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医師をやめようと思ったあのときを思い出しました

研修医を終了して、専門医となるための研修を大学病院でしていたころのことです。

腎臓癌術後で肺転移をきたした患者さん、O氏の担当になりました。

私が医学部学生だった頃の父と全く同じような病状でした。父は病院で免疫療法を受けるとともに、様々な民間療法を試みました。腎臓癌の肺転移は着実に進行し、病理組織学的にも気管支鏡による生検で、腎臓癌の転移であることが確認されていました。

胸部単純レントゲン写真上ですら確認できる複数の転移巣が。

傾眠傾向となり、病院にも見放された父を家へ連れて帰りましたが、ある時点から元気を取り戻し始めました。

そしてしばらくして、驚くことに、CT検査でも、肺の転移は一つも見られなくなりました。こんな経験があって、私は泌尿器科を専門とすることにしたのです。

何が効を奏したのか、、ただただ奇蹟というしかありませんが、試した民間療法の中で、感触の良いものがありました。

話を戻しますが、父に病状の似た患者さんO氏は、勿論、病状が改善するはずもなく、予後が絶望的であるのは明らかでした。患者さんおよび患者さんの妻と毎日接するうちに、父が試した民間療法のことを伝えたいという思いが育ってきました。しかし、大学病院に勤務する医師として、医師チームの方針(無治療)から外れた行動はしてはいけないという認識を、当然持っていました。何日も悩んだあげく、「担当医」としての立場でなく、「一個人として、一癌患者の家族としての経験」であることを念を押し、了承を得たた上、父の闘病歴を話し、参考としたプライベートクリニックで行われている治療法の本を紹介しました。

O氏の妻は早速そのクリニックに連絡を取り、診察の運びとなったその直前、新たな臓器への転移のため、容態が急変し、クリニック受診は不可能な状態になりました。そして、私が医師をやめようと思ったことが起こったのです。

O氏の妻は、「医師チームのメンバーである○○先生が勧めた治療であるから、この大学病院の勧めであると理解した。治療を受けたいので、救急車で送迎してください。」と要求してきました。私がその場で涙をこぼしそうになっても、彼女は冷ややかに同じことを繰り返し、さらに、私を非難する言葉まで飛び出しました。

主治医だった上級医の先生に詳細を説明し、「私は医師を辞めます。」と泣きながら言ったことを覚えています。

「医師を長年やっていれば、いろいろ辛いことがあるよ」と、長い時間をかけて優しく説かれ、結局、思いとどまったのですが、これは本当に痛い経験でした。プロ意識が足りなかったのは明らかなことですが、その時以来、患者さんやその家族を心から信用することをやめました。プロとしては、意識的に「冷めた」考え方をしなければいけないのだということを学んだのです。

しかし、医者になるまでに培った性格や考え方というものは、なかなか簡単には変えられるものではありません。今でも、診療には、かなり気持ちを入れる方だと自覚しています。医師としては熱い方が良いという哲学もあります。

幸い、その失敗以来、大きな失敗はせずにきました。スウェーデンで働き始めても、とにかく、患者さん第一でやってきました。患者さんや家族が望めば、とことん時間を割いて話すようにしています。

しかし、スウェーデンでも、あの苦い経験が蘇るようなことがありました。

少し前のことです。化学療法が無効なタイプの膀胱癌の患者さん。しかも多発性の肝転移あり。もはやお手上げです。約束もなく現れる家族との度重なる面談。その度に1時間以上の話になります。それでも辛抱強く対応していたら、そもそも治療が何もできないことが非難の対象となってしまいました。看護師さんも、「もう、やってられない!」と怒り心頭。私が優しく対応したことで、家族を増長させてしまったかもしれないと反省するとともに、もう20年近くも前の事件を思い出しました。

O氏はほどなく亡くなりましたが、私は今でも、彼の名前や顔を覚えています。彼の妻は、どんな思いで、虚構の発言をしたのでしょうか。追い詰められていたゆえのことに違いないと今では理解していますが、思い出すといろいろな意味で胸が痛くなります。

