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人生におけるmentor、研修医時代

人生の中で、「この人についてゆきたい」と思えるようなmentorに出会いたいものだと思ってきましたが、残念ながらその願いは叶えられていません。複数の友人に聞いてみても、mentorに出会った人はほんのわずかです。そんな思いがあるからか、偉大な功績を残した人をみると、その人にはmentorがいたのか、また、本人自身が優れたmentorであるのかどうかということに興味が沸きます。成功するためにはmentorが必要かどうかは別として、要所要所での鍵となる人との「出会い」というものは、重要であると思っています。同時に、成功した人が良きmentorであるかどうかは、必ずしもそうではないと。

 

mentorについてはまたおいおい述べることとして、私が研修医だった頃のことを少し。

現在の新研修医制度というものではなく、医学部卒業と同時に医局に属する人が多かった時代です。

現在、泌尿器科を専門としている私ですが、最初は実は耳鼻科に入局しました。父が腎臓癌で生死の間をさまよったことを経験してから、泌尿器科を専攻したいと思っていました。しかし、泌尿器科の研修は、外科で研修医を2年、その後、大学でレジデントを1年、6年目にチーフレジデントを1年というメニューなのですが、大学での研修は、人数が少ないこともあって、連日の当直など、最も厳しい科の一つとされていました。泌尿器科の先生方はとても気さくで、「私の腕の中に飛び込んでおいで!」などと、当時の助教授にも言ってもらったのですが、決断することができませんでした。当時、結婚を考えていた1年下の彼とも相談し、結局、女性により向いていると考えられた耳鼻科に入局することになったのです。

 

耳鼻科に入局したはいいけれど、何の因果か、耳鼻科と泌尿器科の病棟は6階の南と北で隣同士。泌尿器科の先生方に出会うたびに、胸が痛みました。当時の耳鼻科の教授は耳科学が専門で、真珠腫性中耳炎やら、聴神経腫瘍やらの手術が主流。私はどちらかというと、非主流派である、上額洞癌、甲状腺癌、耳下腺癌といった頭頚部癌の方が好きでした。毎日、額帯鏡をつけての診察は、頭痛がするし、切れ毛になるし、、、。もしかすると、自分が耳鼻科にあわないという理由を無意識のうちに探していたのかもしれません。

 

しかし、一度決めたものは頑張らないと。石の上にも、、、。と思っていたときに、地方病院への出張の話が出ました。フレッシュマンの同級生の中から一人、半年交代で地方病院での研修。研修先は東京から新幹線で約1時間のところにある病院で、耳鼻科の医長は、手術の天才との呼び声が高い先生でした。大学病院でも見放された患者さんをどんどん手術しているという話も聞きました。耳鼻科が嫌いになりそうになっていた私は、渡りに船と、その研修に立候補しました。

 

当時、大学病院のそばにワンルームのアパートを借りていましたが、バブルの終わりの時期で、ワンルームなのに家賃は12万円くらい。月給が2万5千円でしたから、家賃は親に援助してもらっていました。半年の出張なので、アパートはそのまま。出張先では、病院内に寮があり、お給料は9万円ほどでした。厭々ながら、その当時の彼には出張を応援してもらいましたが、当時はインターネットも携帯電話もない時代で、夜中に病院の公衆電話から電話をかけたりしながらの遠距離恋愛の行く末は、想像に難くなく、結婚を考えた彼とのおつきあいは4年弱ほどで終止符を打つことになりました。

 

いつものように脱線しましたが、手術の天才であるボス。噂に違わず、素晴らしい外科医でした。メスやメッツェンの先に目がついているのではないかと思うほどでした。手術件数があまりに多いので、麻酔は自己麻酔ということも珍しくなく、ときには、オールナイトで2件並列ということもありました。朝の9時まで手術をして、9時から外来ということもありました。しかし、辛いとは思わなかった。私は天才外科医である彼に傾倒しました。彼に手術を一から叩き込まれたことは、現在の私の外科医としての基盤となっています。

