Visits

Online: 1
Today: 517
Week: 6344
Overall: 2855920

Flag counter

free counters

テロ発生後48時間の黙祷

 

 

ストックホルムでのテロから二日後の日曜日。現場から近いSergel広場で、市民の集会がありました。

およそ2万人の人が集まって、スピーチや歌が披露され、テロからちょうど48時間が経った時、1分間の黙祷を捧げました。

広場は人種を問わず、老若男女で埋め尽くされ、広場にある階段は花で埋まりました。警備の警官に花束を渡す人々の姿もありました。スピーチでは、開かれた街、ストックホルム、平等の街、ストックホルム、そして、テロに屈しない連帯と愛が強調されました。


 

テロという許すことのできない出来事から、人間のポジテイブなエネルギーを感じ、悲しみの中に希望を感じることができ、胸が熱くなりました。次のビデオを見ると、思わず涙がこぼれそうになります。

De trodde att de kunde vinna över oss. Att de med hjälp av terror och rädsla kunde slå oss i bojor. Men de hade inte förstått. De hade inte räknat med den kraft som finns i kärlek, medmänsklighet och mångfald.De hade inte förstått.Över oss vinner de aldrig.Ingen annan video idag sammanfattar det bättre än den Herman Caroan har satt ihop. Publicerad med tillstånd. https://twitter.com/HermanCaroan/status/851081809504894976/video/1

Opslået af Emanuel Karlsten på 9. april 2017

 

 

我が街ストックホルムでテロ

ヨーロッパ各国でテロが起こるようになっても、スウェーデンは政治的に考えても、テロの起こる確率は低いと思っていた。

4月7日。イースターを一週間後に控えた金曜日の15時頃。金曜日といえば通常のウイークデーよりも早く終業する人も多い。私の病院でも15時勤務終了だ。

そして、場所は、街の中心の歩行者専用道路であるDrottninggatan。観光客だけではなく、地元民も集まる、最も混雑している歩行者天国だ。

karta

ビールの集配中で、運転手が離れている隙にハイジャックされた大型トラック。そのトラックが歩行者天国を暴走する。ノーベル賞授賞式が行われるコンサートホールや市場を通るKungsgatanとの交差点で3人がはねられ命を落とした。

歩行者用道路に面するお店のカメラには、必死に逃げる人たちとそのあとから暴走してくるトラックが写っている。

500メートル以上暴走して、トラックはストックホルムで最も大きなデパートに突っ込んで止まった。

lastbil2

私が事件の第一報を知ったのは、事件発生後10分くらいだったと思う。すでに勤務時間が過ぎていたため、急いで保育園に子供を迎えに行った。もう10分でも出るのが遅かったら、病院から出られなかったと思う。しかし、この時、自宅および保育園のすぐ側で発砲を確認したというニュースが出た。保育園に到着すると、まさにその時、園庭で遊んでいた園児を屋内に避難させているところだった。子供達の無事を確認しホッとする間もなく、すぐに帰宅。SNSでは、「私は無事」というメッセージが飛び交っていた。事件現場付近では人々はすべて屋内に避難、街は閉鎖された。交通機関はすべてストップした。病院では緊急事態体制が取られ、関連部門では職員が帰宅せずに待機。

救急外来でも多くの人が自主的に残って、対応を協議。写真はHuddingeの救急。

huddinge2

家の近くのSt Göran病院の救急の様子。

stgoran

週末は通常、ベッド数を減らすことになっている。その上、負傷者を受け入れるとなると、軽傷の患者さんは家に帰すか、どこか他の病院に転院させなければならない。不幸中の幸いで、カロリンスカに送られてきた負傷者は二桁に満たなかったため、何とかなったようだが、もっと多くの負傷者が出た場合にはどうなるのか。

doctor

 

police

 

polisen-attacken-04

attacken-polisen-20

attacken-polisen-18

 

一晩明けた今日、現場近くには花を供える人々が。

STOCKHOLM 2017-04-08 Människor lägger ned blommor och ljus vid två sk Stockholmslejon i betong på Drottninggatan i centrala Stockholm. En kapad lastbil körde på ett stort antal personer på Drottninggatan vid 15-tiden på fredagen. Fyra personer dödades och 15 skadades. Polisen utreder händelsen som ett misstänkt terrordåd. Foto: Jonas Ekströmer / TT / Kod 10030

