Visits

Online: 1
Today: 213
Week: 3472
Overall: 5469111

Flag counter

free counters

悲しくも美しい夫婦愛

スウェーデンでは、終末期に入った患者さんは、大学病院からは退院していただき、ホスピスや在宅医療での治療となります。

「この人とは、もう二度と会えないだろうな」と思いながら、患者さんとさよならをするのは、辛いものです。

今年、恥もなく涙をこぼした患者さんの話題といえば、間違いなく、「悲しくも美しい夫婦愛」を見せてくれた彼。

彼は膀胱癌を患った70代の男性。数年前から、他の癌の治療や、心・血管系の疾患での大きな治療を繰り返してきました。運の悪いことに、膀胱癌も発見時から非常に進行した状態。抗癌化学療法を施行してから、膀胱全摘となりました。今回は、消化管と尿路の瘻孔形成の症状で入院。入院時の検査で多発性の肝転移が。通常であれば、それほど高齢でもないこのような患者さんに対しては、腎機能更なる抗癌化学療法が行われるのですが、手術前に既に抗癌化学療法が行われているにもかかわらずの再発ということで、再発癌には化学療法が無効であろうと推測されます。こんな場合、日本では他に治療法がないこともあって、無効であっても化学療法が施行され、患者さんは結局、退院もできないまま亡くなることも多いのですが、スウェーデンでは非情なまでに意思決定がはっきりしています。日本で泌尿器科癌に抗癌剤治療をするのは泌尿器科医ですが、スウェーデンでは腫瘍専門医。しかも、泌尿器科腫瘍の専門家です。この患者さんのケースも、治療カンファレンスで話し合いがなされ、いとも簡単に「無治療」という決断が下されました。また、消化管との瘻孔も、腹膜炎症状もなく、限局性ということで、現疾患が無治療であれば、こちらも無治療という外科の決断。これも、日本ではありえないことです。

以前の記事でも述べましたが、彼のようにまだ元気であっても、予後が非常に悪く、保存的治療以外の方法がない場合は、比較的早い時期から、「治療制限」についての決断をすることが奨励されています。泌尿器科のように、当直医がおらずオンコールのみの場合は、急変時に処置をするのは、急変時に対応する医療チーム(Mobila intensivvårdsgruppen、通称MIGチーム)ですが、治療制限の決定がなされている場合、その内容により診察もせず無処置とすることも可能になります。MIGチームは、小さな荷台に医療機器や薬剤を積んで、通常、緊急コールがあってから数分以内に到着し処置を行う特別な医師・看護師チームで、日中であってもときどきお世話になることがあります。

治療の制限の決定がなされると、コンピュータ上にある書式に記入します。

例えば、こんな感じです。これは、新たな治療行為開始の制限。

MIGチームの要請、集中治療室への入室、心肺蘇生、ペースメーカー、挿管を伴う呼吸管理、挿管を伴わない呼吸管理、透析、手術、放射線治療、輸血、酸素吸入、昇圧剤、抗生剤、抗癌剤、栄養、輸液がチェックリストに挙げられており、施行しないと決断されたものにチェックをするようになっています。

続いて、一度開始された治療を中止する場合のチェックリストもあります。

Beslut har tagits efter samrådmed(この決断は以下の人間の同意により下された):

Patienten(患者)、Närstående(患者家族)、Ansvarig läkare på hemklinik(該当科の担当医)、Ansvarig läkare på intensivvårdsläkare(集中治療室の担当医)

とあるように、この決断を下すのは、患者さんや家族の同意がなくとも可能。これも日本では考えられません。

彼に残された時間は、おそらく長くて数ヶ月。彼は、現実を全て理解し、受け入れていました。私が、「治療制限」についての話をしたときも、動揺を見せずに、静かに言いました。

「私に残された時間が短いことはわかっている。不必要な治療は勿論受けたくない。」

続けて、ホスピスなどへの転院の話をすると、

「私は家に帰りたい。私には、癌を患った妻がいる。彼女は長いこと闘病生活をしていて、私が家で彼女の面倒をみてきたから、早く帰らないと。」

スウェーデンでの在宅医療は非常に進んでいて、ASIH(avancerad sjukvård i hemme、高度在宅医療)という24時間体制のシステムが、居住区毎にあります。中には、必要に応じて入院できるベッドを持っているところも。医師、看護師ばかりでなく、理学療養士、社会福祉士、栄養士なども働いています。中心静脈栄養の管理は勿論、手術創や褥創の管理もしてくれます。カルテも、大学病院と共有する電子カルテを使っているところもあり、大学病院の担当医とコミュニケーションを取る場合も便利です。

肝転移によると考えられる腹水貯留も始まり、呼吸も苦しそうになってきた彼には、ホスピス転院が適当と考えられましたが、彼の妻の面倒を家でみるという意思は固く、ASIHにお世話になることにしました。