 

半年の研修が終わって大学に帰らなければなりませんでしたが、私は次の研修でも彼の指導を受けたいと思いました。東京の北に位置したその病院から、東京の南の病院へと転勤した彼のあとを追って、私は新幹線で南へ向かいました。ボーイフレンドとも別れ、単身、知らぬ土地へ向かったそのときの心細さといったら。しかし、私が師匠として追いかけた彼は、外科医としては天才でも、指導者・人間としては、失格だということを、知ることになったのです。

 

メスが切れるだけでは、mentorの資格を満たすことはできません。指導者は複数の部下に対して公平でなければいけないはずなのに、特定の人間を贔屓した。そのことで、当時の同僚が複数、彼に不満を持って、耳鼻科をやめました。外科医、殊に、traineeの時代には、手術症例の取り合いが生じることは珍しいことではありません。日本でも、日常茶飯事でしたし、現在、スウェーデンの職場でもST(専修医)の間で軋轢があります。無駄な争いを生まないようにするには、指導者が公平でなければならないのです。

 

彼に対する不満はそれだけではありませんでした。メスの切れる外科医の中には、難しい手術に挑むことを登山のように考えている人間がいます。より難度の高い手術を手がけるために、手術適応のないと考えられる進行癌も手術する。また、手術が終了すると、患者さんへの興味を失う、、、。高度の進行癌を手術する訳ですから、当然手術は非常に侵襲の大きいものとなるのに、術後の全身管理をきちんとしない。もともと、耳鼻科医というのは、眼科医や整形外科医などと同じで、手術はするけれど、全身管理があまりできない人が多いのです。「ナトリウムが低いからナトリウムを点滴で入れましょう。」というようなやり方に、私は嫌気がさしてしまいました。

 

mentorかもしれないと思った人間に対する失望と、耳鼻科に対する失望とが、私を再び泌尿器科へ向かわせる原動力となったのです。そんな中で、同じ病院の泌尿器科の先生と接触するようになりました。時間のあるとき手術の助手をしたり、内視鏡の手術をさせてもらったりしているうちに、やはり泌尿器科こそ私の天職だと思うようになりました。同じ病院の泌尿器科は私の学閥とは違う学閥で、医長には、「先生が男だったらうちの大学にひっぱるんだけど、女性だから母校へ行った方が良いと思うよ。」と言われて、母校の泌尿器科の教授へ電話し面談、3年目から泌尿器科へ転科することがとんとん拍子に決まり、以来、泌尿器科医としての人生を歩んでいるという訳です。

 

キャリアの中では、未だにmentorと呼べる人には出会ったことはなく、何人も出会った指導者は、どちらかというと、反面教師といった感じが強く、残念です。しかし、人生においてのmentorには出会えたかなと思っているので、それで幸せだと言えます。

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2 comments to 人生におけるmentor、研修医時代

  • Nao

    drpionさんの過去のお話、とても興味深く拝読させていただきました。なんだか小説でも読んでいる気分になりました。彼との別れ、腕はいいが人間としては疑問が残るドクター…drpionさんの日記はいろいろな角度から、視点から書かれているので読んでいて本当に面白いのです♪私にとってのmentorは、おかしいかもしれませんが他界した父かな。尊敬しているし、今でも大好きです。まだまだ聞きたいことがたくさんあったし、今でも困った時は父に相談したくなります。

    • Naoさん。読んでいただいて、ありがとうございます。
      お父様がmentorだったというお話、とても素敵です。きっと、Naoさんは、困ったときには、お父様だったらどのようになさるかな、ということを考えていらっしゃるのではないかな、と想像します。
      もしかしたら、いえ、たぶん、世の中には完璧な人間なんていないのでしょうね。優れた人、一人一人の優れた点をそれぞれ学ぶようにしてゆきたいと思います。

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