果たして、自分が、そして自分の家族が再び絶望的な病状となったら、どんな行動をするのだろうか。最後まで筋の通った生き方をしたいものだと思います。患者さんの中には、残された時間が殆どなくなったときでも、切なくなるほど気高い生き方をしている人がいます。この次は、そんな患者さんのお話をしたいと思います。

26 comments to 医師をやめようと思ったあのときを思い出しました

  • こんにちは。

    相手のために考えてやったことが逆に相手から非難されたりする時ほど、虚しさ、悲しさを感じることはないと思います。

    いつもながら先生の患者さんに対する熱い思い、気持ちがひしひしと伝わってまいりました。

    以下、医療の現場を全く知らない素人の素朴な疑問です。

    先生が医師をやめようと思われた件ですが、お父様に効果があったと考えられた民間療法に可能性を感じられたのであれば患者さんの家族に話す前に、医療チームの中でその可能性について提案し、議論するという選択肢はなかったのでしょうか?医療チームって一度方針が決まったらその方針を変えるということは考えられないんでしょうか・・・。

    • お返事が遅くなりまして申し訳ございません。

      本当にその通りです。自分のエネルギーが、空へ消えてゆくようです。

      その民間療法については、少数例の寛解例はあっても、完全治癒の症例は殆ど報告がありません(しかも、同一疾患ではありません)。「効果がある」と結論できるためには、少なくとも、統計が取れるだけのデータがなければなりません。データがない以上は、その治療法を選択するかどうかの議論にもならない訳です。それがわかっていたからこそ、また、予後が絶望的であることがわかっていたからこそ、医師としてではなく、患者の家族としての経験をお話したのです。

  • yosuke

    人の命を助けたいという医師の気持ちと、現場での医療は相容れない部分があるのでしょうね。何のために医師をやっているのか、と考える機会も多いかと想像します。

    以前、高校の後輩の医学部志望の学生と話す機会がありました。
    彼らのプランは、まず医師になって、10年後アメリカのビジネススクールに行って、病院経営に携わる、とのこと。
    病院経営のインパクトを想定して、というよりも、カッコ良いから、だそうです。
    医療に貢献したい、とという気持ちも勿論あると思うのですが、少し残念で、これも時代なのかな、と思いました。

    次の更新を、楽しみにしています。

    • お返事が遅くなりまして申し訳ございません。

      医学部を志望する理由は、時代とともに変化してきているようですね。本来は、「病で苦しんでいる人を助けたい」ために、医師になる、そもそも、医学部に入るべきであると思いますが、時代の流れなのでしょう。しかし、日本では、医学部に入学する機会について、平等ではありません。個人的には、これを何とかしなければいけないと思っています。医学部受験にかかる予備校の費用は年間100万円をくだらないといいます。私立医学部の授業料だけで、平均数千万円が必要です。費用が上がれば、偏差値は下がることを阻止できません。機会の平等を改善することにより、純粋に医療への貢献を希望する人間を少しでも多くすることができるのではないかと。この点において、スウェーデンは大変優れていると感じています。

  • アマリリス

    最近、こちらのブログに偶然たとりつきました。
    ユニークな経歴とポジションの方なので、
    興味深く読ませていただいています。

    お父様ですが、その後どのくらい生きられたのでしょうか?
    ぶしつけですみません。私も癌患者なので。
    (今のところ転移はありませんが)

    • お返事が遅くなりまして申し訳ございません。

      アマリリスさん、はじめまして。
      ご自身が癌患者とのこと、私は、癌患者の家族にはなったことがありますが、まだ幸い、自分が癌を罹患したことはありません。患者本人と患者家族との気持ちのギャップは、さらに大きいものと思っております。転移がないとのことですので、このまま、完治となりますことをお祈り申し上げます。
      父が死の淵を彷徨ったのが、25年ほど前になりますが、驚くべきことに、現在も健在です。肺転移もありません。自分が腎臓癌を扱う専門医となって長い今でも、父のケースは奇蹟だと思います。

  • ガムラ スタン

    >患者さんの中には、残された時間が殆どなくなったときでも、切なくなるほど気高い生き方をしている人がいます。この次は、そんな患者さんのお話をしたいと思います。

    是非、お話をお聞かせ下さいませ。

    • お返事が遅くなりまして申し訳ございません。

      ゆっくり記事にしてゆきたいと思います。いましばらくお待ちくださいませ!

