ王子とソフィア。彼女は刺青を入れていたようですが、婚約に際して密かに手術して消したという噂。

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こちらは、晩餐会前後に撮影されたシルビア王妃、マデレーン王女と、Hell教授夫妻と3人の子供達。9歳の双子の男の子と、5歳の女の子。この子達の隣に私は座りました。

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ノーベル財団理事長と国王による2回の乾杯でシャンパンを味わいます。

この晩餐会では、王族や著名人のファッションが注目を集めますが、ビクトリアの真紅のドレス。本来サッシュは直に皮膚に触れてはいけないのだそうで、彼女のオフショルダーのドレスは、そのルールに抵触するとかで、批判がありましたが、美しかったです。

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ソフィアのドレスも良かったです。女性でも胸の谷間が気になります、、、。

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ジャーナリストがいろいろな人にインタビューしていましたが、一人だけ振袖を着ていた天野先生のお嬢様が英語でインタビューされていました。

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そして、Hell教授の双子。インタビュアーのEbbaは王室御用達?のジャーナリストとして良く知られています。

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双子の5歳の妹。彼女は最も若い招待客だったに違いありません。

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化学賞の代表挨拶はHell教授でしたが、まだ英語のわからないHell教授の子供達は、どんな気持ちでパパを見つめていたのかしら。

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シャンパンでホロ酔い加減の私です。

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会場にはスウェーデンの各大学の旗が集められていて、学生が旗手を務めています。テーブルから2階を見上げたところですが、美しいですね。

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アトラクションも、お食事も、招待客同士の会話も、全てが特別で、私も楽しむことができました。

次の日の大手術がなければ、ダンスにも参加したのですが、王族が退席してすぐ私も会場をあとにしました。

ノーベル賞授賞式

ノーベル授賞式の日を、振り返りたいと思います。写真は、iPhoneでの撮影がさほど綺麗でなかったため、新聞などから拝借。

招待されるとは思っていなかったので、当日午前中は外来診療が既に入っていました。外来診療を済ませて帰宅。また、着用予定だったドレスはネットでオーダーしていましたが、結局間に合わなかったため、手持ちのドレスの中から急遽選ぶことになりました。ドレスコードは、女性はイブニングドレス、男性は燕尾服と決まっています。 私のドレスは、プレーンな黒のロングドレスだったため、大きめのバロック真珠のネックレスとお揃いのピアス、真珠のリングと、普段は使えない大きめダイヤのリング、大好きなカルチェのドレスウオッチを合わせました。

生憎の小雨模様、コンサートホールは美しくライトアップされて、リムジンが並んでいます。青いナンバープレートは外交官プレート、その中でも、1Aで終わるものは、各国大使のナンバーです。大使に限り、コンサートホール前に駐車でき、コンサートホールの周辺の車の進入は完全に閉鎖されます。

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授賞式は何回も出席していますが、今回は初めて舞台近くの席に着席しました。

通常、王族メンバーは全て壇上に座るのですが、今年は国王、王妃、皇太子ビクトリアとダニエル王子の4人だけで、カールフィリップ王子とフィアンセのソフィア、マデレーン王女と夫のクリスは壇下の最前列に座りました。

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ビクトリアの真紅のドレスはとても素敵でした。しかし、エキスパートからクレームがついたとか。この点は後ほど。随分、痩せてしまっていて(実物はもっと痩せて見えました)少々心配になりました。

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日本から受賞の物理学賞の3氏については、すでに良く知られているため省略。

カロリンスカに選考委員会のある生理・医学賞は、脳に存在するGPS細胞の発見に。

ノルウェーから、Moser夫妻。

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彼らは大学時代の同級生。かれこれ30年一緒にいるそうです。写真は若き日の夫妻。

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彼らのラボには100人以上のメンバーがおり、受賞の知らせに大喜び。

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彼らには医学部に通う二人の娘がいます。

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授賞式には、ニューロンをイメージした大胆な模様の入ったドレスで。

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大学の同級生が、仕事でも家庭でも同志として30年、愛の結晶はノーベル賞と二人の娘。こんな幸運はまずあり得ませんね。

化学賞は、次の3人。

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ペア受賞ではありませんが、右手のBetzig氏の妻は、彼のリサーチグループで働く研究者Na Ji

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晩餐会の席順は小冊子に印刷されているのですが、名前とタイトルが記載されています。日本からの受賞者のパートナーはタイトルなし(妻という記載のみ)なのですが、海外の受賞者や、招待客は夫婦ともにタイトルがある場合が多く、日本では未だに男の成功の陰には家庭を支える妻が必要なのだなと感じました。ちなみに、晩餐会では各賞から代表で一人ずつ挨拶があるのですが、物理賞は中村先生でした。そして彼のスピーチの中で、「Thank you for letting me work hard」という言葉が、会社や同僚、家族に対して投げかけられ、聴衆の笑いを誘っていました。きっと、非常に日本的で、殊に、プライベートを大切にするスウェーデン人には、理解できないと思いました。

授賞式のあとは、晩餐会の一般招待客は青いSLバスに分乗して市庁舎へ向かいました。

STAP騒動に幕

今年の1月、Natrueに発表されたSTAP細胞に関する論文。発表された日から注目していました。カロリンスカでも、ノーベル賞に値する発見かどうかという噂話をしている人たちがいました(もっとも、選考委員会に近い人たちの意見は、「既にstress-induced multipotential cellが報告されているし、無理だろう。」といった感じでしたが。)。

「リケジョ」などの新語を生むなど、日本では一大センセーションを巻き起こし、小保方氏は一躍、時の人となりましたが、一方、論文の発表直後から、論文の信憑性についての議論が始まりました。

