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ノーベル賞晩餐会のメニュー

いつもながら、記事を更新できるのがいつになるのかわからないため、簡単なところから。

今年のメニューは例年に比べても評判が良かったのではないかと思います。

 

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主賓テーブルは80cm幅ですが、それ以外は60cmですので、多少窮屈な感じは否めませんが、オレフォッシュのノーベルのセットがとても美しい。右上のマテイーニグラスがシャンパングラスとして使われます。蓋つきの器の中には、前菜が既にサーブされています。

 

今年のメニューはこちら。

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前菜は、カニと野菜のゼリー寄せに、カリフラワーのスープをかけたもの。

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実はスープが掛かっていない方が美しいのです。

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スープはオマールエビのスープのような濃厚な味。カニがプリプリしていて、とても美味しい。

 

メインは鹿のステーキ。これは絶品でした。付け合わせのマッシュポテトの上にカリカリにローストされた玉ねぎが掛かっているのも、素晴らしく美味しかった。

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デザートはお決まりの花火と共にサーブされます。

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絵のように美しいデザート。サフランのパンナコッタが美味しかったです。

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コーヒーとともにコニャックもサービスされたのですが、翌日大手術があったので我慢。

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とはいえ、最初の極上シャンパンでほろ酔いご機嫌な私。

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授賞式、(食事以外の)晩餐会については、また改めて。

やっとのことで昇進

つい最近まで、経済的事情により、昇進を止めていたカロリンスカ大学病院。

本来ならば、随分前に昇進しているはずだったのですが、ようやく昇進したのは先秋のこと。今日、新しいネームプレートを受け取りました。

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上が今までのもの。下が新しいもの。

スウェーデンでは日本と異なり、アカデミックなタイトルと臨床のタイトルが分かれています。

アカデミックなタイトルは、教授(professor)と、日本で言えば准教授に当たるdocentの2種類。臨床のタイトルは、指導医のようなöverläkareが最も上の位で、その下にspecialistläkare(専門医)、ST läkare(専修医)、 AT läkare(研修医)などの順に続きます。大学病院では、överläkareとspecialistläkareの間にbiträdande överläkareというタイトルがありますが、今回はそのタイトルを頂きました。

ヒエラルキーのないスウェーデン社会といいながら、このようにタイトルが明記されたネームプレートを着けているのは、非常に奇妙ですが、私の経験では、実はヒエラルキーのある社会という印象です。他の病棟で診察したり、外来を担当しているときなど、コメディカルや患者さんがネームプレートをチェックする視線を感じることが多々あります。タイトルから経験値を推測しているのだと思いますが、specialistläkareのタイトルを得たときに、随分仕事がしやすくなったと感じました。

昇進が決まったら、次は給料の交渉です。私は給料を管理する部門の担当者に連絡し、科の全ての医師の給料リストを手に入れました。これは同僚の助言があってのことです。驚くべきことに、リストは簡単に入手できます。スウェーデンでは全ての人間の所得は公的な情報として誰でも知ることができます。Skattverketに連絡して、「xxさんの所得を教えて欲しい。」と言えば、教えてもらえます。

今回の目標は、biträdande överläkareの中で最も高い給与を得ることでした。実力的に考えても、経験からも、高望みとは思えませんでしたが、スウェーデンでの経験が少ないことや、移民であること、女性であることはマイナスになると予想されました。第一回目の交渉では、「No」と言われましたが、結局、biträdande överläkareで最も高い給与を得ている医師が、年度の給与交渉で賃上げとなる同額で折り合いました。つまり、私の希望はほぼ叶えられたことになり、とても嬉しく思いました。私にとっては、収入が増えることよりも、正当に評価されることが重要だったのです。

 

 

話は変わって、最近の双子。夜はそれぞれの柵付き子供ベッドで寝ているのですが、お休みのときに、投げキッスをしてくれるようになりました。「おやすみ。」と言うのが辛くなります。しかし、ワイルド度も日々増しています。疲れ切って職場から帰宅しても、マシーンガンのように日々のルチーンをこなし、やんちゃな双子に対して切れることのないよう、悟りを開こうとしています。今までで最大のピンチ、というより、最も辛い日々のような気がします、、、。

 