17799945_10154648459328981_674261903987931754_nblomma

 

flower1

17862272_10154892754593859_4551994326938211377_n

police2

 

テロの起こった当日の夜、ストックホルム郊外で、ウズベキスタン出身の出稼ぎの男性を拘束した。イスラム国に感化されていたという話もある。

犠牲者は現在まで4名。41歳のイギリス人男性31歳のベルギー人女性69歳のスウェーデン人女性、そして11歳のスウェーデン人の女の子、Ebba。

Aftonbladetより

ユールゴーデンにある学校から下校途中だったそうだ。

罪のない子供までがテロの犠牲に。胸が引き裂かれる思いだ。

世界はどうなってしまうのだろう。

私には何ができるのだろう。

なんと保育園が野宿の場に

数日前に、物乞いの話をしました。

近年、ルーマニアを中心として物乞いが増えています。

街のあちこちのお店の前に一日中、女性ばかりが座っています。朝、同じ時間にどこからともなく集まってきて、担当の場所に座ります。ランチなどは、担当の男性が配って回っています。

 

街中の公園などで夜露をしのげるような場所には、物乞いが野宿をしていたりもするようです。

街中の保育園には、通常、バギーを置く小屋がありますが、その中で野宿をする物乞いがいるため、安全面で問題となっていました。私の子供たちの通う保育園も例外ではなく、去年の秋に、ベニヤ板で小屋は封鎖されました。

IMG_8913

 

ところが、数日前、保育園に行ってみてびっくり。ベニヤ板が外された小屋の中には、マットレスや毛布のようなものが、、、。

 

IMG_0085

保育園に聞いてみると、ベニア板で閉じてあったはずの小屋の中に、物乞いがマットレスなどを運び込んで暮らしていたようだということでした。警察に報告した上で、ベニヤ板はもちろんのこと、屋根も外しましたのだそうです。ここで、眠るだけならともかくも、排泄したり食事をしたりしていた可能性が十分にあり、衛生上にも問題があります。物乞いはスウェーデンだけではなくEU全体の問題で、一朝一夕には解決できる訳ではありませんが、少なくとも、子供たちの安全に影響がないようにしてほしいものです。

昇進のテクニック

昇進のテクニックというものは、職種によっても、国によっても異なるものなのだと思います。ですから、私が知っているのは、日本とスウェーデンにおける医師の昇進についてだけですが、少しコメントしたいと思います。

今日から4月。日本では医師のピカピカの一年生が働き始めますね。私が研修医だった頃は、月給2万5千円という薄給で、アパート代さえも払えないため親にすねかじりした状況でした。現在は、少なくともその10倍以上は給料があるようです。しかもあの頃に比べればデフレ。羨ましいなあ。

研修医、専修医、専門医初期の間は、卒業年数によってタイトルもお給料も横並びなのが日本のシステムですが、スウェーデンでは全く異なります。大学病院のお給料が他の病院に比べて最低レベルなのは同じですが、同じ病院であっても同じタイトルの医師でも給料のレベルは様々です。では、どのように給料が決定されるのか。実力か?そうであってそうでないような。

まず、職探し。欠員ができて募集する場合もありますが、欲しい人がいる場合に、その人に合わせた求人広告をするのが大都市では普通のことです。どのようなポジションにどのような人が欲しいのかという条件のところには、すでに存在する候補者にぴったり合うような、そして、なるべく競争相手が出現しなさそうな文章が並びます。そして、すでに候補者がいる場合には、書類審査で決まってしまい、インタビューまで到達することはあまりありません。選抜された場合、大学病院を含めた通常の公立の病院であれば、最初の6ヶ月は試験雇用です。この間に不適格と判断されれば、その後の延長雇用はないまま終了となります。試験雇用をパスすれば、次の契約では終身雇用となる可能性が高くなります。期限付き雇用の場合、その期間には上限があるからです。スウェーデンでは、一旦終身雇用となったら、労働者を解雇することは非常に難しいので、試験雇用のシステムは重要なのです。それでも、能力のない、あるいは、問題のある人間が終身雇用と成ってしまう場合もあり、私も実例を知っていますが、そうなってしまったら本当に厄介なのです。

