先日、3年前の12月8日に、2つの胚盤胞を移植したことを書きました。
それまで、日本やスエウェーデンを含め、ヨーロッパ周辺各国で最低20回はIVFを試みてきました。採卵するたびに凍結可能な胚盤胞が得られていたため、諦め切れずにズルズルと治療を続けていました。IVF経験者の中には、諦めた途端に自然妊娠した、という話も良く聞きますが、私たちの場合、夫が脊髄損傷患者ということで、IVFを諦めて自然妊娠に期待するという可能性はあり得ません。ですから、いつか諦めなければならないとは理解していながら、その決断をすることが怖くて仕方がありませんでした。子供を諦めることより、そのような大きな決断をする勇気がなかったと言えるかもしれません。
3年前の治療にあたっては、夫と同じ日に受傷したメンターのClaesは勿論のこと、彼の学位の指導者だったPeter Sjöblom博士の助けがありました。彼については別稿で述べるとして、この時の治療は、先日も記載したように、世界に誇れる卵子凍結技術を持つ加藤レデイースクリニックの技術を取り入れた、ロシアのクリニックでした。ストックホルムからも比較的近く、望めば日帰りも可能、また、すでにIVFに掛けた費用が8桁に達していた私たちにとって、スウェーデンや日本に比べて安めの価格が魅力的でした。ロシア語も出来なかった私にとって、当時そのクリニックに勤務していた知人の女医さんを頼ることができたのも幸運でした。
新鮮胚を移植した前回の治療で発見した、お気に入りのレストランがクリニックの近所にあり、そこでタコのサラダやピザなど、お気に入りのメニューでお昼を済ませてから、移植に臨みました。
手術室のライトは赤と緑のクリスマスカラーになっていました。移植だけですので、あっという間にすみました。頭の中で、どこか現実のものとは思えないような感覚が交錯して、同時に、「どの道、成功することはないのだろうな〜。」とボーッと考えていました。ひとつだけ嬉しい驚きだったのは、子宮内膜が12 mmと過去最高だったことでした。
1時間くらいベッドの上で休んでから、ホテルへの道の途中にあるレストランで、好きなロシア料理を食べました。
イクラとパンケーキにスメタナ!ゴールデンコンビ!
言わずもがなのボルシチ!
デパートで、キャビアを眺めました。ロシアルーブルが値崩れしている今なら、もっとお買い得だったのかしら。
また、ここに来ることがあるのかなあ。次はどこへ治療の旅をするのかなあ、などと思いながら、空路、帰途へ着きました。
こんな感じで、全く期待していなかった移植の旅でした。
帰国してからも同じように働き、子供もいないので特にクリスマスや年末年始もお休みを取る必要がなかったため、通常勤務が続きました。
ずっと治療してもらっていた漢方の中国人の先生は、私の脈を取って、「もしかするかもよ。」と言ってくれましたが、「妊娠なんてありえない」と思って(思うようにして)いた私。
そして、12月19日。移植11日目の採血。
hCG 558。同じ年の春に妊娠したときの倍近くありました。まさかね。胚は着床したらしいけれど、前回もそこから流産したし、きっと糠喜びになるに違いない、と思いました。
そして、年末12月27日。この日もまだ勤務。hCGは9200。順調に伸びています。大晦日には2組の友人夫妻が来てくれたので、私は一応ノンアルコールで乾杯。しかし、ノンアルコールのワインとかビールって、美味しくないのね。普通に深夜まで飲み食いして、片付けて床に着いたのは、元旦の朝の5時でした。
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