「開けない夜はない。」

ことを信じて、、、。

外科医にとって「筆を折る」こととは

「筆を折る」

外科医ならば、「メスを置く」とでも言えましょうか。物書きに(望まなければ)定年はないけれど、外科医には必ず「メスを置く」、つまり、手術をやめなければならない時がやってきます。しかし、定年よりずっと以前に、「メスを置く」ことを考えるときが、正常な精神を持つ外科医であれば必ず何回かはあるものだと思います。

 

世の中でメスの切れる名医と称される外科医であっても、トレーニングの過程、そして、新しい術式や、難しい症例を扱うことになれば、所謂、「屍を踏み越える」ことによって、技術を更に磨くというステップを避けて通ることはできません。ましてや、凡人ならなおさらのこと。

 

女性の外科医は何故少ないのか。男女平等が進んでいるスウェーデンでも然り。男社会で勝ち抜いてゆくことがタフであることは、折々述べている通りですが、それ以外の要因として、女性の感受性の強さも原因の一つとしてあるような気がしています。手術がうまくいかなかったとき、それにより自分を責める傾向は、女性外科医に強い印象があります。そして、その失敗をひきずってしまうことにより、手術をすることが怖くなってしまう、、、。

 

同僚を見回して、手術が上手な教授より若手の(教授は50代前半!)中に、手術が上手な先生がいます。勿論、男性です。彼がロボット前立腺手術を始めたときに、何と、両側の尿管を縛ってしまうということが起きました。私だったら、少なくとも数ヶ月は手術はできないでしょう。しかし、彼はその後も平然と手術を続けていました。カロリンスカ大学の泌尿器科では、世界でもいち早くロボットによる膀胱全摘を始め、中でも、膀胱摘出後の尿路変向をロボットで行う(つまり、体外ではなく体内で行う)術式を取る施設は、世界でも稀有です。今週は、そんな訳で、泌尿器科癌の治療においては、「泣く子もだまる」ニューヨークのメモリアルスローンケタリング病院から手術の見学にやってきました。連日、3つの手術室で、3台のロボットによる、膀胱全摘、前立腺全摘が行われているのを見て、驚いているようでした。現在では、膀胱全摘の部分は1時間弱で終了するようになり、総手術時間は、回腸導管で3時間、自排尿型新膀胱でも4時間強と、開腹術に劣らぬようになりました。出血は殆どしませんし、患者さんも1週間以内に退院するようになり、手術後の疼痛も激減しました。しかし、5年ほど前に私が初めてこの手術を見たときには、手術の上手な教授でも10時間近くかかり、しかもその患者さんは術後に脳梗塞を起こした上、尿管の吻合部狭窄、腎不全と合併症を起こし、現在も腎瘻を挿入したままです。その後、患者さんは教授を訴えましたが、特に外科医側のミスが認められた訳でもなく、必然的に教授はその後その患者さんを診察することもありませんでした。文字通り、その患者さんは手術の進歩のための踏み台となった訳です。

手術の失敗、というより、手術で合併症を起こした件につき、それぞれの外科医と膝をつめて話した訳ではありませんし、彼らが心を痛め、それを克服した上で続けていることを否定しませんが、男女を比べると、男性の方がタフであるように思います。

私にも、苦い経験はいくつかあります。例えば、20年ほど前に膀胱全摘をしたおばあちゃんがいました。彼女は、大腸癌で結腸半切など、いくつかの腹部手術を受けていました。手術は特に問題なく行われましたが、腸の癒着を剥離し切れていなかった横隔膜下に浸出液がたまり、感染、イレウス、腎不全となり、ドレーンを利用した腹膜透析までしました。しかし、ある日、膣断端から便の排出を認め、つまり、腸管吻合不全となってしまいました。その後、多臓器不全となり、最後はストーマから大出血して、救命することができませんでした。術後1週間以内のことで、所謂、「術死」となります。指導医のもとでの手術でしたが、執刀医であることに代わりはなく、深く深く傷付き、落ち込みました。術死の経験はその一件だけですが、苦い経験をする折々に、「筆を折る」ことを考えました。待機手術で合併症が起こった場合、外科医がメスを入れることにより病状が悪化することが有り得ますし、下手な手術をして癌の治癒が期待できなくなったり、機能を損傷してしまうことも少なくありません。人間の体にメスを入れるということは、それだけ責任が重いということです。

