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給食!

日本の学校といえば、楽しい給食の時間!

私が小学生の頃の好きなメニューは、カレーうどん、揚げパン、シチュー、それに、外国では大きな声では言えませんが、鯨の竜田揚げ?みたいなもの。当時はまだご飯はメニューにありませんでしたし、お箸ではなく、先割れスプーン。ああ、実に昭和の響き。お箸が使えなくなる児童が増えるから、廃止されたようです。息子はお箸が使えなかったため心配したのですが、給食で鍛えられるうちに、あっという間に上手になりました。

小学校の給食メニューを見ると、いろいろバラエテイーに富んでいて楽しい。今も変わらず、交替で給食当番をやります。息子は早くもお当番さんになったため、週末に、帽子と白衣を洗濯するために持って帰りました。スウェーデンでは食堂へ行って食べるし、スタッフもいるので、日本とは大きく違います。

1ヶ月の給食費は1年生は4148円。1食あたり244円で食べさせていただけるのはありがたいけれど、スウェーデンでは無料。やはり、こういう部分は無料化すべきなのではないかと思います。公立ですから、給食費が痛い出費の家庭もあるはず。

給食の後はお掃除もあります。自分たちで汚したのを自分たちで掃除するというのは理にかなっているし、躾や道徳的にも良いというのは、日本人の考え方か?スウェーデンでは子供達がお掃除をすることはありません。

1年生は5時限までですが、世田谷区には学童と、学童とは別のBOP(Base of playing)というシステムがあります。学童には手続きが間に合わなかったため、就労証明書なしに入ることができるBOPに終業後お願いすることにしました。学童と異なり費用はかかりませんが、おやつは出ません。子供達は最初はどうしておやつがもらえないのかわからず、悲しかったよう。そして、学童より早く17時で終了になります。通常はお迎えなく、子供達は1人で帰ります(心配性の私は、どうしても迎えにいってしまうのですが。)。沢山のボランテイアの先生がいて、中遊び、外遊び、また、お勉強の面倒を見てくれます。土曜日は基本的に学校はありませんが、BOPはあります。ランチは出ないため、12時から1時までは閉館、ランチを家で済ませてまた1時から預けることができるという、ありがたいシステムです。

双子7歳!

日本滞在中の7月3日。双子は7歳の誕生日を迎えました。

近所でケーキを買ってきて、みんなでお祝いしました。

7年前はこんなに小さかった。1.8 kg、40 cm強で生まれてきた双子。髪の毛が無いのが娘。

ほぼ同じ大きさで生まれてきた娘と息子ですが、今では、娘は120 cmで20 kg、息子は130 cmで30 kg。2歳以降は大きな病気もせずに育っています。

子育ては大変ですが、あと10年もすれば親元から離れていってしまうかもしれないと思えば、一緒に過ごす時間を大切にしたいなあと思います。

初めてのランドセル

今年の帰国は、子供達の小学校への体験入学が目的。

事前に、希望の公立小学校へは連絡をして、入学希望を伝えておきましたが、当然、住民登録をしなければいけないものだと思っていたら、住民登録をせずに、「一時帰国に伴う一時入学」というシステムがあるのだそう(どの地方自治体でも、という訳ではないのかもしれませんが)。そこで、支所ではなく、区役所の教育委員会へ行き、入学の手続きをしました。

幸い、制服ではないので、制服を買う必要はありませんが、帽子や体操着、水着、防災頭巾、上履きなど、購入するものが沢山あります。筆箱も、箱型のもの、下敷きも無地のもの、と条件が厳しい、、、。体操着や水着には、おきまりの白い布に名前を書いて縫い付けるという作業が、、、。

ランドセルは買うつもりはなかったのですが、甥のお古があったので、娘にはネットで中古の安いランドセルを見つけて(とても安くて、かつ綺麗だった!)買いました。ランドセルを背負うと、途端に日本の小学生に見えますー!

雨天で順延になっていた遠足にも参加できました。ちょっと胸キュンの井之頭公園!

