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双子7歳!

日本滞在中の7月3日。双子は7歳の誕生日を迎えました。

近所でケーキを買ってきて、みんなでお祝いしました。

7年前はこんなに小さかった。1.8 kg、40 cm強で生まれてきた双子。髪の毛が無いのが娘。

ほぼ同じ大きさで生まれてきた娘と息子ですが、今では、娘は120 cmで20 kg、息子は130 cmで30 kg。2歳以降は大きな病気もせずに育っています。

子育ては大変ですが、あと10年もすれば親元から離れていってしまうかもしれないと思えば、一緒に過ごす時間を大切にしたいなあと思います。

初めてのランドセル

今年の帰国は、子供達の小学校への体験入学が目的。

事前に、希望の公立小学校へは連絡をして、入学希望を伝えておきましたが、当然、住民登録をしなければいけないものだと思っていたら、住民登録をせずに、「一時帰国に伴う一時入学」というシステムがあるのだそう(どの地方自治体でも、という訳ではないのかもしれませんが)。そこで、支所ではなく、区役所の教育委員会へ行き、入学の手続きをしました。

幸い、制服ではないので、制服を買う必要はありませんが、帽子や体操着、水着、防災頭巾、上履きなど、購入するものが沢山あります。筆箱も、箱型のもの、下敷きも無地のもの、と条件が厳しい、、、。体操着や水着には、おきまりの白い布に名前を書いて縫い付けるという作業が、、、。

ランドセルは買うつもりはなかったのですが、甥のお古があったので、娘にはネットで中古の安いランドセルを見つけて(とても安くて、かつ綺麗だった!)買いました。ランドセルを背負うと、途端に日本の小学生に見えますー!

雨天で順延になっていた遠足にも参加できました。ちょっと胸キュンの井之頭公園!

スウェーデンでは、1年生が子供だけで通学するということはあり得ないので、学校まで一緒に行きます。校門には校長先生がいらっしゃり、子供達に声をかけています。また、アルバイトやボランテイアの方が交通整理をしてくれています。

学校は去年新築されたばかりで、プールが体育館の屋上にあります。しかも、深さが調節できるのです。

新しい経験に母もドキドキです。娘はお別れの時にグズグズ泣きましたが、息子は驚くほどしっかりしていて、さっさと1人で上履きに履き替え、教室に言ってくれるので助かります。娘の周りにお友達が寄ってきて、(一年生なりに)いろいろと話しかけてくれたのが嬉しかったです。

一年生は4クラスで、娘と息子は違うクラス。他のクラスにも、フランスから1ヶ月の予定で帰国している子がいました。どうなることやら。

日本の保育園(2018年)

今回の日本行きに備えて?と言ったら大げさですが、去年の1月から3ヶ月弱、日本に滞在していました。子供達は2重国籍を今は持っていますが、去年まで日本語は全く話せませんでした。日本人の母親である私の責任なのですが、仕事と子育ての両立だけで一杯一杯で、日本語教育までは全く手が回りませんでした。それでも、きっぱりと日本語教育を諦められずにおり、子供たちがまだ保育園で、自由にお休みできる時に日本に少し長期で帰って日本の保育園に通わせたいと思いました。私も職場で生き残り競争をしているところでもあり、長期の休暇を取りたくはなかったのですが、これも子供のため。ほとんど使っていなかった育児休暇を取ることにしました。多少でも手当てがいただけるのはありがたいことです。

ストックホルム、アーランダ空港でパパとしばしの別れ。

お世話になった先はこちら。

両親の住む世田谷区は、待機児童が多く保育園は激戦。保育園の空きはありません。住所を借りられるつてのあった渋谷区は、複数の空きがありました。その中でも、伝統があり広い園庭のあるこちらにお願いすることにしました。奇跡的に、子供達の4歳児クラスには欠員があったのです。

最寄りの駅は、、、。

Diorのビルや表参道ヒルズがご近所。

ストックホルムからきた田舎者たちは、完全にお上りさん。

広い園庭には、プールまであります。古い建物ですが、屋内は綺麗に手入れがされています。

こちらの広間で皆んなでお昼寝。以前はパジャマに着替えていたそうですが、震災以降、すぐに避難できるようにと、ランチのあと、新しい洋服に着替えてから服のままで寝ることになったのだそうです(私も、それ以降、次の日の洋服で寝せるようにしました)。

今日のご飯の見本が陳列されています。

それぞれのクラスで皆んなでランチ。

季節折々の行事も素晴らしい。

子供達も正座してお茶をいただきます。

古い保育園らしく、まだこんな和式のトイレもありました。

雪が降れば園庭で雪遊び。

スウェーデンに戻る時には桜が満開でした。

渋谷保育園の園長先生がとても素晴らしい方。そして、他の先生方を始め、職員の方々が、本当に親切で、子供達にとっても、私にとっても恵まれた園生活を送ることができました。お別れする時には、とても悲しくて、涙がこぼれました。

