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母乳寄付のシステム

週数が早くして生まれてくる未熟児の場合、母乳の出が悪かったり、子供のおっぱいを吸う力が弱かったりするために、経管で粉ミルク、あるいは寄付された母乳を与えることになることがあります。私の子供達の場合もそうでした。32週で1800グラムという大きさで生まれてきたため、経管栄養で始まり、経管栄養とともに授乳も試みました。

私自身の母乳は、最初数ミリリットル程度しか出なかったため、その数ミリリットルを二つに分けて双子にそれぞれ与えました。体重が2キロに達する頃まで、他の方から寄付された母乳をいただいていました。ありがたいことです。

こちらの記事は、北スウェーデンの大学病院で母乳が不足しているという記事です。母乳が余るお母さんが母乳を寄付すると、1リットルあたり200クローネの報酬があるということです。日本では母乳寄付のシステムについて聞いたことはないのですが、あるのでしょうか?少子化でも、ハイリスク出産の割合は増えているでしょうから、需要はあるのではないかしら。

ストックホルムの病床の15%が閉鎖中

スウェーデンの病院では週末や長期休暇の季節になると、勤務者の数に応じて診療の規模を縮小します。例えば、夏季休暇中であれば、ベッド数も半分、オペ件数も外来も半分になります。そうすることにより、医療従事者が4−5週間の休暇を取得できるようになります。

カロリンスカ大学病院のベッド数は1543床。2017年4月で、その22%に当たる337床が閉鎖されていたのだそうです(DNの記事より)。

 

ストックホルム県の3476床でみると15%に当たる509床が閉鎖されていたのだとか。そしてこの数字は去年に比べ4%多いのだそうです。

閉鎖の原因は、スタッフの不足、特に看護師の不足です。

Hela länet, antal öppna vårdplatser(ストックホルム県の使用可能なベッド状況):

April 2016: 3064 av 3.429 fastställda vårdplatser

April 2017: 2967 av 3.476 fastställda vårdplatser

Karolinska universitetssjukhuset(カロリンスカ大学病院):

April 2016: 1320 av 1.562 fastställda vårdplatser

April 2017: 1206 av 1.543 fastställda vårdplatser

Södersjukhuset(南病院):

April 2016: 646 av 698 fastställda vårdplatser

April 2017: 604 av 708 fastställda vårdplatser

予定手術がキャンセルされる理由もいつもだいたい同じ。手術室の看護師さんの不足か、ベッドがないこと。予定手術をキャンセルするときには、その日の患者さんの病状を比較して優先順位をつけ、優先順位の低い患者さんからキャンセルすることになります。どうしても良性疾患は優先順位が低くなりますし、悪性疾患でも悪性度や病期によって優先順位をつけます。ベッドが不足して患者さんを退院させたり転院させなければならない時も、症状の軽い患者さんから退院してもらうことに、、、。看護師さんへの負担が重くなると、大学病院の低い待遇と重い労働に耐えきれず、退職していきます。常に、ギリギリのところで運営しているという印象。

カロリンスカ大学病院の新棟建設に当たって、巨額の報酬をコンサル会社(BCG)に無意味に支払い、看護師さん確保にはお金を出し渋るという本末転倒振りでは、ストックホルムの今後の医療に不安が募るばかりです。

昇進のテクニック

昇進のテクニックというものは、職種によっても、国によっても異なるものなのだと思います。ですから、私が知っているのは、日本とスウェーデンにおける医師の昇進についてだけですが、少しコメントしたいと思います。

今日から4月。日本では医師のピカピカの一年生が働き始めますね。私が研修医だった頃は、月給2万5千円という薄給で、アパート代さえも払えないため親にすねかじりした状況でした。現在は、少なくともその10倍以上は給料があるようです。しかもあの頃に比べればデフレ。羨ましいなあ。

研修医、専修医、専門医初期の間は、卒業年数によってタイトルもお給料も横並びなのが日本のシステムですが、スウェーデンでは全く異なります。大学病院のお給料が他の病院に比べて最低レベルなのは同じですが、同じ病院であっても同じタイトルの医師でも給料のレベルは様々です。では、どのように給料が決定されるのか。実力か?そうであってそうでないような。

まず、職探し。欠員ができて募集する場合もありますが、欲しい人がいる場合に、その人に合わせた求人広告をするのが大都市では普通のことです。どのようなポジションにどのような人が欲しいのかという条件のところには、すでに存在する候補者にぴったり合うような、そして、なるべく競争相手が出現しなさそうな文章が並びます。そして、すでに候補者がいる場合には、書類審査で決まってしまい、インタビューまで到達することはあまりありません。選抜された場合、大学病院を含めた通常の公立の病院であれば、最初の6ヶ月は試験雇用です。この間に不適格と判断されれば、その後の延長雇用はないまま終了となります。試験雇用をパスすれば、次の契約では終身雇用となる可能性が高くなります。期限付き雇用の場合、その期間には上限があるからです。スウェーデンでは、一旦終身雇用となったら、労働者を解雇することは非常に難しいので、試験雇用のシステムは重要なのです。それでも、能力のない、あるいは、問題のある人間が終身雇用と成ってしまう場合もあり、私も実例を知っていますが、そうなってしまったら本当に厄介なのです。