スウェーデンでは、1年生が子供だけで通学するということはあり得ないので、学校まで一緒に行きます。校門には校長先生がいらっしゃり、子供達に声をかけています。また、アルバイトやボランテイアの方が交通整理をしてくれています。

学校は去年新築されたばかりで、プールが体育館の屋上にあります。しかも、深さが調節できるのです。

新しい経験に母もドキドキです。娘はお別れの時にグズグズ泣きましたが、息子は驚くほどしっかりしていて、さっさと1人で上履きに履き替え、教室に言ってくれるので助かります。娘の周りにお友達が寄ってきて、(一年生なりに)いろいろと話しかけてくれたのが嬉しかったです。

一年生は4クラスで、娘と息子は違うクラス。他のクラスにも、フランスから1ヶ月の予定で帰国している子がいました。どうなることやら。

日本の保育園(2018年)

今回の日本行きに備えて?と言ったら大げさですが、去年の1月から3ヶ月弱、日本に滞在していました。子供達は2重国籍を今は持っていますが、去年まで日本語は全く話せませんでした。日本人の母親である私の責任なのですが、仕事と子育ての両立だけで一杯一杯で、日本語教育までは全く手が回りませんでした。それでも、きっぱりと日本語教育を諦められずにおり、子供たちがまだ保育園で、自由にお休みできる時に日本に少し長期で帰って日本の保育園に通わせたいと思いました。私も職場で生き残り競争をしているところでもあり、長期の休暇を取りたくはなかったのですが、これも子供のため。ほとんど使っていなかった育児休暇を取ることにしました。多少でも手当てがいただけるのはありがたいことです。

ストックホルム、アーランダ空港でパパとしばしの別れ。

お世話になった先はこちら。

両親の住む世田谷区は、待機児童が多く保育園は激戦。保育園の空きはありません。住所を借りられるつてのあった渋谷区は、複数の空きがありました。その中でも、伝統があり広い園庭のあるこちらにお願いすることにしました。奇跡的に、子供達の4歳児クラスには欠員があったのです。

最寄りの駅は、、、。

Diorのビルや表参道ヒルズがご近所。

ストックホルムからきた田舎者たちは、完全にお上りさん。

広い園庭には、プールまであります。古い建物ですが、屋内は綺麗に手入れがされています。

こちらの広間で皆んなでお昼寝。以前はパジャマに着替えていたそうですが、震災以降、すぐに避難できるようにと、ランチのあと、新しい洋服に着替えてから服のままで寝ることになったのだそうです(私も、それ以降、次の日の洋服で寝せるようにしました)。

今日のご飯の見本が陳列されています。

それぞれのクラスで皆んなでランチ。

季節折々の行事も素晴らしい。

子供達も正座してお茶をいただきます。

古い保育園らしく、まだこんな和式のトイレもありました。

雪が降れば園庭で雪遊び。

スウェーデンに戻る時には桜が満開でした。

渋谷保育園の園長先生がとても素晴らしい方。そして、他の先生方を始め、職員の方々が、本当に親切で、子供達にとっても、私にとっても恵まれた園生活を送ることができました。お別れする時には、とても悲しくて、涙がこぼれました。

しかし、この保育園生活でも、日本語の進歩はそれほどありませんでしたが、おそらく、この日本での経験がなければ、補習校に通うことを諦めていたと思います。

私は、毎朝、満員電車で子供達を連れて保育園まで送りました。夕方は5時ごろに迎えに行きましたが、表参道があれほど混雑しているとは知りませんでした。

息子が良く、「どうして日本にはこんなに人が多いの?」と聞いてきたものでした。

子供の教育というのは、親の犠牲があってこそだということをつくづく感じました。スウェーデンに戻ってみたら、私にとってさらに職場の状況は過酷なものになっていたし、去年はまさに激動の一年でした。いや、一昨年は、夫が死にそうになったこともあり、もっと大変だった。いつになったら少し楽になるんだろう、、。

本庶先生祝賀レセプション




今日は、在スウェーデン日本大使ホストのレセプションに行って参りました。

日本人ノーベル賞受賞者が出た年には招待状をいただいているのですが、通常は平日のランチどきであるため参加したことがありませんでした。今回は週末だったため参加してみました。

日本大使は着任したばかりの廣木大使。大使による紹介があり、

本庶先生のご挨拶がありました。とても分かりやすい英語でした。通常、受賞の電話連絡は日本時間の午後4時ごろであると聞いていて、4時を過ぎても連絡がなかったため、ラボのミーテイングをしていたところ、午後5時ごろに審査委員会事務局長から受賞の電話があった。間違い電話かもしれないと疑っていたところ、同じ内容のメールが届いたので、ラボ中で喜んだというエピソードを披露していらっしゃいました。