スウェーデンでも、数年前に同じように合併症で手術数日後に亡くなった患者さんがいましたが、執刀医は休暇中で、出勤してくることはありませんでした。日本ではそういう訳にはいきませんが、スウェーデンでは患者さんの急変時でも、主治医に休暇中の出勤義務はありません。大きな手術になればなるほど、起こりうる合併症にも大きなものが増えます。長い手術の肉体的負担に加え、合併症を乗り越えていかなければ、外科医としての腕が上がらないという精神的負担の双方を抱えるには、男性の方が有利なのでしょうか。スウェーデンにおける最大かつ最先端の大学病院の泌尿器科でさえ、膀胱全摘や前立腺全摘をする女性外科医が、私以外にはいないことは、とても不思議に思えるのですが、やはり、女性には荷が重いのでしょうか。

 

私がロボット前立腺全摘の術者を30件くらいこなしたところで、自分としては、かなりいけていると勘違いしていましたが、その後、難しい症例にあたって、その自信は見事に砕け散りました。500例ほど経験のある年上の先生と話をしたら、彼も30件ほど手術した時期に、同じような経験をしたそうです。その後も上がったり下がったりしながら、上達していったとのこと。前立腺全摘の際は、ミリメートル単位での切除範囲の決断が必要になります。切除し過ぎれば神経を損傷することになり、切除範囲が少な過ぎれば、癌が残る危険性があります。しかも、人間の前立腺は十人十色で、形も大きさも性状も人それぞれなので、十分な症例数をこなさなければエキスパートとはいえません。

 

体力、精神力の続く限り、「筆を折る」ことなく、外科医道を邁進したいと思っていますが、1歳半の双子を抱え、オンコールでも働いているので100%以上働いていることになり、正直に言えば、かなりきついと感じています。人は皆、口を揃えて、「もう少し勤務を減らした方が良い。」とアドバイスしてくれます。今後のライフスタイルについては、考慮の余地がありそうです、、、。

1歳の誕生日と洗礼式

スウェーデンの今年の夏は、好天に恵まれ、とても美しい時間が流れています。そんな美しいストックホルムで、2013年7月3日、双子は1歳の誕生日を迎えました。そして、1歳の誕生日に、洗礼式を行いました。

 

この日のために、日本人女性パティシェのYさんが渾身のプリンセスケーキを作ってくださいました。双子に手をつながせたかったという彼女の想いがとても嬉しく、ナイフを入れるのがとても辛かった。

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そして、双子の洗礼式に先立ち、結婚式も。Yさん作、日本の誇れるショートケーキ。イチゴは勿論、スウェーデン産。

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未だに写真の整理などができておらず、詳細は後日。

包茎の治療と文化 弐

尾篭な話の続きですので、興味のある方だけどうぞ、、、、。

 

 

あれから20年近く、背面切開術も、環状切除術もいくつも経験しましたが、あのときのことは決して忘れることはありません。医学部時代に同じご遺体を解剖 した4人のうち3人が泌尿器科医になりましたが、そのうちの一人は、「赤ちゃんへの背面切開」を勧めています。これについては泌尿器科医でも賛否両論があ るのですが、私は賛成派です。生まれてまもない赤ちゃんに背面切開をすると、縫合の必要もなく1週間もあれば傷は治癒しますし、成長の過程で切開したこと などわからなくなってしまいます。切開しておけば、恥垢も簡単に洗い流せますので、前稿に述べたように、赤ちゃんの亀頭包 皮炎も予防できます。そして、私の友人の弁によると、「おちんちんが大きく育つ」のだそうです。

彼が自身の息子の切開をしたという話を聞いて、妹の息子一 人の切開を、(自分ではやりたくなかったので)当時勤務していた大学の教授にお願いしました。「お前、自分でやれよな~!」とのたまいながら、眼科用の小 さなハサミで切開して下さいました。実に生後1ヶ月未満だったと記憶しています。彼が1歳頃には、完全に包皮は剥けていましたし、おちんちんの成長も早い ように思います。