雇用が決まったら、給与交渉です。これは個人個人でやらなければいけません。スウェーデンの医師の労働組合には、目安となる給与水準のデータがあり、これを利用することもありますが、ここでも自分自身で情報収集することが大事です。同僚の給与の調査や、他病院での給与レベルの調査を行います。請求すれば、誰がどれだけ給与を得ているかというリストをhuman resoursesの部門からもらうこともできます。私もそのリストを請求してみましたが、確かに給与水準は実力を反映しているようなしていないような。最近では、全く反映していないという印象です。なぜならば、新しく、あるポジションについた医師は、同ポジションにいる他の医師より高い給与を取得するという、ローカルルールがあるからです。そうすると、昇進したばかりの若い医師が、以前からそのポジションにいる年配の医師より高い給与を得ることになります。うーん。全く理解できませんが。

以前、スウェーデンの外科医社会でのヒエラルキーに関して書いたことがありますが、それによると、私、つまり女性移民はヒエラルキーの最下位に属します。そんな訳で、私の昇進も遅々として進みませんでした。それに、病院の経済的な問題もあって、つまり、昇進させるお金を出せない、ということでもありました。私の場合はそうではありませんが、人によっては、いろいろな政治的事情でなかなか昇進できないという場合もあります。日本と異なり、臨床医としては、AT(研修医)、ST(専修医)、専門医、biträdande överläkare(准?上級医)、överläkare(上級医)というヒエラルキーがあります。それとは別に、アカデミックなタイトルとして、docent(准教授)、professor(教授)があります。通常の臨床医は、överläkare を最終的に目指すことになりますが、大学病院では学位がなければならないという縛りがあります。何年か前にbiträdande överläkareになった私ですが、上に述べたような事情で、överläkareへの昇進がのびのびになっていました。そんな時に、ストックホルム市内の幾つかの病院からのヘッドハンテイングの打診がありました。自宅すぐそばにある、現在成長著しい病院からもあったため、そちらの面接も受けました。給与面も含め、20%の研究期間、研究費も手配するという、高待遇の条件を提示され、かなり心は揺れました。しかし、最終的にはもう少し大学病院に止まる決心をし、お断りをした訳ですが、このヘッドハンテイングは、昇進への交渉材料として大きな役割を果たしました。「〇〇病院から来て欲しいと言われています。どうしますか?」といった感じです。そう伝えたら、あっさりと、「(やめてほしくないので)やめないでくれるならöverläkareにします。」という返事を引き出すことができました。

それでも、昇進するにはまだ手続きが残っています。新しいポジションになるため、公募をしなければなりません。しかし、このポストは私のために作られたものなので、他の人にはハードルが高いような条件を作る必要があるのです。今回の場合は、「骨盤内手術に熟練し、膀胱全摘、各種尿路変向ができ、ロボット手術にも熟練している医師」というような記述になりました。確かに誰でも応募できるという訳ではありません。公募期間もなるべく短くするのですが、そこで集まった応募の中から書類審査で、4名ほどが審査委員会の審査にかかり、最終決定されるのです。

こんな経過を経て、今年からöverläkareになりました。ヘッドハンテイングの話を昇進への突破口とすることは、私の分野では多いことのようです。給与交渉も満足な結果となり、あとは再び毎日修行あるのみ。

スウェーデンで専門医になったのが2008年。överläkareになるまで、ちょうど9年かかりました。それぞれのポジションでつけていた名札ですが、9年前のものは少し黄ばんでいます。日本で専門医になったのが1996年というこれまでのキャリアを考えると、決して早いとは言えない昇進ですが、ここまで頑張ってこられたことに感謝です。

 

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多様性に寛容なスウェーデン

息子が私の膝に座って、保育園のお話をしてくれていました。

そうしたら、

「ママ、どこの国の子供達が食べるご飯がないの?」

と、聞いてきました。

「今は、シリアかなあ。アフリカの国にも沢山いるよ。」

と答えると、

「その子たちは、ご飯もないし、パパやママもいない子もいるんだよね。かわいそうだなあ。」

と言いました。

スウェーデンという国は、実に多様性に寛容な国です。そして、多様性を受け入れる教育が、幼児教育で既に始まっています。

これは、近年にスウェーデンへ難民としてやってきて居住申請をした数です。2015年には、シリアでの抗争が始まったため、162877人と突出し、2016年には28939人と例年並みに戻りました。