小保方氏が、「してはいけないという認識がなかった。」とした、電気泳動のバンドの切り貼り。

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蛋白実験や遺伝子解析を扱う研究をしたものであれば、これだけでアウトと考えるのが自然なのではないでしょうか。私もその一人として、そう思いました。全てのレーンが論文掲載に堪え得るクオリティのものが得られるまで、何十回でも、何百回でも繰り返すのが常識。それがNatureのようなトップジャーナルであればなおさらのことです。

 

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STAP細胞は体細胞由来の細胞から簡単に万能細胞が作製できるという点が売りであるため、STAP細胞には、体細胞で見られるべき、「T細胞受容体遺伝子の再構成」がある必要性がありましたが、この点が覆ってしまったため、共同著者の若山教授から論文撤回の呼びかけが3月にありました。

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その他も、博士論文からの複数の画像の流用や、実験方法の部分における、他論文からのコピペなど、お粗末としかいいようのない捏造疑惑が次から次へと明らかになります。通常の科学者であれば、もはや論文撤回は当たり前、呆れを通り越して怒りさえ覚えたのではないでしょうか。その中で、日本の誇れる研究者である笹井氏が、小保方氏を庇い続けたのは不思議でした。カロリンスカでも再生医学の分野では良く知られていた笹井氏は、将来、ノーベル賞を取る可能性もあるとされていたようです。ノーベル賞を取るためには、優れた科学者であるだけではなく、類まれな運を持っていなければなりません。言い換えれば、天才と言われるまで優れている必要はないけれど、強運がなければいけないと言えるかもしれません。そういった意味では、笹井氏は天才的な研究者だったようです。そして非運、悲運の。iPS細胞では、当時、世界中の多くの研究者が同じ手法でiPS細胞の作製を目指しており、iPS細胞の作製に成功しノーベル賞に到達することは時間との競争で、新しい発想が必要だった訳ではありません。つくづく運命とは皮肉なものだと思わざるを得ません。

そして、今年の8月5日。悲劇は起こりました。天才的研究者、笹井氏の自殺。遺された複数の遺書から、知られていなかった真実が明らかになるかとも思いました。「小保方さんのせいではありません。」「STAP細胞を証明してください。」「新しい人生を歩んでください。」などの表現を目にしたとき、私は、彼は彼女を本当に大事にしていたんだな(愛していたんだな)、と思いました。STAP細胞がないことはすでに彼は知っていたはずなのに。理研内では、映画「ボディーガード」で、ホイットニーヒューストンを守るケビンコスナーを気取っていたそうですが、自分の死に際しても、彼女を守ろうとした、、、、。笹井氏には妻子もいたようですから、人目を憚る関係であったのでしょうが、研究所では大手を振っての同志。研究の道に足を踏み入れた女性が、天才肌の研究者に恋し、男盛の研究者が、日夜傍にいて研究に邁進する妙齢の美しい女性に心を奪われるのも不思議ではない、というより、そうならない方が不思議です。また、笹井氏ともあろう人が、STAP細胞が存在しないことや、小保方氏が研究者として稚拙であることを、認識しなかったはずがありません。少なくとも、論文がpublishされたのち、様々な疑惑が沸き起こったあとは。勿論、ことの始まりは、殊に、iPS細胞に再生医学研究におけるひな壇をさらわれたことなどの研究者としての焦りなどがあったのかもしれませんし、故に研究者としての能力を見抜くことは難しいことではなかったはずなのに、目くらましにあってしまったのでしょう。

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そして大方の想像通り、STAP細胞の存在は証明されることなく、検証実験は終了。小保方氏が200回以上作製に成功したのはES細胞だったのでしょう。小保方氏は退職。野依氏を冠する理研らしい幕引きです。

小保方氏の研究者としての将来がないのは自明です。多量のコピペが発見された博士論文であるにもかかわらず、早稲田が彼女の博士号の撤回を決定しないのもおかしな話ですが、捏造論文で教授職を得ても、教授職に留まることのできる日本ですから、所詮、そんなものなのかもしれません。

 

自己責任とはいえ、小保方氏に出会ったことが悲劇の始まりとなり、自らの命を絶った笹井博士。日本も世界に誇れる研究者を失いました。悲しいことです。Nature blogも笹井博士の死に際してコメントを出しました(記事)。

JAPAN-STEMCELL-RESEARCH-SCIENCE-SCANDAL

彼の死を止めることはできなかったのか。私が小保方氏で、本当に彼を愛していたなら、「捏造は全て自分がやった。彼の責任ではない。」と言ったと思います。そして、おそらく、それが真実だろうと思います。研究者でない人は、「彼は指導者なのだから、彼女の不始末は彼の責任。」と軽々しく言いますが、何千という実験の全てをコントロールすることは、指導者であっても不可能に近いことです。このあたりの事情は、やはり経験者にしか理解できないのか、非研究者と研究者、文系研究者と理系研究者、また、理系研究者であっても、同じような実験系を使う研究者と使わない研究者とでは、意見が異なっているのが印象的でした。

 

私の気持ちに近い記事を発見したので、リンクを貼っておきます。週刊現代という雑誌がどういう雑誌かは知りませんが、バランス良く(私の好みに)書かれているような気がします。産経のこちらもおすすめです。

最後に、、、。小保方氏が確信犯であったのかどうか、ずっと想いを巡らせてきました。小保方氏が全くのおバカさんで、自分の間違いに気づいていなかった。あるいは、確信犯であった。私の結論は、後者です。おそらく、大学時代に始めたコピペなりの小さな不正が想像以上に有効で、その成功に味をしめ、不正を繰り返した。そして、その不正は徐々に膨れ上がり、後戻りできなくなってしまった、、、。

笹井氏の死という大悲劇をもたらしたことで、彼女が少しでも後悔してくれていることを祈ります。