会場は、受賞者が宿泊するグランドホテル。金ピカの豪華な広間です。お食事も立食ですが豪華でした。

先生の発見から開発された免疫チェック阻害剤が有効な膀胱癌の外科治療をしていることを含め、簡単に自己紹介をして、一緒に写真を撮っていただきました

日本ではなかなかこのような機会はありませんが、スウェーデンに住んでいる役得とも言えるかもしれません。

帰りに街の中心のセルゲル広場を通りかかったら、いつもながら美しいクリスマスの装飾がされていました。

向井千秋先生、来瑞

今年は日瑞国交開始から150年ということで、様々な行事が行われています。

その中の一つ。 Sparking interest in science through spaceというカンファレンス。

日本からは女性宇宙飛行士の向井千秋先生。母校、慶應義塾大学医学部、そして慶應義塾女子高校の先輩です。30年前に、女性が外科医を志すに当たって、アドバイスを受けたことがあります。彼女の最初のキャリアは心臓外科医でした。初めて出血を見たときに失神したというエピソードには驚いた記憶があります。対するスウェーデンの宇宙飛行士はChrister Fuglesang。夫と同じKTHの出身。

 

空中に浮いた水に、スウェーデンでは有名なBillar(車)という名前のお菓子をくっつけて食べるという宇宙での遊びを披露してくれました。あとで子供達に見せたら大喜びでした。

 

これは、宇宙が地球に貢献しているものを示す、最もわかりやすく、意味のあるスライドでした。

懇親会では向井先生にご挨拶して名刺の交換をしていただきました。

私の専門分野からは離れますが、頑張っている科学者の話はとても面白く、刺激になります。なかなか良い企画でした。

ズルズルとキープ、日本の専門医

日本の泌尿器科専門医は5年に1回の更新制になっています。そのためには、毎年の学会費、そして、期間中に総会1回出席を含む点数で、100点を稼ぐ必要があります。

 

海外で勤務している場合は、勤務証明書を提出すれば5年ではなく6年に1回の更新が認められています。

6年、長いようであっという間。日本の専門医の価値も危ぶまれており、実力さえあれば更新しなくても良いのではと思いながら、今回も更新してしまいました。

結構、費用もかかります。開業して泌尿器科疾患をあまり診察しなくなっても、極論すれば、臨床をやめてしまっても、点数を集めさえすれば専門医を更新できます。これでは専門医を標榜していても臨床医としての実力の保証はどこにもありません。学会がお金を集め、権威を保つために専門医制度があるようなものです。

この次はどうしようかなあ。

東京医大事件に寄せて

私も勤務したことのある東京医大の女子学生制限の騒動。私の母校では女性はやはりマイノリテイーです。同級生は10%が女性でした。そして、女子学生が制限されていることは暗黙の了解のようになっていたと記憶しています。しかし、概念として認識していても、具体的な女性制限の手法を目の当たりにし、今回は流石にショックでした。(お金を積んでの裏口入学は論外です。)

必要悪、と言い切るのは言い過ぎだと思いますが、マンパワーとして確実な男性医師が好まれるのは確かです。産休や育休を取らせるほどポジションに余裕のない大学病院では、産休に入る前に退職するのが常で、やはり、根元は女性医師の労働環境が悪いこと、そして、女性医師のパートナーの多くである男性医師が育児に参加しないことにあります。

一方、これは、鶏が先か卵が先かという議論にもなりますが、女性の意識の低さも否定できません。育児をするには恵まれない労働環境により、やる気を失うのも確かでしょう。しかし、日本女性全体として、まだ30%以上が専業主婦であるという事実、働けるのに働かないという選択肢が存在することが、女性の意識、地位の向上を妨げていると思います。スウェーデンでは、国民である以上、働いて納税をすることは国民としての義務という認識です。パートナーが高収入だから他の家よりも余計に納税しているという理論はまかり通りません。個人個人がそれぞれに納税の義務があるのです。また、納税の総額により年金が決まってきますから、納税していなければ年金を受給できないということになります。また、離婚になった際にも女性が経済的に守られることはありません。男性が有責でも同様です。この状況を鑑みると、日本の女性の自立意識はスウェーデンより半世紀以上遅れていると言えます。