雇用が決まったら、給与交渉です。これは個人個人でやらなければいけません。スウェーデンの医師の労働組合には、目安となる給与水準のデータがあり、これを利用することもありますが、ここでも自分自身で情報収集することが大事です。同僚の給与の調査や、他病院での給与レベルの調査を行います。請求すれば、誰がどれだけ給与を得ているかというリストをhuman resoursesの部門からもらうこともできます。私もそのリストを請求してみましたが、確かに給与水準は実力を反映しているようなしていないような。最近では、全く反映していないという印象です。なぜならば、新しく、あるポジションについた医師は、同ポジションにいる他の医師より高い給与を取得するという、ローカルルールがあるからです。そうすると、昇進したばかりの若い医師が、以前からそのポジションにいる年配の医師より高い給与を得ることになります。うーん。全く理解できませんが。

以前、スウェーデンの外科医社会でのヒエラルキーに関して書いたことがありますが、それによると、私、つまり女性移民はヒエラルキーの最下位に属します。そんな訳で、私の昇進も遅々として進みませんでした。それに、病院の経済的な問題もあって、つまり、昇進させるお金を出せない、ということでもありました。私の場合はそうではありませんが、人によっては、いろいろな政治的事情でなかなか昇進できないという場合もあります。日本と異なり、臨床医としては、AT(研修医)、ST(専修医)、専門医、biträdande överläkare(准?上級医)、överläkare(上級医)というヒエラルキーがあります。それとは別に、アカデミックなタイトルとして、docent(准教授)、professor(教授)があります。通常の臨床医は、överläkare を最終的に目指すことになりますが、大学病院では学位がなければならないという縛りがあります。何年か前にbiträdande överläkareになった私ですが、上に述べたような事情で、överläkareへの昇進がのびのびになっていました。そんな時に、ストックホルム市内の幾つかの病院からのヘッドハンテイングの打診がありました。自宅すぐそばにある、現在成長著しい病院からもあったため、そちらの面接も受けました。給与面も含め、20%の研究期間、研究費も手配するという、高待遇の条件を提示され、かなり心は揺れました。しかし、最終的にはもう少し大学病院に止まる決心をし、お断りをした訳ですが、このヘッドハンテイングは、昇進への交渉材料として大きな役割を果たしました。「〇〇病院から来て欲しいと言われています。どうしますか?」といった感じです。そう伝えたら、あっさりと、「(やめてほしくないので)やめないでくれるならöverläkareにします。」という返事を引き出すことができました。

それでも、昇進するにはまだ手続きが残っています。新しいポジションになるため、公募をしなければなりません。しかし、このポストは私のために作られたものなので、他の人にはハードルが高いような条件を作る必要があるのです。今回の場合は、「骨盤内手術に熟練し、膀胱全摘、各種尿路変向ができ、ロボット手術にも熟練している医師」というような記述になりました。確かに誰でも応募できるという訳ではありません。公募期間もなるべく短くするのですが、そこで集まった応募の中から書類審査で、4名ほどが審査委員会の審査にかかり、最終決定されるのです。

こんな経過を経て、今年からöverläkareになりました。ヘッドハンテイングの話を昇進への突破口とすることは、私の分野では多いことのようです。給与交渉も満足な結果となり、あとは再び毎日修行あるのみ。

スウェーデンで専門医になったのが2008年。överläkareになるまで、ちょうど9年かかりました。それぞれのポジションでつけていた名札ですが、9年前のものは少し黄ばんでいます。日本で専門医になったのが1996年というこれまでのキャリアを考えると、決して早いとは言えない昇進ですが、ここまで頑張ってこられたことに感謝です。

 

IMG_9973

多様性に寛容なスウェーデン

息子が私の膝に座って、保育園のお話をしてくれていました。

そうしたら、

「ママ、どこの国の子供達が食べるご飯がないの?」

と、聞いてきました。

「今は、シリアかなあ。アフリカの国にも沢山いるよ。」

と答えると、

「その子たちは、ご飯もないし、パパやママもいない子もいるんだよね。かわいそうだなあ。」

と言いました。

スウェーデンという国は、実に多様性に寛容な国です。そして、多様性を受け入れる教育が、幼児教育で既に始まっています。

これは、近年にスウェーデンへ難民としてやってきて居住申請をした数です。2015年には、シリアでの抗争が始まったため、162877人と突出し、2016年には28939人と例年並みに戻りました。

pubchart copy

 