そして、双子を授かったときに、自分で切開しようと決意しました。しかし、未熟児で生まれた息子になかなかハサミを入れる勇気が出せず、生 後2ヶ月ほどで、まさに清水の舞台から飛び降りる感じで切開しました。勿論、「ぼく」は大泣きしました。まだ小さかった、はだかんぼの「ぼく」を抱きしめな がら、私も泣きました。世の中には、自分の家族の体にメスを入れることが出来る外科医がいますが、もしかしたら私には無理かもしれないと、そのときに思いまし た。

あれから半年以上経ちました。切開創は数日で治癒し、生後3ヶ月にもなると、既に包皮は半分以上剥けています。これから少しずつ剥いてゆく予定なので、1歳頃には完全に剥けているのではないでしょうか。

小児の包茎の処置については、泌尿器科医でも意見が分かれるところですので、これは私個人の意見と経験でしかありません。もっとも、小児に対する環状切除はやりすぎだと思っています。ユダヤ人やイスラム人は子供に対して環状切除を行います。痛みの感覚があまりない生後8日目で行うという話を聞いたことがありますが、環状切除は背面切開に比べれば、大きな侵襲のある外科的処置です。包皮をぐるっと一周切除するのですから。

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実はスウェーデンでは、公立病院で小児へ環状切除をするかどうか医療区によって扱いが異なっています。認めている医療区における考え方は、もし認めなければ、「イスラム人は自分の家の台所で、環状切除を子供に行う」事例が増加し、出血や感染などといった処置後の合併症処置は病院で行うことにより、環状切除を行う以上にコストがかかる、というものだそうです。スウェーデンの病院で働くようになって、成人イスラム人の診察をすることも良くありますが、亀頭が見事につんつるてんになっていて、つまり、包皮が全くないのです。また、ある程度歳になってから、美容形成クリニックなどで環状切除を行うと、どうしても、縫合部の皮膚の色が同じにならず、ツートンになってしまうため、手術したことを隠すことはできません。しかし、彼らの場合、小児で行っているため、ツートンにはならないのです。しかし、あそこまでつんつるてんだと、却って違和感を感じてしまいますが、、、。スウェーデン人は、あまり包茎にはこだわらない?のか、日本人と同様、仮性包茎が多いです。

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やはり、赤ちゃんに環状切除をするのは反対だなあ。勿論、国により、HIVなどの感染予防のために、環状切除を行うという場合は別ですが、、。また、成長の過程で、「仮性包茎(勃起時には亀頭が露出する)」であれば問題はないのですが、勃起しても亀頭が露出しない、「真性包茎」は環状切除の医学的適応になります。恥垢がたまると、不潔であるだけでなく、陰茎癌の原因になります。陰茎癌の患者さんはもれなく包茎です。真性包茎ですと、バルーニングという現象が見られることがあります。排尿の際に、包皮と亀頭の間に尿がたまって、風船のようになる現象です。

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環状切除(circumcision)反対の活動家までいるのは、知りませんでした。包茎に対する考え方には、さまざまなものがあって、非常に奥が深い。大論文が書けそうなくらいです。スウェーデンでは幸い、小児泌尿器科は完全に独立しているため、私は小児を診察しない環境にありますので、包茎に関してはお気楽なものです。

同僚からの嬉しいメッセージと抱負

先日、職場で泣いたことを書きましたが、これまでに職場で涙を流したのは2回。そのうち1回が人前でした。最初は、医師免許を取る前の臨床研修で、そのときの指導者の話す「スコンスカ」(スコーネ訛りのスウェーデン語)が理解できなかったところ、彼が英語に切り替えて話し出したとき、物陰で悔し泣き。今回は、いろいろな事情で、これまで自分がやりたい手術の術者ができなかった、学びたい手術を学べなかったということに耐え切れず。こうなったのは、誰かが私に意地悪をしようとしてのことではなく、たまたま私が運の悪いポジションにはまってしまったからなのですが、特に、ロボット手術に関しては、今まで4年近くで300例ほど助手をして辛抱し、順番が回ってくるのを待っていましたが、もう限界でした。