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病院でも、しばしば、難民の患者さんを診察することがあります。多くはスウェーデン語が話せないので、通訳つきです。戦争で負傷しただけではなく、スウェーデンへたどり着くまでに暴行されている人もいます。男性でも性的暴行を受けている人もいるため、南病院には、性的暴行を受けた男性のための救急外来もオープンしています。難民でもスウェーデン人でも平等に医療を受けることができるスウェーデンの医療システム。

 

難民だけでなく、この数年目につくのが、街頭に座っている物乞いの女性たち。主に、ルーマニアから集団でやってきています。近所にも、各スーパーマーケットの出口のところに必ず一人ずつ座っています。この日は、こちらには二人も。

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朝、七時半頃、近くのマクドナルド前に集合してコーヒーを買い、それぞれの場所に散らばっていきます。男性が食料を配布して回る姿も見られます。この集団は、市内や近郊で野宿をしているようなのですが、その影響が保育園にも。

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保育園の園庭にある小屋。ここには通常、登園してくる子供達のバギー置き場になっているのですが、ベニア板で閉鎖されてしまいました。それは、夜間に少しでも暖を取ろうと、物乞いの集団が小屋の中で寝泊りをするため、セキュリテイーに問題があるという判断で、このような対策が取られることになりました。

大分前に、オンコールだった時、物乞い集団の一人の緊急手術を担当したことがありましたが、この患者さん、個室に何週間か入院し、しかも、600万円くらいする高額治療を受けました。普通のスウェーデン人なら傷が治癒していなくても退院させて、診療所などで治療を継続するのですが、この方の場合は野宿になるため、長期の入院になったこと、また、退院後も一時的な住居を(医療の立場から必要という判断で)用意したりと、至れり尽くせりでした。この費用は、スウェーデン持ちなんだろうなあ。

今年のノーベル医学・生理学賞 (2)

ノーベル賞授賞式および晩餐会は毎年、アルフレッド・ノーベルの没日である12月10日に行われます。昨年は、授賞式晩餐会に参加しました。

今年のノーベル・ウイークは12月第2週となりましたが、受賞者がストックホルムに到着してから毎日のように様々な行事が行われます。ノーベル医学・生理学賞受賞者のスケジュールなどに関しては、ノーベル審査委員会の事務局長が仕切っており、エスコートはUD(外務省)からのノーベルアタシェが行います。

今回の行事のうち、内外プレス対象の記者会見がカロリンスカ研究所で行われましたが、マラリアでの受賞の中国のTu博士は全く英語を理解しないので、中国語ー英語の通訳が用意されました。大村博士についても、日本語でのやり取りがご希望ということで、日本語ー英語の通訳が必要となり、事務局長の希望として、通訳ができてかつ、研究・臨床の専門家という人選で、私に依頼がありました。とても光栄なことではありますが、何しろ私の英語はスウェーデン語の上達に伴って錆びついており、英語を話し始めるとスウェーデン語の単語が混じってしまうという始末。それでも、本職の通訳よりも医学の専門家という強い希望だったので、お引き受けすることにしました。

通訳をする以上は、業績について知っている必要があるため、学生時代の知識などすっかり忘れ去っている寄生虫学など関連する資料を読み、自分なりに英語と日本語でまとめを作りました。大村先生ご自身が寄生虫学者ではないので、放線菌やその産生物質、その作用機序なども勉強しましたが、確かに、これは素人には理解するのは難しいかもしれません。公衆衛生に関する部分では、億以上の数字が出てくることも多いのですが、どうしても日本人は英語日本語間の大きな数の変換が苦手で、私もその例外ではありませんでした。これについても少し練習しました。また、記者会見の前週に事務局長と打ち合わせをし、当日はご挨拶と打ち合わせをご本人とするということで早めに会場に到着する予定になりましたが、当日は実はオンコールに当たっていたのですが、記者会見の間だけなんとかボスに交替してもらうということで準備を整えました。

 

一時間ほど前に会場である研究所のノーベルフォーラムに到着しましたが、既に、日本と中国のジャーナリストが会場の中央前方の最も良い位置を占領していました。あとからきたスウェーデン人のジャーナリストが「これじゃ良い写真が撮れないよ。」と怒って、秘書さんに文句を言っていましたが、「直接交渉したら。」とあっさり言われてしまっていました。

記者会見は午後2時からですが、15分ほど前に裏手から上階に上がり、受賞者の投票がなされる大会議室にいる受賞者に会うことになりました。

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向かって左から、大村博士、Tu博士、Campbell博士、そして事務局長のUrban Lendahl教授です。大村先生が最もお若く80歳ですが、3博士ともとてもお元気そうでした。大村先生は、とても気さくな腰の低い方で、通訳役の私にも丁寧にご挨拶をいただき、名刺まで交換させていただきました。