彼が言います。

「どうしてもこの週末までに退院させてください。」

週末まであまり日がなく、ASIHの審査や準備を考えると、かなり厳しい日程なのですが、どういう理由か、絶対に退院すると言います。

普段から、彼の人柄、そして、真摯に死と、自分の運命と向き合う姿に感銘を受けていた私達医療チームは何とか全ての手続きが間に合って、彼の希望が叶うように頑張りましたが、結局、ASIHは、週明けからということになりました。しかし、退院はその前の週末で、週末は夫婦二人で乗り切るということになりました。腹水、呼吸困難の彼がどうやって病床の妻を面倒みるのか、、、。

退院当日、看護師さんが涙目で私のところへやってきました。

「彼、病院のお花屋さんで、花束を買ってきて欲しいのですって。先生、何故だかわかる?今日、奥さんとの50回目の結婚記念日なんですって。」

そして、

「Vilken fin människor han är!」(なんて美しい人間なんでしょう!)

と彼女はつぶやきました。

それに対して、私は思わず、

「50回目の、そして最後の結婚記念日」

とつぶやいて、二人で涙をこぼしました。

「先生、彼は奥さんと最後のクリスマスを過ごしたいって言っていたけど、大丈夫かしら。}

「多分、それまではもたないと思う。」

というような会話をしたと思います。

. . . → Read More: 悲しくも美しい夫婦愛

「そんなにもあなたは娘を待っていた」

日本と異なり、大学病院は急性期医療専門。終末期は殆ど扱うことがないため、患者さんの死を看取ることはあまりありません。

それでも、今年は数件の死亡診断書を書きました。

最近亡くなった患者さんは、70代の男性。局所進行性膀胱癌。かなりの悪性で、内視鏡的に切除しても切除しても数週間で再発腫瘍は巨大になります。幸い、遠隔転移がなかったため、膀胱全摘を勧めました。もともとヘビースモーカーで、慢性閉塞性肺疾患が強く疑われましたが、無治療で放置。腫瘍からの出血と、腫瘍により排尿が困難なことから、入院が長引きます。病院での臥床が長くなると、それに伴って呼吸症状が悪化します。

普段から、心を閉ざして言葉少なく、コミュニケーションが難しい患者さんでしたが、徐々に話をするようになりました。どうやら、娘が遠い島に住んでいるよう。患者さんの住所を見ると、ストックホルムでも端の、移民の多い街で一人住まい。経済的にも困窮しているらしく、しきりに、アパートの家賃などの心配をしている。そして、手術を含め、治療を受けたくないと言うのです。

「お嬢さんに連絡して病状を話してもいい?」と訊ねます。

彼は無言で首を横に振ります。

その後、看護師さんから、彼が翻意したという報告を受け、再度病室を訪問し、お嬢さんへの連絡に合意。

お嬢さんは、ストックホルムより南にある島に住んでいます。電話で話すと、とても感じの良い人でした。治療を受けなければ、予後は厳しいことを説明すると、お嬢さんからも話をするという。島からストックホルムまで最低半日必要だが、近々訪ねたいとのこと。父娘はどういった事情かわかりませんが、数年音信不通だったと。

その後、患者さんは腎後性腎不全(下部尿路、この場合は、膀胱癌の進行により、両尿管が閉塞し尿が流れないため、腎機能障害を起こした)となり、片方の腎瘻(腎臓へ直接管を挿入し、尿を管から排泄させる)増設となりましたが、腎瘻を自分で引き抜いてしまい、結果として、重篤な敗血症と腎不全に陥り、病状は急激に進みました。既に、「治療制限に関する書類」が作成されていたため、高額治療は一切しません。意識不明、下顎呼吸となり、今にもはかなくなりそうなある朝、危篤であることをお嬢さんへ連絡しました。そうすると、明日の朝発つとのこと。それでは到着が夕方です。間に合わないな、と思いながら、「急変したら連絡します」と言って、電話を切りました。

複雑な事情がありそうな高齢の独居老人。可能性があるのに、かたくなに治療を拒否する彼。スウェーデンでは、「死に目に会う」ことは重要ではありませんが、それは普段から交流があるからのこと。長い間娘と音信不通だった彼の、まだ息のある間にお嬢さんが来て欲しいと、私も看護師さんも願いました。腎瘻が無いため、せめてもと尿道カテーテルを入れると腫瘍塊と尿が。出来る限り洗浄して、輸液や利尿剤を調節します。舌根が落ちているために、挿管は高度治療となるためできませんが、鼻腔カニューレを。

次の朝、祈るような気持ちで病室を覗くと、若干呼吸状態が改善しているではないですか!もう少しだから頑張って欲しい。

結局、お嬢さんは15時半頃到着し、意思疎通は出来ないけれど、久し振りの面会を奇跡的に果たしました。お嬢さんとの会話でも、家庭の複雑な事情が感じ取れましたが、私にとっては、あの状況から24時間以上持ちこたえたことが信じられませんでした。