病院でも、しばしば、難民の患者さんを診察することがあります。多くはスウェーデン語が話せないので、通訳つきです。戦争で負傷しただけではなく、スウェーデンへたどり着くまでに暴行されている人もいます。男性でも性的暴行を受けている人もいるため、南病院には、性的暴行を受けた男性のための救急外来もオープンしています。難民でもスウェーデン人でも平等に医療を受けることができるスウェーデンの医療システム。

 

難民だけでなく、この数年目につくのが、街頭に座っている物乞いの女性たち。主に、ルーマニアから集団でやってきています。近所にも、各スーパーマーケットの出口のところに必ず一人ずつ座っています。この日は、こちらには二人も。

IMG_9983

朝、七時半頃、近くのマクドナルド前に集合してコーヒーを買い、それぞれの場所に散らばっていきます。男性が食料を配布して回る姿も見られます。この集団は、市内や近郊で野宿をしているようなのですが、その影響が保育園にも。

IMG_8916

保育園の園庭にある小屋。ここには通常、登園してくる子供達のバギー置き場になっているのですが、ベニア板で閉鎖されてしまいました。それは、夜間に少しでも暖を取ろうと、物乞いの集団が小屋の中で寝泊りをするため、セキュリテイーに問題があるという判断で、このような対策が取られることになりました。

大分前に、オンコールだった時、物乞い集団の一人の緊急手術を担当したことがありましたが、この患者さん、個室に何週間か入院し、しかも、600万円くらいする高額治療を受けました。普通のスウェーデン人なら傷が治癒していなくても退院させて、診療所などで治療を継続するのですが、この方の場合は野宿になるため、長期の入院になったこと、また、退院後も一時的な住居を(医療の立場から必要という判断で)用意したりと、至れり尽くせりでした。この費用は、スウェーデン持ちなんだろうなあ。

徒然なるままにと言ってみたい

毎日毎日、やらなければいけないことが多すぎて、やりたいことはできないままに時が過ぎていきます。

日本の職場と違って、出勤すると、その日の仕事プラス貯まっている仕事を、可能な限りのスピードでこなして、できるだけ早く家に帰るようにしています。これは、同僚のすべてがやっていること。日本では、仕事がなくても上司がいれば帰れないですし、受け持ち患者さんの容態が安定しなければ、当直に任せて帰るということもできません。その点でスウェーデンの勤務体制ははっきりとしていて、プライベートとの区別をつけやすいのです。

勿論、手術日であれば、一部のマッチョ外科医とは異なり、手術時間で競争するような考えはないため、「早く終わらせる」ために手術をすることはありません。受け持つ手術のほとんどが既に慣れたものであるため、それでも予定終了時間から大幅に延長したりすることはほとんどありませんが。しかし、手術とはまさに芸術で、登りつめられる頂点というものはないように感じています。ことに、私が担当する、癌治療と機能温存のバランスを保つことを考えるような手術ではそう。如何に癌を切除し、機能も温存するか。ミクロの単位での切除ラインの調節を症例に合わせて決定することも必要です。

最近、前立腺癌の患者さんの術後で、「腫瘍マーカー検出不能」、「切除断端陰性」だけでなく、「勃起および性交可能」で「尿失禁ゼロ」という方が増えてきて、嬉しい限り。以前は、「尿失禁」はなくとも、「勃起」に関しては成績が芳しくなかったのですが(これは、私自身あまり重きを置いていなかったのと、温存して切除断端が陽性になることを恐れていたということがあります)、機能温存の領域はまさに芸術の域に入ってくると思っています。

前立腺癌の患者さんは、比較的若くて、それまで健康だったという方が多いため、非常に喜んでもらうことがしばしばです。これまで、スウェーデン人は勿論のこと、世界各地からやってきている移民の患者さんの手術を担当してきましたが、数多くのハグをもらいました。中には涙を流してくれた人もいました。

外科医は神ではありませんので、不幸にも良い結果が得られないことがあります。そのたびに私はかなり落ち込むのですが、同僚の外科医を見ていると、腕の良い外科医になるためには、不幸な結果を踏み台にしていかなければいけないようで、この部分は何年外科医をやっていても、私には最も大きな課題であるように感じています。