  • Nao

    欧米ではこういう場合は書面にて了解を得ていなければ、「約束が違うじゃない!」とは反論できませんよね。本当に追い詰められた人間は他人に配慮することを忘れてしまうことが多々あるのではないかと思います。実は私は父を胃癌で亡くしました。スキルス性の胃癌で、最初の検査では「すごく初期の、見つかるはずがない胃癌」と診断されたのですが検査を重ねる度に最悪の方向に。9月に私が結婚し、余命半年と診断されたのがその年の12月でした。その頃ドイツで学生をしていた私は、電話で診断の結果を聞く度に「えっ?」ということの繰り返しで、余命半年と電話で知らされた私はどうしていいかわかりませんでした。夫と「こんな時だから子供はもうちょっと後だね」と言っていた直後に妊娠していることがわかり、戸惑いましたが、父の生きるエネルギーになればと思い直し、出産に臨みました。安定期に一度日本に帰り、日本で出産することも考えましたが父の「Tくんと一緒に出産に臨め!お父さんは大丈夫だ!」という言葉に支えられ、ドイツで出産しました。私が出産して1週間も経たないうちに父は旅立ってしまったのですが、家族は私にそれを知らせず、長男を連れて帰国した時、実家に帰ったら「ごめんね」と遺影を見せられました。でも第一子出産直後の私には絶対受け止められなかった事実だったので、3か月隠していてくれた家族には今でも感謝しています。

    長々と書いてしまいました。癌の話を読んで、なんだか書かずには居られなかったんです。私の友人は日本で医者をしています。彼に信じられない遺族の対応など度々聞かされいましたので、そういうことってあるのだなぁ~と思っていました。我が家は途中で担当医が代わり、最初の女医さんはすごく親身に対応してくれたのですが、後の男性医はとても冷たかったので不満はありました。信頼できるお医者さんに最後まで担当してもらえなかったことは今でもとても残念です。お医者さんにとっては多くの患者さんの1人にすぎないので皆さんに親身に対応していては身が持たないのかもしれません。でも先生はきっときっと素敵なお医者さんだと思います。いつも日記楽しく拝読させていただき、エネルギーもいただいています。お仕事ガ忙しいのにお仕事のことだけでなく、王室の話、スポーツの話、幅広くていつも更新が楽しみです!

    • お返事が遅くなりまして申し訳ございません。
      Naoさん。戴いたコメントに、胸がつまるような思いです。ご家族も悩んだ末の結論だったのでしょうね。隠す方も辛かったと思います。
      それでも、お父様は、孫の誕生のニュースに間に合ったのですね。それが何よりもの救いでしたね。

      医者も人間ですし、医者により人それぞれです。また、患者さんとの相性もあります。同じ結果でも、信頼できる医師にめぐり合えば、気持ちの持ち方が全く異なることは良くあることです。
      私は出来る限り、患者さんの立場に立って働くようにしていますが、それでも、信頼を得られないこともあると思っています。それは仕方のないことだと諦めることも必要かなと。

  • なおこ

    最後まで読んで、泣いてしまいました。

    私が乳がん患者ということは前にお話ししたことがありましたが、2010年8月の4週間のリハビリの終わりごろから頭痛に悩まされるようになり、脳転移が見つかったんです。すぐにステロイド剤で頭痛は治まりましたが、頭全体に放射線を10日間にわたってかけたので、いまだに副作用に悩んでいます。