しかし、この保育園生活でも、日本語の進歩はそれほどありませんでしたが、おそらく、この日本での経験がなければ、補習校に通うことを諦めていたと思います。

私は、毎朝、満員電車で子供達を連れて保育園まで送りました。夕方は5時ごろに迎えに行きましたが、表参道があれほど混雑しているとは知りませんでした。

息子が良く、「どうして日本にはこんなに人が多いの?」と聞いてきたものでした。

子供の教育というのは、親の犠牲があってこそだということをつくづく感じました。スウェーデンに戻ってみたら、私にとってさらに職場の状況は過酷なものになっていたし、去年はまさに激動の一年でした。いや、一昨年は、夫が死にそうになったこともあり、もっと大変だった。いつになったら少し楽になるんだろう、、。

子供達の夏休み!

3ヶ月近い子供達の夏休み。私が働いているときは、所謂、学童のようなところに行ってもらいます。

そして今年は、、、。

行ってきまーす!

最短のヘルシンキ航空でも、ヘルシンキから9時間から10時間かかります。

無事着陸!

0年生終了!

小学校(grundskolan)の0年生(förskolklass)が終了しました。8月から始まる新学期から1年生になります!

おめでとう!

ストックホルムミニマラソン

ストックホルムマラソンのあとに行われる、子供対象のミニマラソンに参加しました。

スタートの前には、みんなで準備体操。

年齢と性別毎に別々のスタートです。

ゴールは、ストックホルムスタジアム。かつてのオリンピックスタジアムです。

2人とも無事完走してメダルをもらいました。

帰りに、スウェーデンではお約束の、ホットドッグを食べました。

補習校の運動会

補習校の一学期が終わり、そのあとに行われた運動会。

日本の小学校のように、かけっこや、リレー、玉入れに綱引きと、いろいろな競技がありました。

娘はかけっこが得意。

息子はマイペース。

綱引きに。

玉入れ。

しかし、一番感動したのが、、、。

一年生も参加した800メートル走。息子は、スタートで転んで負傷。スタート地点で泣いていたので迎えに行きました。

「お母さんと一緒に走る?」

と、ダメ元で聞いたら、何と、

「走る。」

というではないですか。

そのまま手を繋いで母と走る息子。観客も、息子が泣いて諦めるかと思っていたらしく、走り始めた息子に大きな声援をくれました!

1周目を走り終わり、2周目はもう走らないと言うかと思ったら、頑張ると。



そうこうしているうちに、ビリっこのお友達に追いつき追い越し、もう1人追い越し、ゴールが近くなったところで、もう1人追いつきそうになりました。

「もう1人抜かせるかも。」と母が言うと、息子は母の手をいきなり振り払って、1人で猛ダッシュ。

何だか泣けましたー。

「あきらめない」ことを少しは学んでくれたかな。

優しさ、思いやり、心遣い。弱者強者両方向。

ご存知のように、夫は脊損患者ですので車椅子での生活です。

同じ車椅子で外出するし、その車椅子で室内にも入ります。外履きからスリッパに履き替えるという訳には行きません。

一緒に生活をするようになった時、特に日本人の私にとっては、それに違和感がないと言ったら嘘になります。今は、帰宅したらタオルで車輪を拭くようにしていますが、、、。

お呼ばれの時はやはりどうしても気になります。日本にやってきて、妹や親の家へ入る時。その時もタオルをお願いします。家族はあまりコメントしませんでしたが、きっと私と同じように違和感を持った(持っている)に違いありません。

知人の話。脳梗塞後で足元が不確かな高齢者が、実家から独立したばかりの孫のアパートを訪問しました。外出時は杖が手放せないため、アパートの中にも杖を持って入りました。孫はそれに反応し、「(汚いから)杖は中でつかないで。」と言ったそうです。何と冷たい言葉でしょう。彼女か彼氏の言葉だったら、その一言だけでアウト。

杖に比べたら、車椅子はさらに不潔に違いありません。それでも、車椅子がなければ移動は不可能です。弱者になって見なければわからないことがあることは確かです。しかし、少し考えれば(いえ、考えなくても)「杖は中でつかないで。」という言葉に、優しさや思いやりが全くないのは明らか。同時に、弱者である夫が上手に生きてゆくためには、弱者なりの心遣いが必要なのかもしれません。今後、夫がお呼ばれするときには、車輪を拭くためのタオルをできる限り用意しようと思います。思いやりは、強者から弱者だけではなく、弱者からも示すべきなのでしょう。