課題といえば、有能なスポーツ選手が有能なコーチである訳ではないのと同じように、メスの切れる外科医が上手に後輩を指導できるかといえばそうではありません。後輩の能力を見極めた上で、どこまで辛抱できるかということは大事ですが、センスで手術ができる人は、それをうまく説明できないため後輩には伝わらないということがあります。私の最初のオペの師匠は、一つ一つの操作には理由があるんだということを叩き込んでくれましたが、それが私が後輩を指導するようになった今も生きています。これまでの外科医の修行は子育てにも見事に生きていて、辛抱、辛抱、また辛抱、決して声を荒げることなく、折り合わない場合でも、最終的には、「ママが決める」ということを納得させる。子供達は、「Det är mamma som bestämmer. (It is mammy who decides.)」と言ってくれ、私はシメシメとほくそ笑むのでした。

拙文のつぶやきにお付き合いいただき、ありがとうございました。

あけましておめでとうございます!

あけましておめでとうございます。

日本のような豪華な新年の幕開けというのはありませんが、ストックホルムから40分ほどにあるサマーハウスで、ひっそりと新年を迎えました。

今年もよろしくお願いいたします。

dsc_2230b

Merry Christmas, God Jul! We are still alive!

子育てと仕事に追われる日々。気が付いてみれば、1年もブログをほったらかしにしていました。

大人は年を取るばかりですが、子供は着々と成長しており、そのことで年を取ることの痛みが軽くなっているのは幸いです。

今年一年の記録を含め、来年はもう少しマメに記事を書きたいなあと思っております。

img_2664

img_4872

fil_001-2b

dsc_2380

今年のノーベル医学・生理学賞 (2)

ノーベル賞授賞式および晩餐会は毎年、アルフレッド・ノーベルの没日である12月10日に行われます。昨年は、授賞式晩餐会に参加しました。

今年のノーベル・ウイークは12月第2週となりましたが、受賞者がストックホルムに到着してから毎日のように様々な行事が行われます。ノーベル医学・生理学賞受賞者のスケジュールなどに関しては、ノーベル審査委員会の事務局長が仕切っており、エスコートはUD(外務省)からのノーベルアタシェが行います。

今回の行事のうち、内外プレス対象の記者会見がカロリンスカ研究所で行われましたが、マラリアでの受賞の中国のTu博士は全く英語を理解しないので、中国語ー英語の通訳が用意されました。大村博士についても、日本語でのやり取りがご希望ということで、日本語ー英語の通訳が必要となり、事務局長の希望として、通訳ができてかつ、研究・臨床の専門家という人選で、私に依頼がありました。とても光栄なことではありますが、何しろ私の英語はスウェーデン語の上達に伴って錆びついており、英語を話し始めるとスウェーデン語の単語が混じってしまうという始末。それでも、本職の通訳よりも医学の専門家という強い希望だったので、お引き受けすることにしました。

通訳をする以上は、業績について知っている必要があるため、学生時代の知識などすっかり忘れ去っている寄生虫学など関連する資料を読み、自分なりに英語と日本語でまとめを作りました。大村先生ご自身が寄生虫学者ではないので、放線菌やその産生物質、その作用機序なども勉強しましたが、確かに、これは素人には理解するのは難しいかもしれません。公衆衛生に関する部分では、億以上の数字が出てくることも多いのですが、どうしても日本人は英語日本語間の大きな数の変換が苦手で、私もその例外ではありませんでした。これについても少し練習しました。また、記者会見の前週に事務局長と打ち合わせをし、当日はご挨拶と打ち合わせをご本人とするということで早めに会場に到着する予定になりましたが、当日は実はオンコールに当たっていたのですが、記者会見の間だけなんとかボスに交替してもらうということで準備を整えました。

 

一時間ほど前に会場である研究所のノーベルフォーラムに到着しましたが、既に、日本と中国のジャーナリストが会場の中央前方の最も良い位置を占領していました。あとからきたスウェーデン人のジャーナリストが「これじゃ良い写真が撮れないよ。」と怒って、秘書さんに文句を言っていましたが、「直接交渉したら。」とあっさり言われてしまっていました。

