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2011年12月(3年前の話のつづき)

先日、3年前の12月8日に、2つの胚盤胞を移植したことを書きました。

それまで、日本やスエウェーデンを含め、ヨーロッパ周辺各国で最低20回はIVFを試みてきました。採卵するたびに凍結可能な胚盤胞が得られていたため、諦め切れずにズルズルと治療を続けていました。IVF経験者の中には、諦めた途端に自然妊娠した、という話も良く聞きますが、私たちの場合、夫が脊髄損傷患者ということで、IVFを諦めて自然妊娠に期待するという可能性はあり得ません。ですから、いつか諦めなければならないとは理解していながら、その決断をすることが怖くて仕方がありませんでした。子供を諦めることより、そのような大きな決断をする勇気がなかったと言えるかもしれません。

3年前の治療にあたっては、夫と同じ日に受傷したメンターのClaesは勿論のこと、彼の学位の指導者だったPeter Sjöblom博士の助けがありました。彼については別稿で述べるとして、この時の治療は、先日も記載したように、世界に誇れる卵子凍結技術を持つ加藤レデイースクリニックの技術を取り入れた、ロシアのクリニックでした。ストックホルムからも比較的近く、望めば日帰りも可能、また、すでにIVFに掛けた費用が8桁に達していた私たちにとって、スウェーデンや日本に比べて安めの価格が魅力的でした。ロシア語も出来なかった私にとって、当時そのクリニックに勤務していた知人の女医さんを頼ることができたのも幸運でした。

Exif_JPEG_PICTURE(写真は前回治療時、9月のもの)

新鮮胚を移植した前回の治療で発見した、お気に入りのレストランがクリニックの近所にあり、そこでタコのサラダやピザなど、お気に入りのメニューでお昼を済ませてから、移植に臨みました。

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手術室のライトは赤と緑のクリスマスカラーになっていました。移植だけですので、あっという間にすみました。頭の中で、どこか現実のものとは思えないような感覚が交錯して、同時に、「どの道、成功することはないのだろうな〜。」とボーッと考えていました。ひとつだけ嬉しい驚きだったのは、子宮内膜が12 mmと過去最高だったことでした。

 

1時間くらいベッドの上で休んでから、ホテルへの道の途中にあるレストランで、好きなロシア料理を食べました。

イクラとパンケーキにスメタナ!ゴールデンコンビ!

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言わずもがなのボルシチ!

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デパートで、キャビアを眺めました。ロシアルーブルが値崩れしている今なら、もっとお買い得だったのかしら。

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また、ここに来ることがあるのかなあ。次はどこへ治療の旅をするのかなあ、などと思いながら、空路、帰途へ着きました。

 

 

こんな感じで、全く期待していなかった移植の旅でした。

帰国してからも同じように働き、子供もいないので特にクリスマスや年末年始もお休みを取る必要がなかったため、通常勤務が続きました。

ずっと治療してもらっていた漢方の中国人の先生は、私の脈を取って、「もしかするかもよ。」と言ってくれましたが、「妊娠なんてありえない」と思って(思うようにして)いた私。

そして、12月19日。移植11日目の採血。

hCG 558。同じ年の春に妊娠したときの倍近くありました。まさかね。胚は着床したらしいけれど、前回もそこから流産したし、きっと糠喜びになるに違いない、と思いました。

 

そして、年末12月27日。この日もまだ勤務。hCGは9200。順調に伸びています。大晦日には2組の友人夫妻が来てくれたので、私は一応ノンアルコールで乾杯。しかし、ノンアルコールのワインとかビールって、美味しくないのね。普通に深夜まで飲み食いして、片付けて床に着いたのは、元旦の朝の5時でした。

 

2014-12-26 20.14.34

 

 

 

 

不妊治療の旅 壱

私にとっての不妊治療は、全て顕微授精。最初の治療は2008年3月。2007年4月にスウェーデンへ移住。スウェーデン語を始め、2007年8月にSASBに合格し、9月から6ヶ月の臨床研修を始め、その研修が終わろうとしていたときでした。もともと子供を欲しいと積極的に思ったことのなかった私ですが、当時妹が子供三人を連れてスウェーデンに留学したことで、母性本能に火がついてしまったのです。スウェーデンでは、38歳までであれば3回のIVFを無料で受けることができますが、私は既にその年齢を軽く越していたため、ストックホルム市内の私立病院にお世話になりました。何回か試みれば妊娠するのではないかと軽く考えていた私でしたが、それは大きな間違いでした。

その病院では、ホルモン注射をかなり使って卵巣を刺激し、1回目は10個近く、2回目は20個近く採卵をしました。2回目はOvarian hyperstimulation syndrome (OHSS) になってしまい、かなり腹水が貯留して呼吸困難となり、死ぬかと思いました。胚盤胞まで培養することもなく、生理が来たときには、「残念。でも私たちはベストを尽くしたのよ。」という超スウェーデン的な言葉を投げかけられ、信頼も希望も失うことになります。職場では自分の使えないスウェーデン語に苦しみながら、仕事の間隙を縫って検査や治療に通いました。OHSSになっても、重い体を引きずりながら、手術室へ向かいました。これまでずっとそうでしたが、治療で何が一番辛いかというと、辛い検査や採卵などではありません。治療の過程にいるときは、希望があり、辛くても辛いと感じないものです。本当に辛いのは、出血が始まったとき。妊娠初期は出血もありうるということで、出血しながら膣剤を使うときの無力感。妊娠検査薬で、あらゆる方向から見て、「もしかして線が見えるかも?」と言ってみるときの虚しさといったら、、、。

そんな中で、何とか医師免許を取得し、職も得ることができましたが、治療の旅は続きました。スウェーデンで治療することを諦めた私は、日本での治療を考え始めました。いくつか候補のうち、ある不妊治療専門のクリニックのホームページで、母校の先輩の名前を見つけ、すがる思いでメールを出しました。それ以降その先輩に、非常に親身になって面倒をみていただきました。今日があるのは、この先輩のおかげであるといっても過言ではありません。そのクリニックは、世界で最も多く採卵を行っていて、高齢者の治療経験も非常に豊富でした。先輩のおかげで、遠隔治療と遠隔検査をした上で、数日の日本滞在で治療を行うということを、何回もしました。幸い、毎回採卵に成功した上、受精も胚盤胞凍結も可能で、希望が湧いてきましたが、hcg値が多少上昇するものの、妊娠には至らないという経過が繰り返されました。短期間の帰国では無理があるのかと考え、数ヶ月無給で休暇を取り、帰国したこともありました。この期間には、数回ドミノ移植も試みました。失敗を重ねるうちに、子供が生まれるということは、一つ一つのステップがまさに奇跡なのだということを、身をもって感じるようになりました。そして、あらゆることにおいて、「見聞きする」ことと、「実際に経験する」ということの間には、天と地ほどの認識の違いがあるのだということを学びました。それは、医師としての私の生き方にも、人間としての生き方にも影響を及ぼしました。「思いやり」とは、決して過ぎることはないのだと。そして、自分が経験していないことについて、軽々しく語るべきではないことを。私の人生にとって、辛い経験ではありましたが、非常に意味のある貴重な経験となり、人間として成熟できたのではないかと思っています。

治療のために日本とスウェーデンを往復するためには、生理周期の調節だけでなく、仕事のスケジュールの調節など、様々な苦労が伴いますが、成果が出ない期間が長くなるにつれ、日帰りも可能な地域での治療を考え始めました。


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