    担当の医療チームの医師たちとはオープンに話してますので、全てがネガティヴに進行した場合は数カ月の命とわかっています。
    ただ同じ治療を受けても、患者の体力、腫瘍の大きさや場所もそれぞれなので、結果がどうでるかは分からないことも自分に言い聞かせています。

    10月からはケモも始まったので、できることから生き延びるチャンスをつかんでいきたいと思っています。
    続きのお話、楽しみにしています。私にとっては毎日がプレゼントのようなもの。いまは大事に一日を気持ちよく過ごすことが大切になりました。

    • なおこさん。

      辛い状況で闘っていらっしゃるなおこさんから、メッセージを戴きながら、お返事が遅くなってしまってごめんなさい。
      お加減はいかがでしょうか?

      「私はあとどのくらい生きられますか?」
      そう患者さんに訊ねられたとき、いつも話すことがあります。
      確かに、統計上、予後を推定することはできる。しかし、それは、統計の上の話。平均よりずっと長く生きている人もいる。5年生存率という言葉があるけれど、患者さん一人一人にとって、平均値は重要ではない。5年後に生きているかどうか、それは、100%か0%。
      また、落ち込んでいる患者さんの家族に、こんなことも話します。
      少し前の日本の研究で、笑うことで免疫力が上がるという報告があった。小さなことでも、笑うようにしましょうよ!
      と、話す私自身、涙がこぼれそうになりながら話すこともあったりします。

      私の父は、奇跡的に転移を克服し25年以上元気にしています。大きな大きなプレゼントですね。一日が積み重なればそのうち1年になります。
      なおこさんの1日が1ヶ月となり、1年となり、統計を変える数字を打ち出してゆかれることを、心からお祈りしております。

  • 初めまして。自分はまだそこまでしたたか(?)な患者さんとはあったことはないですが、大学病院に戻ればきっとたくさんあるような気がします。
    大変お辛い思いをされたことだと思います。
    基本的に患者さんの立場に立ちつつも、どこかで一線をおいて接することがやっぱり大事なんでしょうか。

    • はじめまして!
      お返事が遅くなってしまって、ごめんなさい。
      冷たいようですが、おっしゃるように、どこかで一線を引くことは、自分のためだけでなく、患者さんに必要以上の期待を与えない意味でも、大事だと思います。
      私は、痛い思いをしても、なかなかそれが徹底できませんが、そのことを考えるようにはしています。でも、基本的に、情が熱くて、プロに徹しきれない人間が好きですので、いつか、もっと痛い思いをするかもしれません(笑)。

  • 鉄鉢袋

    お疲れ様です。こちらの真意・善意が伝わらず悲嘆することありますね。最近では患者さんの負の反応を織り込んで話すようになりましたが、それでもがっかりすることは稀ではありません。瞬間の充実感と受け入れてくれる仲間さえいれば何とかって感じです。人間の素晴らしいところ、悪魔のようなところも触れることができる味わい深い究極の仕事、と言えるでしょうか。爺さんくさくなってきました。

    • お久し振りです(というか、私がご無沙汰したのですね。)。

      先生も、熱い人なので、わかります!
      「人間の素晴らしいところ、悪魔のようなところ」ですか!
      流石、先生の表現です!言い得て妙です。
      私は、10代から婆さんくさかったですよ!

  • mikan

    お久しぶりです。
    患者さん、またそのご家族との関わりかたって本当に難しいものがあるんですね。
    私も先月は消化器内科、今月は膠原病内科で、内科のポリクリで担当患者さんを初めて持ち、色々考えさせられることがありました。
    学生でそう感じるのですから、責任が生じて、さらに新米である研修医、専攻医になっってからはもっとたくさん悩むのでしょうね。でもそうやって自分の理想とする医師像、また人間に近づけるのかなって思うと複雑です。

    • お久し振りです。お返事が遅くなってしまってごめんなさい。

      ポリクリの間は、かなり気楽に患者さんとお話ができるし、ポリクリでもお話をすると喜んでもらえるので、どんどん練習してみてください。
      経験のある医師でも、人それぞれ、患者さんへのお話の仕方は違います。できるだけ多くの異なる先輩医師が、どのように話をするのか、同席して、その中から、自分のスタイルを作り上げてゆくのが良いと思います。