スウェーデンは男女平等といいますが、実際はやはり男性が有利であることが多いというのが私の感想です。少なくとも、外科領域ではそうです。男性と同じように、大手術を手掛ける女医さんは、大抵マッチョ。泌尿器科の中で、膀胱全摘やロボット手術を手掛ける女性は私だけ。同僚の女医さんたちは、それゆえ、私のことをタフだと言います。私は、私の興味のあることをしたいだけで、何も好んで長時間の大手術をしたい訳ではありませんし、男性と競争したい訳でもありません。しかし、男性は男性でかたまっていて、どうしても、男性に有利にことは運びます。それは、他の女医さんたちも常に感じていることだそうです。移民かそうでないかという線引きよりも、男性か女性かということで待遇が変わることの方が多いように思います。

最近、前立腺チームのチーフになったM先生は、とても好感の持てる先生。先日、彼とロボット手術をする機会があって、初めてロボット手術をほぼ通しでやらせてもらうことができました。初めてにしてはまずまずの出来だったのですが、その日のうちに、何人かの先生からメッセージが届きました。

Hej !
Jag hörde rykten idag att du opererade en helt perfekt RARP. Karolinskas första kvinnliga robotkirurg!!
ETT JÄTTE-GRATTIS!! (今日、完璧なロボット前立腺全摘をやったという噂を聞いたよ。カロリンスカで初めての女性ロボット外科医!本当におめでとう!!)

また、M先生が、「世の中は不公平だ。自分が少し言えば、言ったとおりに手が動くんだから。でも、だから指導していて楽しい。」と、他のロボットチームの先生に言っていたということを聞きました。

「う・れ・し・い!!!」

こんなことを記事にでもして、元気を出して、来年につなげたい!

女性である私は男性にはなれないけれど(というより、どんなときも女性らしさを失わないでいたい)、何とか、男性と共生しながら、男性に負けないように頑張りたい。

折りしも、麻酔科の女医さんがこんなことを言ってくれました。

「先生は、とっても女性らしいのに、男性のようにタフな手術をして、すごいねー。先生と一緒に仕事をするのは楽しいって、手術室のスタッフが言っているわよ。」

こんな言葉には、思わず、涙腺が緩みそうになります。

母親業と外科医の両立は大変だけれど、これからも踏ん張ってゆきます!男性優位にも負けないぞ~。

夢を持つということは忍耐

7月に31週1日で帝王切開で双子を出産して、3週間入院し、1ヶ月訪問診療で自宅療養した後、10月から仕事に復帰した。ひとつの大きな理由は、どうしても母乳で育てることができなかったから。そして、まだまだ外科医として修行したいことがあるため、早く手術に復帰したかったこと、私を待っている患者さんがいたことなどがある。職場に復帰すると、一人出産しただけでも早い復帰なのに、双子ということもあって、半ば「狂人」呼ばわりされた。勿論、親しみを持ってのことだけれど。復帰するとすぐに、長時間の手術も担当することになり、やはり辛いことも多々あれど、頑張るしかない。

しかし、私の職場は、お世辞でも良い職場とはいえない。この1年間で、何人もの医師が退職していった。スウェーデンらしく、表面上はそれほど波風が立っている訳ではないが、水面下での軋轢には驚くべきものがある。日の当たる仲良しグループに入っていなければ苦労するし、男女平等とはいいながら、やはり男性優位かつ、男性は男性で固まっている。移民でかつ女性である私にとっては、優しくない環境ではあるが、今まで、おいしい思いをすることなくとも、おとなしく、あくまでも和を重んじて働いてきたおかげで、争いに巻き込まれずにきたし、おそらく好感を持ってもらっていると思う。小ボスが交替して、新しいポストにつくときには、なるべく高い給料水準を目指すようになってきた関係で、新しく専門医になった医師は私よりはるかに高い給料を得ている。ここで、労働組合の力を借りても良いところだが、スウェーデンでは、労働組合に話をするということは、すなわち、問題を自分で解決できない、つまり、ボスとうまく話ができないと理解されるため、ボスとの関係がぎくしゃくするのを覚悟した上での最後の手段であるため、低い給料に甘んじてきた。専門医から次のステップであるöverläkare、カロリンスカでは、その間に、biträdande överläkareという階級があるが、そのポジションを得たときに、基本となる新しい給料水準の交渉をするということで話がついている。しかし、昨今の厳しい経済状況の下、カロリンスカでは新しい医師の雇用をストップし、昇級もなしという状態が続いていた。人間関係の軋轢を嫌って退職していった複数の医師の他、つい最近では、若手のロボットの名手が退職した。離婚して、新しいパートナーと知り合った彼は、より高い給料を望んだが叶わず、市内にありロボットを有する病院と交渉し、倍近くの給料で契約した。スウェーデンでも日本と同様、大学病院における医師の給与水準は、一般病院に比べて低い。私は日本でもほとんど大学病院勤務であったが、その理由は、臨床だけでなく、研究もするアカデミックな環境での勤務を希望していたためである。そのため、研修医時代の月給2万5千円に始まって、所得は常に低かった。留学は持ち出し覚悟であったが、離島の大学病院で一定期間勤務することを条件に、有給で留学できたこと、また、複数の奨学金を受けることができたために、ひもじい思いをせずに留学できたのは、せめてもの幸いであった。