我が家の双子は6歳になりましたが、双子を育てながら、トップレベルの外科医として男性にも競合できているのは、スウェーデンという社会のお陰です。日本では全くもって無理です。同僚の男性医師はほぼ全てが、女性と同じように育休や病児休暇を取得しています。この夏もある男性医師が6月から9月までの3ヶ月、夏の最も良い時期に育休を取り、水面下で顰蹙を買っていたくらいです(育休取得希望は拒否できないので、休暇希望よりも優先されるからです)。我が家も、夏休み期間は病院では人手不足であることもあり、夫が送り迎えを毎日担当してくれています。私は家族がまだ寝ている間に出勤しています。通常の期間であれば、多少の送り迎えをすることもありますが、やはり帰宅が不定時になることが多いため、研究者である夫に迷惑をかけて甘えてしまっています。

今回の騒動に絡んで、読売新聞からインタビューを受け、ちょこっと名前入りで記事に登場しました。8月8日付の朝刊3面です。ジャーナリストからすると、「手術の執刀医となっている日に病児休暇を急に取ることになった場合、代わりの執刀医を用意したり、代わりがいない場合は手術自体をキャンセルすることもある。」という事実は衝撃的だったようです。確かに、日本だったらありえないでしょう。40度近く熱があっても、座薬を使いながら働いたという経験もあります。今までに欠勤したのは、ノロウイルス感染で下痢嘔吐した時1日くらいです。最も、下痢だけなら勤務したかもしれません。

今後、日本において、医師の労働環境が改善し、育児や家事に関して男女平等化が進み、女性の意識も向上して、このような問題が解決してゆくことを願っています。

医師の労働環境を改善するには、医師の数を増やすのが先ではなく、医師の仕事量を減らすことです。すなわち、病院へのアクセスを制限し、直接医療に関係のないペーパーワークを減らしたり、他業種に委託できる業務を増やすことが必要だと考えています。また、そうしなければ、医療費を抑制することもできません。

また、日本国民の啓蒙。日本の医療システムは、世界で一番患者さんに優しいシステムと言えるのにもかかわらず、国民は医療に不満を持っています。風邪くらいで大学病院の救急を受診する。defencive medicineになってしまうのは、隙あれば訴訟にしようとしている人がいるから。訴訟を煽る弁護士もいる。IC、余計な検査などなどが増え、仕事量、医療費が増える。世紀末的です。多分、一度潰れないとダメなんだろうなあというのが、残念ながら正直な感想です。

 

 


今年のノーベル医学・生理学賞 (2)

ノーベル賞授賞式および晩餐会は毎年、アルフレッド・ノーベルの没日である12月10日に行われます。昨年は、授賞式晩餐会に参加しました。

今年のノーベル・ウイークは12月第2週となりましたが、受賞者がストックホルムに到着してから毎日のように様々な行事が行われます。ノーベル医学・生理学賞受賞者のスケジュールなどに関しては、ノーベル審査委員会の事務局長が仕切っており、エスコートはUD(外務省)からのノーベルアタシェが行います。

今回の行事のうち、内外プレス対象の記者会見がカロリンスカ研究所で行われましたが、マラリアでの受賞の中国のTu博士は全く英語を理解しないので、中国語ー英語の通訳が用意されました。大村博士についても、日本語でのやり取りがご希望ということで、日本語ー英語の通訳が必要となり、事務局長の希望として、通訳ができてかつ、研究・臨床の専門家という人選で、私に依頼がありました。とても光栄なことではありますが、何しろ私の英語はスウェーデン語の上達に伴って錆びついており、英語を話し始めるとスウェーデン語の単語が混じってしまうという始末。それでも、本職の通訳よりも医学の専門家という強い希望だったので、お引き受けすることにしました。

通訳をする以上は、業績について知っている必要があるため、学生時代の知識などすっかり忘れ去っている寄生虫学など関連する資料を読み、自分なりに英語と日本語でまとめを作りました。大村先生ご自身が寄生虫学者ではないので、放線菌やその産生物質、その作用機序なども勉強しましたが、確かに、これは素人には理解するのは難しいかもしれません。公衆衛生に関する部分では、億以上の数字が出てくることも多いのですが、どうしても日本人は英語日本語間の大きな数の変換が苦手で、私もその例外ではありませんでした。これについても少し練習しました。また、記者会見の前週に事務局長と打ち合わせをし、当日はご挨拶と打ち合わせをご本人とするということで早めに会場に到着する予定になりましたが、当日は実はオンコールに当たっていたのですが、記者会見の間だけなんとかボスに交替してもらうということで準備を整えました。