14時直前にジャーナリストで超満員の会場に入り、私は大村先生のすぐ傍に座ることになりました。英語での質問を日本語で先生にお伝えし、先生の日本語の回答を英語に直すという作業は、難しいものではありませんでしたが、共同受賞者の質疑応答を臨機応変に、かつ、タイミング良くお伝えすることが必要と気づき、それを随時状況判断しながら行うのが最も難しかったことでしょうか。先生がCampbell先生の発言を引用しながらお話しになったときには、その努力が報われた気がしてとても嬉しく思いました。

当初の予定では、前半は共同記者会見で、後半は3人別々のぶら下がりということだったのですが、何しろ、Tu先生の質疑応答に時間がかかり、50分を過ぎたところで散会となりました。その後、大村先生だけは、日本人記者のぶら下がり取材があり、記者の要望に応えて、15年前に亡くなった愛妻の写真を披露なさっている光景が印象的でした。

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関係者が受賞者を裏手から退場させ、その間、ジャーナリストは会場に留まるような手はずになっていたのですが、うまくいったのでしょうか。

 

翌日に、ノーベル賞記念講演がカロリンスカ研究所であり、その後にパーテイーがありました。私はそのパーテイーに出席しましたが、そのときに、アタシエの方から、「通訳のお礼をおっしゃりたいそうです。」とお話があり、再び大村先生にお目にかかりました。

「お礼を言えなかったので、名刺をいただいていたので、帰国してからお礼状を書こうと思っていました。」とおっしゃっていただき、感動しました。また、研究に関する話でも盛り上がりました。なぜ、川奈ゴルフ倶楽部なのか、という問いに対しては、大村先生、実はとてもゴルフがお上手で、ゴルフの際に、「あそこの土に惹かれるなあ。」ということで採取なさったということでした。人格者には運命の女神も味方するんですね。

記者会見の翌日、日本ではNHKを始め、多くの民放のニュースで映像が流れたらしく、思った以上に私も大写しになって驚きました。いろいろな方から、「テレビで見たよ。」という連絡をいただき、実に多くの方がニュースをご覧になっているんだなあと改めて思いました。今年のように、既に世界で何億という患者さんの治療に使われている薬の発見という素晴らしいノーベル賞、しかも日本人の受賞という快挙に関わることができたのは、この上ない幸せなことでした。

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記者会見で、「ノーベル賞を取れると思ったか。」という質問に対して、「アフリカに行って、多くの患者さんが救われているのを見たときに、人類のために大きなことをしたんだなあという思いはありましたが、それでノーベル賞を取れるとは思いませんでした。」と語っていらっしゃいましたが、この写真を見るとそれが理解できます。

 

記者会見を報道したニュースは以下のリンクから。日本では英訳は必要ないため、もっぱら通訳用のメモを必死にとっている私が写っております。

 

今年のノーベル医学・生理学賞 (1)

今年のノーベル医学・生理学賞は、実に良い賞でした。アフリカなどを中心として、貧しい人々が多く罹患するマラリアと線虫に対する治療薬の発見に対して。

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ノーベル医学・生理学賞審査委員会からのプレス用の情報はこちら。簡易バージョンはこちら

線虫に対するAvermectinを産生する放線菌を発見した日本の大村博士。河川盲目症(River blindness )は、Onchocera bolvulus(回旋糸状虫)がBlack flyと言われる蝿を介して人間に感染し、幼虫が炎症により角膜に非可逆性の瘢痕形成を来たすため盲目となる疾患です。感染者1億にも上るといわれますが、AvermectinがIvermectinとして商品化され、Ivermectinの年2回投与にて盲目となるのを完全に予防することが可能となるものです。メスの成虫は1日1000匹ほどの幼虫を産みます。成虫にはIvermectinは効かず、成虫は20年近くも生存するので、長期にわたる投与が必要ですが、症状の原因となるのは幼虫であるため、幼虫を殺すことで発症を防ぐことができるという訳です。

Ivermectinはこの他にも、蚊が媒介するフィラリア症(象皮病や巨大陰嚢水腫の原因)にも有効です。沖縄で勤務していたとき、ときどきフィラリア症、乳び尿や陰嚢水腫の患者さんを診ることがありました。フィラリアの診断は、ミクロフィラリアの血中内での確認でした。ミクロフィラリアは昼間は体内奥深くの静脈などに潜んでおり、夜間には末梢血内に出てくるため、夜間に末梢血を採って診断するのがポイントでした。沖縄の離島からやってきた患者さん。さとうきび畑で働く人でした(さとうきび畑で蚊にさされやすい)。巨大な陰嚢水腫を長年隠し持っていて、とうとう我慢できずに家族に伴われてやってきたのですが、応急的に穿刺したところ、穿刺液3リットル以上。

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この写真は、教科書にも採用されている有名な挿絵。担ぐほどの巨大な陰嚢水腫です。

Ivermectinはフィラリアの他には、糞線虫の治療に使われます。日本で糞線虫の治療の適応となってから10年にもまだ満たないのですが、現在では、ダニによる疥癬の治療に多く使われているようです。私が専門医取得前に修行していた都内の病院で、疥癬が大量発生したことがありましたが、当時は有効な治療薬がありませんでした。隔離、消毒やガウンテクニックなどで対応していましたが、それほど有効でもなく対応が大変だったことを覚えています。Ivermectinは節足動物に有効なのだそうです。

