どんなに落ち込んでいても、どんなに疲れていても、体温が38度くらいでも、月のものが重くても、仕事ができなくなったことはない。
流石にノロウイルスに罹ったときくらいは働けなかったことがあるけれど。
人はそんな私を、「精神的にも肉体的にも強い」というが、そんなことはない。一応、「精神の病」と言われるものを何年も患ったこともある。
正直、今この瞬間、限界が近い。精神的にも肉体的にもぼろぼろだ。世の中には頑張っても手に入らないものがあると知りながら、悪あがきをしている。自分を追い込んでいるのは他ならぬ自分自身。今までの自分の人生を支えてきた、「負けず嫌い」が、この場合、「凶」と出ている。
こんなときに、どうして働けるのだろうかと思うことがある。私は自分の仕事が好き。辛くても、喜んでくれる誰かがいる。
ふらふらと病棟を歩いていたら、理学療法士のお姉さんがやってきて、「9号室の患者さんとその家族、先生に診てもらって、とっても喜んでいたわよ。」と言ってくれた。ある看護師さんがやってきて、「娘が泌尿器科で手術が必要になったの。是非先生に手術して欲しいんだけど。」と。先日入院したチェコからの移民のおじさん。たまたま他の先生が執刀することになったことを知り、私に言いにきた。「先生の手術日まで待つから、先生に手術してほしい。」
今、とても辛いから、自画自賛もお許しを。でも、辛いときにも働くことができているのは、こんなことがあるからなのかもしれない。治療を供給する立場なのに、実は自分が癒されている。
今週は、膀胱全摘が2件。助手が交替する中、休憩なしで手術していたら、「日本式だね。」と揶揄された。執刀しているときは、あまり疲労は感じないものだが、これからはスウェーデン式を意識して取り入れようと思った。
私は決して強い人間ではない。「人生不平等」を理解しているかのように語りながら、「人生不平等」を受け入れることにもがき苦しんでいる、弱い人間だ。働くことをやめてしまったら、私など塵みたいなものだ。強くなりたいとは思うけれど、自分の弱さを認識し受け入れることも、また一つの強さかもしれない。ぼろぼろでも、1ミリでも前へ進み続ける努力をすることで、弱い自分に喝を入れたい。






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