スウェーデンに移住してから今まで、まさに「忍耐」ということに尽きる生活をしてきた。そろそろ自己主張をしようかと考えていた矢先に双子を授かり、自己主張は先延ばしとなったが、思ったより早く復帰したため、また自己主張を考えなければならない状況になった。ポジションと給与もそうだが、ロボット手術のトレーニングに関しては、もう少しがめつくならければいけない。これまでも同僚に、「vassare armvåge(鋭い肘鉄)」、つまり、もう少し主張するように言われてきたが、うまくやらないと嫌われるだけで望みのものは手に入らないため、一歩引いていた。男性同僚との競争は勿論のこと、海外から、ロボット手術習得目的のフェローを多く受け入れているため、彼らとも競争しなければならない。これは今回の議論からは外れるが、不思議なことに、最も多いのがギリシャからのフェローである。最悪な経済状態で、EUのお荷物になっているギリシャ。そのギリシャに、超先進医療であるロボット手術を受けることができる金持ちが沢山いる。そして、高価なロボットを購入できる病院がある。しかも、ロボット手術を目指す医者がこれだけ沢山いる。彼らによると、賄賂の蔓延しているギリシャでは、手術を受けるにも、かなりの額の「money under the board」、つまり、袖の下が必要なのだそうだ。そんなギリシャの医療のために、私がギリシャ人のフェローと競争しなければならないというのは、何とも納得いかない。私が指導医となっているドイツからのST läkare(専修医)の女医さんは非常にタフで、オペ室で、ギリシャ人フェローと症例の取り合いになったとき、「This is MY case!」とピシャリと言って、症例を勝ち取ったそうだが、なかなか私にはそんな風にはできない。それでも、先日、これはイギリスからのフェローと取り合いになり、「これは私の患者さん」と思わず強く言ってしまったが、出てきたのはスウェーデン語で、何とも情けなかった。

いがみ合っている同僚がいる訳ではなく、コメディカルとは非常にうまくいっているため、退職していった医師と比べれば、針の筵に座っているという状況ではないのだが、それでも夢に向かう道が厳しく遅々として前に進まないのは辛い。ときどき、転職してしまおうかという気持ちにもなるが、やはり、将来的にも研究も続けたいと思うと、我慢して大学病院にいるしかない。まさに、「夢のためには忍耐」である。

喜びの涙 「tårar av glädje」

喜びの涙に遭遇することは、あまりあることではありません。私自身も、喜びの涙を流したことは数えるほど。

最近、心を動かされた喜びの涙は、ある患者さんの涙でした。

 

彼は数年前に、膀胱癌のため膀胱全摘を受け、年齢も50代と若かったため、今までどおり排尿ができる新膀胱を造設しました。ところが、新膀胱に関連するありとあらゆる合併症に苦しむことになります。尿失禁、完全に排尿できないため自己導尿、そして、繰り返す腎盂腎炎。タクシーの運転手さんという職業柄、適時に排尿できませんし、失禁も大きな障害となります。手術をした担当医に、再手術を請ったようですが拒否され、自殺まで考えたそうです。彼の合併症を考えると、残念ながら、新膀胱を回腸導管に変更し、ストーマにする手術をするのがベストと考えられますが、担当医は既に退職しているため、新しい執刀医が必要です。この手術は、癌の手術ではなく、機能を改善する手術ですので、以前も書いたように、癌の手術とは全く異なる意味で難しい手術です。しかも、前の手術から比較的短期での再手術。

 