薬には必ず副作用がありますが、Ivermectinの凄いところは、人間への重篤な副作用がないにもかかわらず、寄生虫を殺すことができ、また、現在のところ耐性もないということです。IvermectinはGABAなどのligant-gated chloride channelをブロックすることが作用機序で、細胞膜の極性が失われ、このchannelが発現している筋肉や神経組織が障害されることで殺寄生虫作用が発生します。このchannelは人間では中枢神経系に発現しているのですが、blood- brain barrierを通過しないため、人間に対する作用はないとのこと。薬としては、too good to be trueといったところでしょうか。

このIvermectinの元であるAvermectinは、大村博士が川奈ゴルフ場近所で採取した土に含まれていた放線菌から産生されたもので、現在までAvermectinを産生する放線菌種は発見されていないということです。これも驚きです。

大村博士がスクリーニングした上で選別したこれら放線菌を培養し、それらが産生するactive substancesを解析しAvermectinを同定したのが、共同受賞者のCampbell博士です。大村博士が1971年に(何とサバテイカルのようなのですが)アメリカを訪問した際に、Merck社などのラボで働いていた研究者たちとのコラボレーションが始まりました。そして、1970年後半に、Avermectinの発見がなされたのです。Avermectinを化学的に合成したものがIvermectinであり、1980年代初頭にすでに人間における治験が始まったのは、驚くべきスピードであったと思われます。2012年までに2億人以上の人々がIvermectinの治療を受けてきました。マラリアと比べて、River blindnessは忘れられていた熱帯病:the neglected tropical diseaseの一つでありましたが、Ivermectinの導入によって治療は急激に進み、WHOによると2025年までに撲滅できるということです。このように急激に治療が進んだことの大きな理由は、Merck社がIvermectinを無償で提供することを決断したことによるものが大きいそうです(余談ですが、動物のフィラリア症治療に関しては薬価は高額であり、Merck社は動物の治療を通して利益を上げているのだそうです。)。

今回のノーベル賞関連の行事にあたり、大村博士とお目にかかる機会がありました。長くなりましたので、そのあたりのことは次回に。

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医療ミスの処遇

最近、立て続けに経過観察における医療ミスを発見しています。

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前立腺癌は進行が緩徐であるため、医療ミスが不幸な結末の原因となることはあまりないのですが、膀胱癌は全く別物です。

1件目は、膀胱癌で膀胱全摘をされ、その経過観察中にCTを撮影し、そのレントゲン画像の読影ミスで、腎盂癌が見逃されていた。次のCTでは既にリンパ節に転移しており、過去のCTをチェックしたところ読影ミスが発覚。これは、院外の放射線科医の読影でした。

2件目は、同じく膀胱癌で膀胱全摘された患者さん。カルテには、次回診察は半年後、と記載されている(カルテは医師がdictationして、それを秘書さんがタイプアウトして、さらに、予約も取るようになっています)のに、予約が取られておらず、2年間受診せず。他の症状のため他院救急を受診してCTを取ったところ、大きなリンパ節転移が発見されました。

3件目は、スウェーデンではミスではなく、インフォームドコンセントの欠如にあたるのかもしれませんが、妙齢の女性で、脊椎症のため前方からの手術をした方が、同側の尿管狭窄をきたした事例です。術中の操作で同側の尿管への栄養血管を損傷されたと思われますが、結果として、その腎臓は無機能腎に近い状態になってしまいました。整形外科医からは全く話がいっていませんでした。

4件目は、膀胱外まで進展した膀胱癌の女性の患者さん。少なくとも5年前から膀胱炎様の症状があり、たびたび家庭医を受診するも、抗生剤投与のみされていました。最近1年は下腹部の痛みに加え、完全失禁状態。私が内視鏡でみると、膀胱内は腫瘍だらけ。

 

1件目、2件目は泌尿器科医のミスではありませんが、私がそのミスについて外来で説明することになり、説明して、Patientskadenämndenに申請を出すようにすすめました。同時に、関係者にLex Maria法に基づいて報告するように伝えました。おそらく、患者さんが賠償金をもらえるとしても、微々たるものだと思います。

 

3件目は、日本では当該整形外科医は相当高額の慰謝料を支払わなければならないと思われます。スウェーデンでは、やはり、Patientskadenämndenに申告することによって、賠償金を貰えるかどうかのギリギリのところだと思いますが、申請することを勧めました。

 

4件目は、家庭医のミスです。繰り返す膀胱炎、しかも、カルテによると、抗生剤を投与しても尿が無菌にはならず、それを検査もしないで何年間も同じ治療を繰り返したのは、無能な医師であるか、サボタージュです。残念ながら、スウェーデンに移住してから、数人、同じような患者さんを目にしました。そのような患者さんは、間違いなく膀胱癌で亡くなります。しかも、経過は早い。家庭医の専門医を標榜しながら、このようなミスは許されないと思います。一回だけの診断ミスではありません。何年もの間、20回は受診しているのですから。