 

一時間ほど前に会場である研究所のノーベルフォーラムに到着しましたが、既に、日本と中国のジャーナリストが会場の中央前方の最も良い位置を占領していました。あとからきたスウェーデン人のジャーナリストが「これじゃ良い写真が撮れないよ。」と怒って、秘書さんに文句を言っていましたが、「直接交渉したら。」とあっさり言われてしまっていました。

記者会見は午後2時からですが、15分ほど前に裏手から上階に上がり、受賞者の投票がなされる大会議室にいる受賞者に会うことになりました。

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向かって左から、大村博士、Tu博士、Campbell博士、そして事務局長のUrban Lendahl教授です。大村先生が最もお若く80歳ですが、3博士ともとてもお元気そうでした。大村先生は、とても気さくな腰の低い方で、通訳役の私にも丁寧にご挨拶をいただき、名刺まで交換させていただきました。

14時直前にジャーナリストで超満員の会場に入り、私は大村先生のすぐ傍に座ることになりました。英語での質問を日本語で先生にお伝えし、先生の日本語の回答を英語に直すという作業は、難しいものではありませんでしたが、共同受賞者の質疑応答を臨機応変に、かつ、タイミング良くお伝えすることが必要と気づき、それを随時状況判断しながら行うのが最も難しかったことでしょうか。先生がCampbell先生の発言を引用しながらお話しになったときには、その努力が報われた気がしてとても嬉しく思いました。

当初の予定では、前半は共同記者会見で、後半は3人別々のぶら下がりということだったのですが、何しろ、Tu先生の質疑応答に時間がかかり、50分を過ぎたところで散会となりました。その後、大村先生だけは、日本人記者のぶら下がり取材があり、記者の要望に応えて、15年前に亡くなった愛妻の写真を披露なさっている光景が印象的でした。

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関係者が受賞者を裏手から退場させ、その間、ジャーナリストは会場に留まるような手はずになっていたのですが、うまくいったのでしょうか。

 

翌日に、ノーベル賞記念講演がカロリンスカ研究所であり、その後にパーテイーがありました。私はそのパーテイーに出席しましたが、そのときに、アタシエの方から、「通訳のお礼をおっしゃりたいそうです。」とお話があり、再び大村先生にお目にかかりました。

「お礼を言えなかったので、名刺をいただいていたので、帰国してからお礼状を書こうと思っていました。」とおっしゃっていただき、感動しました。また、研究に関する話でも盛り上がりました。なぜ、川奈ゴルフ倶楽部なのか、という問いに対しては、大村先生、実はとてもゴルフがお上手で、ゴルフの際に、「あそこの土に惹かれるなあ。」ということで採取なさったということでした。人格者には運命の女神も味方するんですね。

記者会見の翌日、日本ではNHKを始め、多くの民放のニュースで映像が流れたらしく、思った以上に私も大写しになって驚きました。いろいろな方から、「テレビで見たよ。」という連絡をいただき、実に多くの方がニュースをご覧になっているんだなあと改めて思いました。今年のように、既に世界で何億という患者さんの治療に使われている薬の発見という素晴らしいノーベル賞、しかも日本人の受賞という快挙に関わることができたのは、この上ない幸せなことでした。

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記者会見で、「ノーベル賞を取れると思ったか。」という質問に対して、「アフリカに行って、多くの患者さんが救われているのを見たときに、人類のために大きなことをしたんだなあという思いはありましたが、それでノーベル賞を取れるとは思いませんでした。」と語っていらっしゃいましたが、この写真を見るとそれが理解できます。

 

記者会見を報道したニュースは以下のリンクから。日本では英訳は必要ないため、もっぱら通訳用のメモを必死にとっている私が写っております。

 

今年のノーベル医学・生理学賞 (1)

今年のノーベル医学・生理学賞は、実に良い賞でした。アフリカなどを中心として、貧しい人々が多く罹患するマラリアと線虫に対する治療薬の発見に対して。

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ノーベル医学・生理学賞審査委員会からのプレス用の情報はこちら。簡易バージョンはこちら