日本とスウェーデンを比べると、日本は多様性を認めたがらない社会だと感じます。表面下の差別も実は沢山あります。社会不安や厳しい労働条件などからくるストレスがヘイトとして吐き出されているような気もします。オリンピックを控え、日本が、より開かれた優しい社会になりますように。

ileal ureter interposition

スウェーデンで働くようになって、日本では見なかったような大手術を見ることがあります。一緒に働くことの多い、下部消化器外科は、再発癌に対してしつこく外科的切除をしますし、HIPECもかなりやっています。婦人科も同様。肉腫グループに至っては、hemipelvectomy(両足切除含め)などもやります。

ですから、回腸導管や、尿管の膀胱への吻合くらいは、各科でやってしまうことが多いのですが、複雑な尿路再建になると声がかかります。事前に話があることもありますが、緊急に呼ばれることも少なくありません。

泌尿器科では、ほとんどの医師がロボット手術しかしないため、開腹手術でかつ高難度の手術ができる人は、ほとんどいません。そしてそれは、先夏に大騒動を起こした男女差別をするイラン人と、私。ちなみに、先夏以来、彼は挨拶もしません。

最近も、緊急に何回も呼ばれ、ileal ureter interpositionを執刀しました。日本では見たことがありませんでした。

巨大な腫瘍や、周辺臓器に浸潤するような腫瘍を切除する場合、膀胱や尿管を合併切除しなければならないことがあります。その時に、症例に合わせて尿路の再建をするのです。膀胱に尿管を直接吻合するのが一番簡単ですが、尿管の長さが足りない場合には、膀胱の一部を尿管とするボアリ法が有名です。膀胱容量が少なかったり、それでは長さが足りない場合には、小腸を使って再建します。また、小腸もそのまま使ったり、Yang Monti管といって、小腸を開いてそれを90度違う方向で管として縫い直すことにより、短い小腸から長い管を作って再建するなどの、様々な方法があります。

しかも、尿管として用いる小腸には血管が付いていますから、それを大腸の腸間膜のどちら側に引き抜いたら良いのかなどの判断をしなければならず、複雑な手術です。膀胱全摘などよりも、ずっと難しいのではないかなあと思います。

先日、肉腫チームのオペに呼ばれて手伝いに言ったら、「こんな風に再建ができるなら、今度からもっとお願いしたいなあ。これまで、尿管が短くなったら腎臓も切除してたんだ。」と言われました。正常に機能している腎臓を捨ててしまうのは勿体ない。

夏休みが迫っているこの時期も、直接電話がかかってきてオペの手伝いの予約が入ります。「Ayakoにお願いしたいから、何とか時間を開けて。」と頼まれるのですが、外来をキャンセルしたりしてリスケしなければならないので大変。本来は、若い先生に教えて、再建手術のできる術者を増やさなければならないのですが、それも大変。

機能再建は実に奥が深い。癌の手術は、取るだけ。あとで再発したりしても、癌のせいにできます。対して、機能再建は、その名の通り、機能しなければならない。先日、脊損患者さんの膀胱拡大術(これも小腸を使う)と腹部に膀胱にカテーテルを挿入して導尿する管を作る手術をしました。導尿用の管は、Yang Montiで作成したり、盲腸を使ったりします。オペ後に、導尿がちゃんとできて、漏れもないと患者さんから報告してもらった時の嬉しさといったら!

外科医は辛いけれど、天職かなあと思います。

超過勤務は当たり前で、子供達のお迎えには、私はまず行けないので、行ってくれる夫にも感謝。

da Vinci Xi 初体験!

カロリンスカ大学病院には、手術支援ロボットda Vinciの旧型が3台、最新機種のXiが一台あります。最新機種はカメラが細くて、手術アームが自在に動くため、カメラ用のポート以外からもカメラが挿入でき、術野や患者さんの体位の自由度が増すことで、旧型と大きな違いがあります。

今まで旧型で手術をしてきましたが、今週、助手の先生が、「Xiが空いているから、使ってみましょうよー!」と言うので初めて使ってみました。Intuitiveからも担当者が来てくれたので、安心でした。

中央にある、肝心の本体のアーム部分が不潔にならないように布で覆われていて見えませんが、私は、左手にあるコンソールに座って手術をします。この大きさの手術室が新病院ではスタンダードな広さで、60平米ほどあります。広いです。一番大きな部屋は120平米もあります。

大お家騒動の末、執刀を始めた膀胱全摘ですが、既に30例以上を執刀しました。大きな合併症は一例。ステロイドを使っていた患者さんが、イレウスになり、小腸吻合不全となりました。これは私の技術が悪いと言うより、不運だった症例でした。指導者なしで手術をしてきた厳しい状況では上出来とかなあと思います。自分なりに手術法も改良して、これからも現状に甘んじることなく、少しでも良い手術ができるように努力したいと思っています。


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