このような場合、医師同士で告発するということにはなりにくい。患者さんには、「おそらく、腫瘍のために症状が何年もあったのでしょうね。」というニュアンスで話をしますが。その後、訴えを起こすかどうかは患者さん次第。日本であれば、間違いなく訴訟になり、少なくとも数千万円は下らない慰謝料を医師が払うことになるに違いありません。私は移民医師でもありますので、正義を通すことには大きな勇気(また、犠牲も)が必要です。それでも、あまりに大きな怒りが込み上げてきたので、何もしない訳にもいかないという思いで一杯になりました。同僚とも相談した上で、家庭医に経過の詳細を記載した退院サマリーを送りつけることにしました。その医師が(少しはまともであれば)自分のミスの大きさに気づき、二度と同じ間違いをしないようになるのでは、という期待があります。

研修医やGPの方、女性の繰り返す膀胱炎では膀胱癌を疑う必要があります。同じミスを犯すことのありませんように。膀胱癌を見逃すと、致命的です。

 

日本では、医療ミスがあった場合、もともとの疾患の予後や、患者さんの年齢などは慰謝料にあまり関係しない傾向があるように思います。また、患者さんが亡くなった場合でも、遺族に高額の慰謝料が支払われる場合もあります。80代、90代の患者さんに対するミスでは、スウェーデンではおそらく賠償金は出ません。患者さんが生きている場合には、患者さん本人に対して賠償金が出ますが、亡くなった場合に家族に支払われることはありません。また、これらの賠償金を医師個人が払うということもまずありません。賠償金には、慰謝料、つまりミスに対する罰としての位置付けはなく、あくまでも、ミスの被害にあった患者さんが、「生きてゆくために」必要な費用の補填ということなのだと思います。どちらのシステムが優れている、と言うことはできませんが、日本ではときに、「慰謝料をいかに取るか」ということが重要になって、それが、遺族や弁護士の金儲けの手段になっている印象を受けることがあります。そのために、医師が、常に訴えられることを考えながらdefencive medicineに走らなければならないという現実を悲しく思います。ほとんどの医師が善意ある職業人であるのにもかかわらず。

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毎日ヘトヘト

ロボット前立腺全摘の術者を独立してするようになって1年以上が経ちました。1年間の執刀数は約100件程度。カロリンスカではこれが普通の数ですが、日本では一施設で100例ある施設はほとんどないと思われます。したがって、これだけの数を執刀する医師もいない訳ですが、少ない症例数で到達できる手術のレベルは限られるため、症例が分散してしまう日本のシステムは問題があるなと感じます。

 

日本と異なり、予定時間を超過してしまう手術になると、2例目、3例目がキャンセルされることも多々あるため、手術にはスピードも求められます。また、常に慣れた助手がつくとは限らず、慣れていない助手があたると、あっという間に30分、1時間近くの手術時間のロスがでることもあります。最近、新人が助手についたとき(もちろん、慣れた助手がもう一人監督としてついているのですが)、心臓が止まりそうになったことがありました。腹腔鏡用の器械を間違ったアングルで挿入したため、リンパ節郭清をした、腸骨動静脈の背側につっこんで、私が知らないあいだに動静脈を持ち上げていたのです。幸い血管は無事でしたが、もし血管を損傷したら直ちに開腹して止血しつつ血管外科を呼ぶ事態にもなりかねず、最悪、損傷側の足を失うなどということにも、、、。ロボット手術においては、術者は患者さんから離れたコンソールに座っているため、患者さん近辺のことは全く見えません。開腹手術でしたら、助手が失態をおかしそうであればすぐに対応できるのですが、、、。今回はロボット手術における怖さを感じました。

 

こんなことがあると、手術が終了すると、通常以上に疲労を感じます。すでに熟練した術者の仲間入りをしたために、割り当てられる症例も難しいものが増え、1日2例執刀しただけでも十分な疲労感。しかし、帰宅して少しゆっくりしたくても日々活動的になっている双子の世話が待っています。食事の支度、掃除、洗濯、お風呂、明日の準備、本を読んで寝かしつけるまで、休む暇もありません。これにオンコールが当たって、緊急手術に呼ばれたりすると、本当に悲惨。

 

今週は、昨年、カロリンスカでロボット前立腺全摘が602例、膀胱全摘が98例施行され、これまでの最多を記録、また、ヨーロッパではいずれの手術も最多、全世界でも膀胱全摘においてはトップレベルの症例数ということを祝うミニカンファレンスとパーテイーがありました。その中で、私は、スウェーデンでは初めての女性ロボット外科医であるという紹介を受けたことは、大変光栄でした。後輩の女医さんたちがやってきて、「これからも頑張って、私たちのお手本であってください。」と言ってくれましたが、何だか妙な気持ちでした。最も競争の激しい大手術の分野で、スウェーデン人の女医さんたちも近寄らないところに私などが無謀にも参戦しているのですが、やはり、若い女医さんたちもあとに続きたいという気持ちはあるようです。