記者会見は午後2時からですが、15分ほど前に裏手から上階に上がり、受賞者の投票がなされる大会議室にいる受賞者に会うことになりました。

thumb_IMG_1812_1024

向かって左から、大村博士、Tu博士、Campbell博士、そして事務局長のUrban Lendahl教授です。大村先生が最もお若く80歳ですが、3博士ともとてもお元気そうでした。大村先生は、とても気さくな腰の低い方で、通訳役の私にも丁寧にご挨拶をいただき、名刺まで交換させていただきました。

14時直前にジャーナリストで超満員の会場に入り、私は大村先生のすぐ傍に座ることになりました。英語での質問を日本語で先生にお伝えし、先生の日本語の回答を英語に直すという作業は、難しいものではありませんでしたが、共同受賞者の質疑応答を臨機応変に、かつ、タイミング良くお伝えすることが必要と気づき、それを随時状況判断しながら行うのが最も難しかったことでしょうか。先生がCampbell先生の発言を引用しながらお話しになったときには、その努力が報われた気がしてとても嬉しく思いました。

当初の予定では、前半は共同記者会見で、後半は3人別々のぶら下がりということだったのですが、何しろ、Tu先生の質疑応答に時間がかかり、50分を過ぎたところで散会となりました。その後、大村先生だけは、日本人記者のぶら下がり取材があり、記者の要望に応えて、15年前に亡くなった愛妻の写真を披露なさっている光景が印象的でした。

thumb_IMG_1830_1024

thumb_IMG_1819_1024

関係者が受賞者を裏手から退場させ、その間、ジャーナリストは会場に留まるような手はずになっていたのですが、うまくいったのでしょうか。

 

翌日に、ノーベル賞記念講演がカロリンスカ研究所であり、その後にパーテイーがありました。私はそのパーテイーに出席しましたが、そのときに、アタシエの方から、「通訳のお礼をおっしゃりたいそうです。」とお話があり、再び大村先生にお目にかかりました。

「お礼を言えなかったので、名刺をいただいていたので、帰国してからお礼状を書こうと思っていました。」とおっしゃっていただき、感動しました。また、研究に関する話でも盛り上がりました。なぜ、川奈ゴルフ倶楽部なのか、という問いに対しては、大村先生、実はとてもゴルフがお上手で、ゴルフの際に、「あそこの土に惹かれるなあ。」ということで採取なさったということでした。人格者には運命の女神も味方するんですね。

記者会見の翌日、日本ではNHKを始め、多くの民放のニュースで映像が流れたらしく、思った以上に私も大写しになって驚きました。いろいろな方から、「テレビで見たよ。」という連絡をいただき、実に多くの方がニュースをご覧になっているんだなあと改めて思いました。今年のように、既に世界で何億という患者さんの治療に使われている薬の発見という素晴らしいノーベル賞、しかも日本人の受賞という快挙に関わることができたのは、この上ない幸せなことでした。

omura

記者会見で、「ノーベル賞を取れると思ったか。」という質問に対して、「アフリカに行って、多くの患者さんが救われているのを見たときに、人類のために大きなことをしたんだなあという思いはありましたが、それでノーベル賞を取れるとは思いませんでした。」と語っていらっしゃいましたが、この写真を見るとそれが理解できます。

 

記者会見を報道したニュースは以下のリンクから。日本では英訳は必要ないため、もっぱら通訳用のメモを必死にとっている私が写っております。

 

保育園のルシア祭

保育園では折々の行事がありますが、クリスマス前のこの季節は、ルシア祭

双子の保育園はKungsholmenでは最大級で、園児数約120人。1−2歳児のグループ二つと3−5歳児のグループ2つがあります。双子は3−5歳児のグループで一番小さいのですが、このグループは今年は屋外で歌を披露するという企画でした。

thumb_IMG_1896_1024

娘はペッパーカーカ(ジンジャークッキー)の服装で臨みました。パッと見ても一番小さいのが娘です。

息子はサンタ。

thumb_IMG_1904_1024

歌を歌ったあと、サンタルシアの歌で退場し、引き続き園庭でルシア祭用のパン(ルッセキャット)やジンジャークッキー、グレッグなどが振舞われました。

 

娘は服装が気に入ったらしく、家でも着たがります。

thumb_IMG_1759_1024

 

大きめの服を買ったけど、来年は着れないんだろうなあ。