「今夜は父の傍にいます。」と言って別れたのも束の間、17時に呼吸が止まりました。救命はしないため、しばらくしてから、病室を訪れました。

「お父さん、あなたが来るのを待ってたんですね。」

お嬢さんは涙を見せながらにっこりとしてくれました。

ノーベル賞授賞式

毎年12月10日、アルフレッド・ノーベルの命日に行われる、ノーベル賞授賞式。以前、コンサートホールで行われる授賞式と、市庁舎で行われる晩餐会とどちらも出席したことがありますが、今年は、授賞式だけ参加してきました。式が16時半から始まるため、16時15分までに着席。当日、しっかりと勤務のあった私は、15時半頃仕事を終わらせて、そのまま職場から会場へ。

コンサートホール前の市場には、いつものように、各国の国旗などを付けた黒塗りのハイヤーがずらりと駐車しています。

セキュリテイーは、流石スウェーデン、ここでも甘々。ご招待していたロンドンの大学の教授と私は同行しましたが、招待状(先日のものではなく、後日、バーコードが付いたものが送られてきました)と、運転免許証だけ。荷物検査はなし。

家族など関係者や、各国大使などが、ステージ正面の1階に座ります。私は、2階席から高みの見物。日本人2名の受賞だけあって、着物姿の邦人の姿もちらほら。

お向かいの席には、社会民主党の女性党首、モナ・サリーンの姿も。モナの向かって右は、左党党首夫妻。

一応、「式の間は撮影禁止」ということだったのですが、ノーベル審査委員のコメントのとき以外は、撮影可のようでした。

次々と審査委員および関係者が着席します。メインステージの上方には、オーケストラが。

ステージの中央には、ノーベルの像。

いよいよ、王族の入場。婚約破棄後ニューヨーク滞在中のマンデレーン王女以外のご出席。新婚のダニエル王子にとっては、初めてとなるノーベル賞行事。ビクトリアがダニエルを気遣うかのように。

各賞毎の説明がノーベル賞審査委員代表よりスウェーデン語でなされ、国王からメダルを授与されます。

化学賞のお二方も上方から。私の席はステージに向かって左手だったために、お顔を写すことができませんでした。

日本人としては、何よりも化学賞が嬉しいものでしたが、感動的だったのは、やはり医学・生理学賞。

先の記事にもしたように、IVFの父であるエドワード博士に授与されましたが、健康上の理由でパートナーでやはり研究者の妻が代理で出席。倫理上の問題で、バチカンを始めとして批判もあった今年のノーベル賞ですが、ノーベル賞審査委員も胸を張る選択。審査委員会自体も、「倫理上の問題が解決した訳ではない」としており、常に倫理問題がこれからもついてまわる治療ではありますが、既に400万を越える子供が誕生し、最初のIVFによる女性は、自身、出産もしています。インタビューでも、「IVFがなかったら、私ばかりではなく、私の子供も存在しなかった。」と言っていました。不妊治療だけでなく、IVFがなかったら、例えば、ES細胞の医学への応用もなかったでしょう。生殖細胞に対する人的操作は問題で、体細胞に対する人的操作は問題でないという考えも理解できません。しかし、このようなグレーゾーンに近い医療に関しては、倫理問題を常に考えなければならないのも確かです。

私の理解者でもあり、友人でもある、ストックホルム脊損センターを設立したClaes Hultlingが、後の晩餐会のインタビューに答えていました。彼は麻酔科医だった1984年にダイビングの事故で脊損を負いました。数週間後に結婚式を控えていました。彼のパートナーは、同級生。8年に渡る治療の結果、脊損患者を父親に持つ、世界最初のIVFによる子供である、現在18歳になる長男が誕生したのです。こちらに、彼が、カロリンスカ研究所200周年に寄せて書いた記事があります。男性の脊損患者はIVF以外に挙児の可能性はありませんが、これまでに、200人もの脊損患者を父親に持つ子供がスウェーデンで誕生しているようです。患者自身である彼がテレビカメラの前で今年のノーベル生理・医学賞について語るのを見ると、やはり、良い賞だったと思わずにはいられませんでした。

最後にこっそり。

職場から駆けつけたので、おめかしはできませんでしたが、正装が決まりなので、一応ロングドレスを着ました。

授賞式のあとです。ロングドレスはうつっていません!

. . . → Read More: ノーベル賞授賞式


Warning: mysql_query() [function.mysql-query]: No such file or directory in /var/www/drpion.se/public_html/alltidleende/wp-content/plugins/quickstats/quickstats.php on line 345

Warning: mysql_query() [function.mysql-query]: A link to the server could not be established in /var/www/drpion.se/public_html/alltidleende/wp-content/plugins/quickstats/quickstats.php on line 345

Warning: mysql_query() [function.mysql-query]: No such file or directory in /var/www/drpion.se/public_html/alltidleende/wp-content/plugins/quickstats/quickstats.php on line 346

Warning: mysql_query() [function.mysql-query]: A link to the server could not be established in /var/www/drpion.se/public_html/alltidleende/wp-content/plugins/quickstats/quickstats.php on line 346

Warning: mysql_fetch_row() expects parameter 1 to be resource, boolean given in /var/www/drpion.se/public_html/alltidleende/wp-content/plugins/quickstats/quickstats.php on line 346