 

パーテイーは夕方から始まりましたが、食事が終わると生DJ付きのダンスタイムがあって、夜が更けるまで続きました。私は勿論途中で退散しましたが。ママっ子の娘は、「ママ、ママ」と泣きじゃくってなかなかなか寝付かなかったようですが、私が帰宅したときには、スヤスヤと安らかな寝息をたてていてホッとしました。本来ならば、週末はしっかり休養して新しい週に備えるところでしょうけれど、週末は子育てにさらにエネルギーを奪われ、月曜日に保育園に双子を送り込むと、ホッと肩から力が抜けて仕事に出かけるという、そんな生活です。スウェーデン語には、「gillar läget」((良くも悪くも)おかれた状況を好きになる)という表現がありますが、まさにそれを唱えながら、忍耐の日々です。

仕事納め

12月29日、30日は通常勤務で、30日が年内の仕事納めに当たります。私は両日共に手術日でした。

オペ室にやってくると、ドアにこんな張り紙が!

2014-12-30 08.56.28

 

今年のロボット前立腺摘出術が603件(601は間違い)で、ヨーロッパで最も多くの症例をやったという内容。しかし、1件目に時間がかかって2件目をキャンセルしなければならないと、この数が少なくなる訳で、ちょっとプレッシャーですが、看護師さんサイドからのこんな張り紙は、張合いになります。

1件目はハイリスクの前立腺癌で、リンパ節郭清をバッチリやりましたが、どうした訳か腹腔内は腸管の癒着が高度で剥離に時間 がかかり、さらに腫大したリンパ節が大血管に癒着していて、難しかった。それでも、正午くらいには終了したため、2件目も問題なく手術できることになり、ホッとしました。最後の症例は中レベルのリスクの前立腺癌でした。しかし、結構大きな中葉があっ て、多少時間がかかりましたが、1時間半弱で終了。結局、16時前には終わり、良い締めとなりました。

本格的にこの手術を始めたのが、去年の9月。数えてみると、これまでに100例弱を執刀しましたが、通常の症例であれば1時間前後、難しい症例では2時間程度、リンパ節郭清を徹底的にやっても2時間から3時間弱で終了するようになり、自信がつきました。外科医としては、麻酔科の先生に褒められることは非常に名誉なことなのですが(麻酔科医はどの外科医が上手か下手か、良く知っています)、最近も、「とってもエレガントな手術ね!」と過分な褒め言葉をもらい、とても嬉しく思いました。手術で時間や出血量を競う外科医もいますが、もちろん、上手な外科医は短時間で少ない出血量で手術しますが、癌であれば根治性、そして、機能温存という面でも、優れた結果がなければいけません。その点でも、私の手術後の癌の根治性や尿禁制(尿失禁がないこと)の割合は非常に高く、満足のいくものでした。インポテンスに関しては、自慢はできませんが、、、。

 

新しい年も、さらに研鑽を重ね、よりメスの切れる外科医を目指し、また、愛のある診療を心がけたいと思います。

STAP騒動に幕

今年の1月、Natrueに発表されたSTAP細胞に関する論文。発表された日から注目していました。カロリンスカでも、ノーベル賞に値する発見かどうかという噂話をしている人たちがいました(もっとも、選考委員会に近い人たちの意見は、「既にstress-induced multipotential cellが報告されているし、無理だろう。」といった感じでしたが。)。

「リケジョ」などの新語を生むなど、日本では一大センセーションを巻き起こし、小保方氏は一躍、時の人となりましたが、一方、論文の発表直後から、論文の信憑性についての議論が始まりました。

小保方氏が、「してはいけないという認識がなかった。」とした、電気泳動のバンドの切り貼り。

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蛋白実験や遺伝子解析を扱う研究をしたものであれば、これだけでアウトと考えるのが自然なのではないでしょうか。私もその一人として、そう思いました。全てのレーンが論文掲載に堪え得るクオリティのものが得られるまで、何十回でも、何百回でも繰り返すのが常識。それがNatureのようなトップジャーナルであればなおさらのことです。

 

asahididital(朝日新聞デジタルより)

 

STAP細胞は体細胞由来の細胞から簡単に万能細胞が作製できるという点が売りであるため、STAP細胞には、体細胞で見られるべき、「T細胞受容体遺伝子の再構成」がある必要性がありましたが、この点が覆ってしまったため、共同著者の若山教授から論文撤回の呼びかけが3月にありました。

