日本と異なり、大学病院は急性期医療専門。終末期は殆ど扱うことがないため、患者さんの死を看取ることはあまりありません。
それでも、今年は数件の死亡診断書を書きました。
最近亡くなった患者さんは、70代の男性。局所進行性膀胱癌。かなりの悪性で、内視鏡的に切除しても切除しても数週間で再発腫瘍は巨大になります。幸い、遠隔転移がなかったため、膀胱全摘を勧めました。もともとヘビースモーカーで、慢性閉塞性肺疾患が強く疑われましたが、無治療で放置。腫瘍からの出血と、腫瘍により排尿が困難なことから、入院が長引きます。病院での臥床が長くなると、それに伴って呼吸症状が悪化します。
普段から、心を閉ざして言葉少なく、コミュニケーションが難しい患者さんでしたが、徐々に話をするようになりました。どうやら、娘が遠い島に住んでいるよう。患者さんの住所を見ると、ストックホルムでも端の、移民の多い街で一人住まい。経済的にも困窮しているらしく、しきりに、アパートの家賃などの心配をしている。そして、手術を含め、治療を受けたくないと言うのです。
「お嬢さんに連絡して病状を話してもいい?」と訊ねます。
彼は無言で首を横に振ります。
その後、看護師さんから、彼が翻意したという報告を受け、再度病室を訪問し、お嬢さんへの連絡に合意。
お嬢さんは、ストックホルムより南にある島に住んでいます。電話で話すと、とても感じの良い人でした。治療を受けなければ、予後は厳しいことを説明すると、お嬢さんからも話をするという。島からストックホルムまで最低半日必要だが、近々訪ねたいとのこと。父娘はどういった事情かわかりませんが、数年音信不通だったと。
その後、患者さんは腎後性腎不全(下部尿路、この場合は、膀胱癌の進行により、両尿管が閉塞し尿が流れないため、腎機能障害を起こした)となり、片方の腎瘻(腎臓へ直接管を挿入し、尿を管から排泄させる)増設となりましたが、腎瘻を自分で引き抜いてしまい、結果として、重篤な敗血症と腎不全に陥り、病状は急激に進みました。既に、「治療制限に関する書類」が作成されていたため、高額治療は一切しません。意識不明、下顎呼吸となり、今にもはかなくなりそうなある朝、危篤であることをお嬢さんへ連絡しました。そうすると、明日の朝発つとのこと。それでは到着が夕方です。間に合わないな、と思いながら、「急変したら連絡します」と言って、電話を切りました。
複雑な事情がありそうな高齢の独居老人。可能性があるのに、かたくなに治療を拒否する彼。スウェーデンでは、「死に目に会う」ことは重要ではありませんが、それは普段から交流があるからのこと。長い間娘と音信不通だった彼の、まだ息のある間にお嬢さんが来て欲しいと、私も看護師さんも願いました。腎瘻が無いため、せめてもと尿道カテーテルを入れると腫瘍塊と尿が。出来る限り洗浄して、輸液や利尿剤を調節します。舌根が落ちているために、挿管は高度治療となるためできませんが、鼻腔カニューレを。
次の朝、祈るような気持ちで病室を覗くと、若干呼吸状態が改善しているではないですか!もう少しだから頑張って欲しい。
結局、お嬢さんは15時半頃到着し、意思疎通は出来ないけれど、久し振りの面会を奇跡的に果たしました。お嬢さんとの会話でも、家庭の複雑な事情が感じ取れましたが、私にとっては、あの状況から24時間以上持ちこたえたことが信じられませんでした。
「今夜は父の傍にいます。」と言って別れたのも束の間、17時に呼吸が止まりました。救命はしないため、しばらくしてから、病室を訪れました。
「お父さん、あなたが来るのを待ってたんですね。」
お嬢さんは涙を見せながらにっこりとしてくれました。







こんにちは。
大好き叔父が亡くなったときのことを思い出しました。
あれは私がスウェーデンへの移住を決めた直後、家族内でも思わぬ問題が生じている時に届いた危篤の連絡。
何がなんだかわからない状態の中「叔父に会わずしてスウェーデンへはいけない」と言う思いがあり、母親と羽田で待ち合わせして一緒に北海度へ。
危篤の連絡の前にも癌の再発そして悪化の連絡は貰っていましたが「見舞いはしてくれるな」と叔母から言われ迷っていたところでもありました。
病院に到着すると従姉妹が既に岡山から到着、二人で無言で抱き合って事実を受け入れました。
そして寝ている叔父の耳元に静かに「私だよ、りえだよ。」と声をかけるとパッチリ目を開けて「あぁ、こんなになって悪いなぁ」と声もきれぎれに答えてくれたのです。
そして私の手を強く強く握りながら自分の妹である私の母を目で追っていました。
モルヒネの影響もあって、もしかしたら私と私の母親を間違えたかもしれません。でも、目を覚ますことなく逝ってしまうかもと看護婦さんから聞かされていたので本当に驚きました。
叔父は翌日静かに逝きました。
自分の娘である私の従姉妹の次に私達が北海道から離れて暮らしてます。そしていつも私達のことを心配してくれていた叔父。
会うことがなかなか出来ない妹が来るのを待っていたのかもしれない、と今回の記事を読んでふと思いました。
そのうえ私は滅多に会うことが出来ない親戚に自分が移住すると話すことも出来たのです。
何十年も会っていないお娘さんを待つ気持ちとは同じではないかもしれません。でも、絆と言うか想いと言うか、なんと表現すればいいのかわかりませんが、人間の強さの一面を見るような思いでした。
長い割にはまとまらなくて本当にすみません。
体調をくずしていると先のコメントにありましたが、大丈夫でしょうか?
早く早く回復するようお祈りしてます。
無理しないでくださいね。
りえさん。感動的なお話をありがとう。
「人間の絆、想い、強さ」という言葉、じーんときます。この世の中には、科学でも説明しきれないことがありますね。
人間は、生まれた瞬間から、秒読みが始まっています。どんな最後を迎えるのか、迎えたいのか、いつも考えておかなければいけないと思います。
まだ床に臥せっておりますが、何とか頑張りたいと思います。
私も普段、海外に住んでいるせいか、人生最後の時を考えないではありません。人間は最後の瞬間をなかなか予想出来ないものですが、幸せな最後の一つには、愛する家族や友人に見取られながら逝くというものがあると思います。
そして、そのような最後を迎えられるような人生を出来れば築いていきたいものです。
今回の記事はとても心に沁みました。
God jul!
「終わり良ければ全てよし」とか、「有終の美」とかいいますね。でも、こればかりは予想する訳にもいきません。人生を半分折り返して、自分の死について考えなければいけないと思い始めました。短くても長くても、「良い人生だった。」と微笑んで死ねるような人生になればいいなと考えています。
こんにちは。
可能性があるのにかたくなに拒否をする患者さん、患者さんの意思を尊重する病院、もし、患者さんが治療に関して意思表示をする前に意識がなくなっていたらどうなったのか、日本の病院だったらどんな対応になるのか、etc・・・いろいろと考えさせられました。
お嬢さんに会いたいという強い気持ちがお父さんを持ちこたえさせたのだと思いたいです。
死生観は、日本とスウェーデンは少し異なるように思います。スウェーデンの方が成熟しているかもしれません。日本では、訴訟を怖れて守りの医療になっているので、対応の仕方も違うでしょう。
患者さんに、「娘に会いたい」という強い気持ちが、きっとあったのでしょうね。科学を越える力の存在は、ときどき医療現場で感じることがあります。