最近、Twitterからの発信がメインとなっており、ご無沙汰しています。
Twitterで、基礎研究と臨床研究の比較について発信したところ、というより、某有名教授(臨床)が、基礎の教授に、臨床研究を貶されたとかでお怒りのツイートをされたのですが、そのリツイートで議論となった件を書いてみたいと思います。ツイートで対応しようと思ったのですが、長文になるのと、ツイートでは後からの微調整ができないため、こちらを利用しようと思った次第です。ツイートで感情的になってしまうと収集がつかなくなることがありますし(かなりメンタルにはトレーニングされましたが)。
残念ながら、お二方とも理解されていません。以下に、私の経験と意見を述べさせていただきますね。
こちらのポスドク3年目のMDと思われる方は、「楽かどうかで選ぶなら、学位などいらない。」とおっしゃっていますが、そうでしょうか。「学位は足の裏についた米粒のようなものだ。取っても食えないが、取らないと気持ちが悪いものだ。」と、医師仲間では揶揄される学位ですが、アカデミックキャリアを目指すなら、学位は必要です。
この方から、「可哀想な人」と評されたので、これまでの私自身の経験から説明しますね。なお、私は好きで「結果が出るか保証の限りではない基礎研究」に従事してきたので、幸せなのです。
海外でポスドク。夢がある時期です。自分で研究費の心配はしなくて良いし、時間は十分にある。私がポスドク先を探した時は、メールが無かった時代なので、連絡は電話かファックスか手紙。今のように、自分に合うラボを探すことが難しかったです。上司には、「臨床家のポスドクなんてアカデミックポジションのための箔付けなんだから、どこでも行けば良いのだ。」と言われ、それに従ったという経緯でした。
日本でラッキーにも学位の仕事が当たった人なら、ポスドク先が給料を出すこともあるでしょうけれど、それはなかなか難しい。そうすると、自分で奨学金なりを獲得するか、貯金を食い潰す覚悟で留学する訳です。当時は、スウェーデンでは無給でポスドクを雇用して良いことになっていたので、無給のポスドクが沢山いました。日本人は勤勉であることが知られていたので、無給であれば雇ってくれるところはありました。今は、基礎研究には当時以上の高額なランニングコストがかかるため、さらに難しいと思います。私の場合、一回目のポスドクは無給で、奨学金を獲得しました。2回目のポスドクは有給でした。合わせて8年くらいは基礎研究オンリーのポスドク生活をしました。時間をかけ、お金をかけて頑張ってもゴミ箱行きの実験の方が多いくらいで、その厳しさを身を持って体験しました。
ポスドクで良いラボに留学できれば、Natureなどの超一流誌に論文が出せることもあります。ただ、それで舞い上がるのは早い。通常、その業績は本人が優秀というよりは、出来るボスがいたことによるもの。しかし、自分が優秀だと勘違いしてしまった場合、ポスドクが終了してPIの道を歩み始めるとしっぺ返しがきます。基礎研究のための高額なランニングコストを捻出するためには高額な研究費を獲得する必要があります。ポスドク後すぐであれば、ポスドクの業績で何とかなるかもしれませんが、年月が経つのは早い。あっという間に5年くらいは過ぎます。そうすると、Natureであっても賞味期限が切れる。業績が出てなければ、それからは地獄の苦しみです。以前は、新しくPI候補をポスドク終了者から採用する時に、Natureなどに論文があれば非常に強かったのですが、むしろ、もう少しインパクトファクターが低めでも、ファーストオーサーが複数ある方が本物であろうという見方も出てきています。NatureにファーストオーサーがあってPIとして採用されたけれど、鳴かず飛ばずという研究者も少なくないからです。
MDが日本で臨床をしながらハイレベルの基礎研究をするのは、現在では難しくなっています。私がポスドクをしていた頃は、Natureでも、アイデアと結果さえユニークであれば、図表が10個以内でもアクセプトされました。Data not shownと記載して、言葉で説明すれば図表を示す必要が無かったのも過去のものとなりました。今は大変ですね。ウェスタンブロットのバンドの写真を提示するのであれば、元ブロットも提出しなければならない。統計処理をしてヒストグラムを提示するのであれば、スキャタープロットで全てのデータを示すだけでなく、エクセルファイルで全てのローデータを提出しなければならない。STAP細胞事件以来も相当改革がなされています。Supplementary figuresの情報量の多さも以前とは桁違い。
先日、リバイス、追加実験を含め、プロジェクトを始めてから10年近くかかってアクセプトされた論文の件をツイートしましたが(まだ掲載されていませんが)、ランニングコストだけでも数千万円かかっています。研究費の獲得だけでなく、研究にかかった膨大な時間を考えると、臨床をしながらできるようなものではありません。
ですから、最近の若いMDが、学位を取るために臨床研究を選ぶのは合理的なのです。カロリンスカ大学では、臨床研究であれば4年程度(それも臨床の片手間に)あれば学位が取得できますが、基礎研究であれば、フルタイムで研究をしても4年で取得できるのは運が良い方です。また、MDであれば、臨床から長く遠ざかることを嫌う人も多いです。臨床研究と基礎研究、どちらの研究が優れているかということではなく、どちらも医学の進歩のために必要なものである。優劣をつけるべきものではありません。しかし、基礎研究は時間がかかって大変であること、臨床をしながら基礎研究をするのは難しいということを表現したかったのに、「臨床研究は楽であるというのは差別である。」というような歪曲した理解をする方がいらっしゃるのは残念です。
件のアメリカでポスドク3年目のMDの方の発言はとてもナイーブです。ただ、「興味があることを研究するのが王道」と言えるのは幸せ、夢に溢れたポスドク時代ならではですので、是非、頑張っていただきたいと思います。10年、20年後になれば、私の申し上げたことを理解していただけるのではないでしょうか。
私の2回目のポスドクの際、憧れの雑誌、Cellにほぼアクセプトというところまで行ったことがあります。その時のプロジェクトというのは、まさに偶然の発見に始まりました。プロジェクトの前段階でステロイドホルモン刺激下での培養細胞の免疫染色を色々としていたのですが、その時に鳥肌ものの結果が出たことがきっかけでした。まさかのリジェクトをCellから食らったその論文は、Nature Cell Biologyでレビューに回りましたが結局リジェクト。最終的にインパクトファクター7程度の雑誌に掲載されましたが。Cellに掲載されていたら、私も勘違いして道を踏み外し、研究者として生きる道を選んだかもしれないため、リジェクトされて良かったと思っています。臨床医には研究者とは異なるプレッシャーや責任がありますが、毎日、患者さんに対して診療行為をしていれば生きて行けるため、個人的には、研究者の方が過酷な環境にあると思っています。好きなことを選んで研究すれば生きていけるというのは本当にナイーブです。
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