線虫に対するAvermectinを産生する放線菌を発見した日本の大村博士。河川盲目症(River blindness )は、Onchocera bolvulus(回旋糸状虫)がBlack flyと言われる蝿を介して人間に感染し、幼虫が炎症により角膜に非可逆性の瘢痕形成を来たすため盲目となる疾患です。感染者1億にも上るといわれますが、AvermectinがIvermectinとして商品化され、Ivermectinの年2回投与にて盲目となるのを完全に予防することが可能となるものです。メスの成虫は1日1000匹ほどの幼虫を産みます。成虫にはIvermectinは効かず、成虫は20年近くも生存するので、長期にわたる投与が必要ですが、症状の原因となるのは幼虫であるため、幼虫を殺すことで発症を防ぐことができるという訳です。

Ivermectinはこの他にも、蚊が媒介するフィラリア症(象皮病や巨大陰嚢水腫の原因)にも有効です。沖縄で勤務していたとき、ときどきフィラリア症、乳び尿や陰嚢水腫の患者さんを診ることがありました。フィラリアの診断は、ミクロフィラリアの血中内での確認でした。ミクロフィラリアは昼間は体内奥深くの静脈などに潜んでおり、夜間には末梢血内に出てくるため、夜間に末梢血を採って診断するのがポイントでした。沖縄の離島からやってきた患者さん。さとうきび畑で働く人でした(さとうきび畑で蚊にさされやすい)。巨大な陰嚢水腫を長年隠し持っていて、とうとう我慢できずに家族に伴われてやってきたのですが、応急的に穿刺したところ、穿刺液3リットル以上。

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この写真は、教科書にも採用されている有名な挿絵。担ぐほどの巨大な陰嚢水腫です。

Ivermectinはフィラリアの他には、糞線虫の治療に使われます。日本で糞線虫の治療の適応となってから10年にもまだ満たないのですが、現在では、ダニによる疥癬の治療に多く使われているようです。私が専門医取得前に修行していた都内の病院で、疥癬が大量発生したことがありましたが、当時は有効な治療薬がありませんでした。隔離、消毒やガウンテクニックなどで対応していましたが、それほど有効でもなく対応が大変だったことを覚えています。Ivermectinは節足動物に有効なのだそうです。

薬には必ず副作用がありますが、Ivermectinの凄いところは、人間への重篤な副作用がないにもかかわらず、寄生虫を殺すことができ、また、現在のところ耐性もないということです。IvermectinはGABAなどのligant-gated chloride channelをブロックすることが作用機序で、細胞膜の極性が失われ、このchannelが発現している筋肉や神経組織が障害されることで殺寄生虫作用が発生します。このchannelは人間では中枢神経系に発現しているのですが、blood- brain barrierを通過しないため、人間に対する作用はないとのこと。薬としては、too good to be trueといったところでしょうか。

このIvermectinの元であるAvermectinは、大村博士が川奈ゴルフ場近所で採取した土に含まれていた放線菌から産生されたもので、現在までAvermectinを産生する放線菌種は発見されていないということです。これも驚きです。

大村博士がスクリーニングした上で選別したこれら放線菌を培養し、それらが産生するactive substancesを解析しAvermectinを同定したのが、共同受賞者のCampbell博士です。大村博士が1971年に(何とサバテイカルのようなのですが)アメリカを訪問した際に、Merck社などのラボで働いていた研究者たちとのコラボレーションが始まりました。そして、1970年後半に、Avermectinの発見がなされたのです。Avermectinを化学的に合成したものがIvermectinであり、1980年代初頭にすでに人間における治験が始まったのは、驚くべきスピードであったと思われます。2012年までに2億人以上の人々がIvermectinの治療を受けてきました。マラリアと比べて、River blindnessは忘れられていた熱帯病:the neglected tropical diseaseの一つでありましたが、Ivermectinの導入によって治療は急激に進み、WHOによると2025年までに撲滅できるということです。このように急激に治療が進んだことの大きな理由は、Merck社がIvermectinを無償で提供することを決断したことによるものが大きいそうです(余談ですが、動物のフィラリア症治療に関しては薬価は高額であり、Merck社は動物の治療を通して利益を上げているのだそうです。)。

今回のノーベル賞関連の行事にあたり、大村博士とお目にかかる機会がありました。長くなりましたので、そのあたりのことは次回に。

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