最近、大きな手術の術者があまりいないこともあって、私が執刀医を引き受けることになりました。術前のCTで、右尿管にかなり長い狭窄があり、さらに、通常、左尿管はS状結腸の背側を通して右側へ移動し、右尿管と吻合して新膀胱へつなぐのですが、どういう訳か反対に手術がなされていました。右尿管狭窄部を切除することを考えると、左右尿管を右側へ移しなおす必要があり、術後の癒着なども予想され、難しい手術になることを覚悟しなければなりませんでした。

実際に、手術始めから、腹壁ヘルニアがあったり、癒着があったりして、難易度の高い手術でした。当初は、新膀胱の一部を導管として利用して、新たに腸管を採取しないことを考えていましたが、結局、長さも足りず、左右尿管もWalles吻合ではなく、Nesbit吻合にしなければならなかったため、小腸小腸吻合をせざるを得なくなりました。こういう臨機応変の手術では、執刀医がどこまで時間と手間をかけるかという思い入れによって、術式が変わってくることがままあります。時間を短縮しようとして、多少無理を押して術式を簡単にすると、殊に機能に関しては望むようにならないことは、外科医であれば経験はあるはず。手術のその場だけを考えれば、手術時間、出血量が少ないほど腕が良い外科医であると、数字の上では言えます。しかし、長期的な生命予後、機能を考えて、数字、殊に時間を多少犠牲にするという「思い入れ」は、外科医にとって非常に大切だと私は考えています。結局、手術時間は6時間ほどになりましたが、非常に満足のゆく手術ができました。

翌朝、手術室の回復室に回診したとき、手術の経過を説明しましたが、患者さんが突然涙を流し始めました。

「本当にこれまで辛かった。再手術を拒否されて、何回も死のうと思いました。」

「難しい手術なので、長期的に機能がどうなるかということは、現時点では保障できないけれど、うまくいきました。泣かないで。」

と患者さんの涙をぬぐってあげると、

「ありがとう。これは、喜びの涙。あなたに出会えて良かった。」

と嗚咽し、私の手を握ってきました。

炎症があり狭窄した尿管を、出来るだけ切除はしたものの、長期的に考えると、再狭窄という事態もありえます。したがって、手放しで喜んではいられない心境ですが、自殺を考えるまで追い詰められた患者さんのことを考えると、ここはともかく盛り上げて、戦う意欲を刺激するようにしなければなりません。

医師の仕事は私にとって天職だと思っていますが、良かれと思ってした治療が成功しないこともある訳で、喜びも苦しみも糾える縄の如く、その双方を背負ってゆかなければならない宿命なのです。

喜びの涙 「tårar av glädje」。それはとても美しく、それゆえ、切なくなります。

切なくなるほど愛おしい

4ヶ月を過ぎて、双子は一段と人間らしくなってきました。

少し前までは、人間同士のつながりというものをあまり感じませんでしたが、最近は親の顔を認識しているようです。双子が見せてくれる無垢な笑顔には、喜びを通り越して胸が締め付けられるような痛みさえ覚えるほどの切なさを感じます。

笑っている顔、泣いている顔、寝ている顔。どれも、切なくなるほど愛おしい、、、。

 

相変わらず髪の生えてこない、「わたし」。体重5.3キロ、身長57センチ。

食欲旺盛な「ぼく」。体重6.1キロ、身長61センチ。

4ヶ月になりました!

11月3日で双子は4ヶ月になりました。

 

「わたし」には、手術室の看護師さん達からいただいた、Baby Gapのスカートとタイツを着せてみました。3ヶ月から6ヶ月用で、まだ少し大きめですが、何とも可愛らしいです。早く髪の毛が生えてくれば、もっと女の子らしくなるのですが、今はまだ「剥げたおじさん風」。

アームチェアーに二人で座ってもらいました。

 

「わたし」によだれかけを引っ張られてずり落ちた「ぼく」は大泣き。「わたし」はお得意の舌を出したまま涼しい顔。やはり、一分早く生まれた「わたし」がボス?

3ヶ月を過ぎた頃から、笑顔だけではなく、涙も出るようになりました。それまでは、いくら泣いても、一粒も涙は出なかったのに、、。涙が出るようになると、泣き顔はいっそう可哀相に見えます。

 

切れ長のおめめの「わたし」。

くりっと大きなおめめの「ぼく」。


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