  • 患者さんやご家族のギョットするような手のひら返し。ありますよね。特に信頼感があると信じたからこそ、プロの仮面を脱ぎ捨て言葉をかけた時が危ないですよね。私もガッツリ痛い目に会いました。もう日本になんか帰るもんか!との動機の一つになってしまいましたが。類似のケースが、近年とみに増えているようですよ。プロの仮面をぬぎすて、人の心から患者さんとご家族に接することが大変困難な時代なようですね、祖国は。スウェでも類似の風潮が高まらなければ良いのですが。
     思うに、人のぬくもりを互いに与え、与えられる関係でなくては職業フェースをかぶるしか無いんですよね。近年、医者、医療従事者を、他人を思いやれる人が減っているということなのかもしれませんね。

    • ドクトル硝子さんも、ご経験おありですか。日本は、特にその風潮が強いですね。改善すべき医師対患者の信頼関係が、壊れてゆく一方です。
      スウェーデンでも増えているようですが、それでも、医療過誤において、無過失保障であるため、患者と医師の争いが圧倒的に少ないですね。
      職業フェースをなかなか被りきれない私です。だから、傷付くことになるんですね。

  • pet

    はじめまして。アメリカ在住の医師です。「アメリカ」、「肥満」と入れて、GOOGLEしたら、面白くて、ここに流れてきました。「泣きながら言った」等、すごく興味深く拝見しました。

    • はじめまして。
      アメリカの医療現場は、日本よりももっと凄いのでしょうね。スウェーデンは患者さんが優しくて働きやすいです。アメリカの医療情報も是非教えてください!

  • ラナン

    Pion先生、こんばんは。初めてこちらのブログにお邪魔します。私もスウェーデン在住、癌患者です。正確には手術で癌細胞を切り取ってしまったので、元癌患者でしょうか。

    癌の手術数週間後、私は主人と一緒に執刀した外科医に会いました。ドクターから手術の経過、腫瘍の大きさ、今後の治療予定などの説明を受け、最後に「何か質問はありますか?」と聞かれました。主人がすかさず質問しました。「再発の可能性は?」主人は私の癌で患者の私よりも心痛していたのです。

    ドクターは50代の男性外科医でしたが、私達を見てゆっくりおっしゃいました。「あのね、人間は誰でも明日生きているかどうかわからないんですよ。もしかしたら交通事故で死ぬかもしれない。楽しい旅行中に海で溺れるかもしれない。癌もね、再発したらその時はその時。再発の心配などせずに、毎日普通に生活していきなさい。」

    私は不安になると、今でもドクターの言葉を思い出します。そして、「うん、普通に幸せに生きていこう」と前向きになれます。私は腫瘍内科のドクターにも恵まれました。病気になるのは仕方のないことですが、スウェーデンのお医者さん方、とっても頼りになりますよ。

    Pion先生もご自愛くださいね。

    • ラナンさん。はじめまして。

      異国の地で、大変な経験をなさったのですね。

      担当の外科医の先生の言葉は、薀蓄がありますね。癌治療に携わる外科医としては、「再発率」や「5年生存率」などのデータは常に用意しています。しかし、そのデータは所詮統計による数字であって、本人にとっては0%か100%かどちらかなのです。そして、どうなるかは、医者にもわかりません。だからこそ、患者さんにどう対応するかは、個々の医師の哲学にかかってきます。明らかに残り少ない余命であれば、ある程度情報提供することは大事だと思いますが、そうでなければ、ラナンさんの担当医のような言葉は、力になりますね。

