かなりの勾配があったサマーハウスの土地でしたが、土盛りをしたりすることにより傾斜の部分を少なくして芝生を植えました。しかし、芝生の上って、結構、車椅子を操作するには力がいるのですよね。
ということで、芝生の中に石で道を作りました。家の周りには同じく石を張り詰めました。
車椅子だけでなく、杖が必要な義母も楽に歩くことができます。
2−3センチメートルの段差でも、体が不自由な人には大きな障壁となります。日本でも一軒家などで、見栄えが良いから階段をつけることも多いですが、健康なときには理解できないと思います。私も、身障者の家族となって初めて、わずかなことが障害となり、行動範囲が狭まってしまうのだということを理解できるようになりました。ドアの開閉の向き。トイレの便器の設置の向き、出入り口の間口の1センチメートルの差の持つ意味。手すりの意味や位置、、、、。
アパート探しをした時でも、エレベーターがある建物でも、その手前に1段でも段差があればダメなので、その場で諦めたことも数しれず。
現在健康な人でも、突然不自由な身にならない保証はありません。健康な時から考えておく必要があるし、社会全体でももう少し意識が高まるといいなあと思います。
その一段が、その1mがとても辛い、というのは、身体を壊して初めて分かりました。約30年前、私はRAに罹患してだんだんと全身の関節が腫れて、数m先のトイレに行くにも激痛を覚悟しなくてはならなくなりました。結局アパートで動けなくなり、友人に助けを求めてそのまま入院。。。
スウェーデンも、古い石作りの歩道では車いす用のスロープでもわずかですが段差がありますよね。大人ならともかく、子供や老人にとっては辛いのでは? と思っていたのですが、あれぐらいは平気なのですかね?
そうでしたか。それは大変でした。痛みというのは生きてゆく上で最も辛いものです。
僅かな段差で、毎日のことでなければまだ良いのですが、毎日となると2、3センチでも大変です。こちらのベビーカーは車輪が大きいものが多いので、多少の段差は大丈夫だとは思います。老人が僅かな段差でつまづくと、最悪股関節を骨折したりして生命に関わることもありますから、都市設計では段差をなくするようにするべきだと思います。