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その他も、博士論文からの複数の画像の流用や、実験方法の部分における、他論文からのコピペなど、お粗末としかいいようのない捏造疑惑が次から次へと明らかになります。通常の科学者であれば、もはや論文撤回は当たり前、呆れを通り越して怒りさえ覚えたのではないでしょうか。その中で、日本の誇れる研究者である笹井氏が、小保方氏を庇い続けたのは不思議でした。カロリンスカでも再生医学の分野では良く知られていた笹井氏は、将来、ノーベル賞を取る可能性もあるとされていたようです。ノーベル賞を取るためには、優れた科学者であるだけではなく、類まれな運を持っていなければなりません。言い換えれば、天才と言われるまで優れている必要はないけれど、強運がなければいけないと言えるかもしれません。そういった意味では、笹井氏は天才的な研究者だったようです。そして非運、悲運の。iPS細胞では、当時、世界中の多くの研究者が同じ手法でiPS細胞の作製を目指しており、iPS細胞の作製に成功しノーベル賞に到達することは時間との競争で、新しい発想が必要だった訳ではありません。つくづく運命とは皮肉なものだと思わざるを得ません。

そして、今年の8月5日。悲劇は起こりました。天才的研究者、笹井氏の自殺。遺された複数の遺書から、知られていなかった真実が明らかになるかとも思いました。「小保方さんのせいではありません。」「STAP細胞を証明してください。」「新しい人生を歩んでください。」などの表現を目にしたとき、私は、彼は彼女を本当に大事にしていたんだな(愛していたんだな)、と思いました。STAP細胞がないことはすでに彼は知っていたはずなのに。理研内では、映画「ボディーガード」で、ホイットニーヒューストンを守るケビンコスナーを気取っていたそうですが、自分の死に際しても、彼女を守ろうとした、、、、。笹井氏には妻子もいたようですから、人目を憚る関係であったのでしょうが、研究所では大手を振っての同志。研究の道に足を踏み入れた女性が、天才肌の研究者に恋し、男盛の研究者が、日夜傍にいて研究に邁進する妙齢の美しい女性に心を奪われるのも不思議ではない、というより、そうならない方が不思議です。また、笹井氏ともあろう人が、STAP細胞が存在しないことや、小保方氏が研究者として稚拙であることを、認識しなかったはずがありません。少なくとも、論文がpublishされたのち、様々な疑惑が沸き起こったあとは。勿論、ことの始まりは、殊に、iPS細胞に再生医学研究におけるひな壇をさらわれたことなどの研究者としての焦りなどがあったのかもしれませんし、故に研究者としての能力を見抜くことは難しいことではなかったはずなのに、目くらましにあってしまったのでしょう。

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そして大方の想像通り、STAP細胞の存在は証明されることなく、検証実験は終了。小保方氏が200回以上作製に成功したのはES細胞だったのでしょう。小保方氏は退職。野依氏を冠する理研らしい幕引きです。

小保方氏の研究者としての将来がないのは自明です。多量のコピペが発見された博士論文であるにもかかわらず、早稲田が彼女の博士号の撤回を決定しないのもおかしな話ですが、捏造論文で教授職を得ても、教授職に留まることのできる日本ですから、所詮、そんなものなのかもしれません。

 

自己責任とはいえ、小保方氏に出会ったことが悲劇の始まりとなり、自らの命を絶った笹井博士。日本も世界に誇れる研究者を失いました。悲しいことです。Nature blogも笹井博士の死に際してコメントを出しました(記事)。

JAPAN-STEMCELL-RESEARCH-SCIENCE-SCANDAL

彼の死を止めることはできなかったのか。私が小保方氏で、本当に彼を愛していたなら、「捏造は全て自分がやった。彼の責任ではない。」と言ったと思います。そして、おそらく、それが真実だろうと思います。研究者でない人は、「彼は指導者なのだから、彼女の不始末は彼の責任。」と軽々しく言いますが、何千という実験の全てをコントロールすることは、指導者であっても不可能に近いことです。このあたりの事情は、やはり経験者にしか理解できないのか、非研究者と研究者、文系研究者と理系研究者、また、理系研究者であっても、同じような実験系を使う研究者と使わない研究者とでは、意見が異なっているのが印象的でした。

 

私の気持ちに近い記事を発見したので、リンクを貼っておきます。週刊現代という雑誌がどういう雑誌かは知りませんが、バランス良く(私の好みに)書かれているような気がします。産経のこちらもおすすめです。

最後に、、、。小保方氏が確信犯であったのかどうか、ずっと想いを巡らせてきました。小保方氏が全くのおバカさんで、自分の間違いに気づいていなかった。あるいは、確信犯であった。私の結論は、後者です。おそらく、大学時代に始めたコピペなりの小さな不正が想像以上に有効で、その成功に味をしめ、不正を繰り返した。そして、その不正は徐々に膨れ上がり、後戻りできなくなってしまった、、、。

笹井氏の死という大悲劇をもたらしたことで、彼女が少しでも後悔してくれていることを祈ります。