      在瑞邦人には評判の悪いスウェーデンの医者ですが、ラナンさんの言葉は励みになります。私も頑張りたいと思います。これからもお健やかに。

  • ラナン

    Pion先生、お返事をありがとうございました。思わず連投しています。
    50歳前に病死した私の父が、大きなラナンキュラスの花を自宅で栽培していました。私のハンドルネーム、ラナンはそのまま父の思い出です。Pion(牡丹、芍薬)の花も大好きです。今年は牡丹をお庭で栽培してみようかなと思っています。

    私は見た目にはとっても元気そうなんですが、度々専門医のお世話になる病気になっています。癌の手術の半年後、また別の病気で手術をしました。その頃、日本在住の外科の先生とメールコンタクトがありました。先生から「日本に住んでいる者からみると、遠い外国で手術を重ねるのはとても大変なことだろうと察します。身体に気をつけてくださいね。」とメールをいただいた時、PCの前で思わず泣いてしまいました。私はスウェーデンのお医者さん達に全面の信頼を置いていますから、「大丈夫、大丈夫」で闘病してきました。でも、日本人のお医者さんの日本語の激励の言葉に、胸が詰まってしまいました。気丈な私でも、心の奥底ではよっぽど心細かったんだろうなあと我ながら思った瞬間でした。
    『異国の地で、大変な経験をなさったのですね。』というPion先生のお言葉も胸にジンときました。今、目がうるうる状態です・・・。日本人のお医者さん、やっぱりいいですねえ!

    執刀医の先生に会った翌日、腫瘍内科医に会いました。ところが私の夫は、彼にも同じ質問をしたんです。(よっぽど心配だったのでしょうね。)腫瘍内科の担当医は若い先生で、夫の質問にデータ通りの数字で答えました。思わず前日の外科医の先生と比べてしまい、「年季」という日本語が頭に浮かびました。もちろん、この若い先生も親身になって話を聞いてくださる、とってもいい先生でした。

    私は常々、「いいお医者さんに恵まれる」と周りの人達に話しています。日本にいる私の妹が言いました。「(亡くなった)お父さんは病気になっても、医者嫌いで病院に行かなかった。それで手遅れで亡くなってしまった。天国のお父さんはそれを悔やんでて、お姉ちゃんにはいい医者さんを会わせてあげたいと思ってるんだよ。お父さんがお姉ちゃんのところにいいお医者さん達を連れて来てくれてるんだよ。」
    私も心からそう信じています。

    異国の地で多くの患者さんを診ておられるPion先生。とっても素晴らしいです。お姿は拝見できませんが、応援しています。でも、無理なさらないでくださいね。私が言うのものなんですが、健康第一ですから。

    • ハンドルネームを理解していただいて、光栄です。
      お父様は、夭折なさったのですね。お父様のお花がハンドルネームだなんて、、、。何だか、心がつまされる思いがします。

      日本語ならではの、こまやかな表現、そして、日本人ならではの心遣いが、この地でも喜ばれることがたびたびあります。先日も、初老のご婦人の患者さんに、予定外の症状伺いの電話をしたら、とても喜んでもらって、「Det var så gulligt.」と言ってくれました。私の印象では、スウェーデンの医師は、「うまくいくから大丈夫」と言いすぎだと思っていますが、スウェーデン人にはそれが合っているのかもしれません。私も日本で働いていたときに比べれば、そんな楽観的な表現を多く使わせてもらっています。

      根拠はないのですが、印象として、楽観的で、医師に全幅の信頼を置いてまかせる患者さんほど、手術経過が良いような気がします。スウェーデンでも、医師に厳しく注文をつけたり、批判をしたりする患者さんがときどきいますが、そういう人に限って、うまくいかないような、、、。不思議なものです。ラナンさんはきっと、そんな患者さんなのではないでしょうか。しかし、「笑う門には福来る」ではありませんが、幸運を呼び込む術というものを、自然に出来る人がいるのではと思います。私はどちらかというと、悲観的なので、努力して楽観的になるように頑張っています。「Alltid leende」はそんな私の座右の銘とも言えます。

      温かいメッセージをありがとうございました。
      まだまだ寒いスウェーデンです。何卒、ご自愛くださいますよう。

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