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夢を持つということは忍耐

7月に31週1日で帝王切開で双子を出産して、3週間入院し、1ヶ月訪問診療で自宅療養した後、10月から仕事に復帰した。ひとつの大きな理由は、どうしても母乳で育てることができなかったから。そして、まだまだ外科医として修行したいことがあるため、早く手術に復帰したかったこと、私を待っている患者さんがいたことなどがある。職場に復帰すると、一人出産しただけでも早い復帰なのに、双子ということもあって、半ば「狂人」呼ばわりされた。勿論、親しみを持ってのことだけれど。復帰するとすぐに、長時間の手術も担当することになり、やはり辛いことも多々あれど、頑張るしかない。

しかし、私の職場は、お世辞でも良い職場とはいえない。この1年間で、何人もの医師が退職していった。スウェーデンらしく、表面上はそれほど波風が立っている訳ではないが、水面下での軋轢には驚くべきものがある。日の当たる仲良しグループに入っていなければ苦労するし、男女平等とはいいながら、やはり男性優位かつ、男性は男性で固まっている。移民でかつ女性である私にとっては、優しくない環境ではあるが、今まで、おいしい思いをすることなくとも、おとなしく、あくまでも和を重んじて働いてきたおかげで、争いに巻き込まれずにきたし、おそらく好感を持ってもらっていると思う。小ボスが交替して、新しいポストにつくときには、なるべく高い給料水準を目指すようになってきた関係で、新しく専門医になった医師は私よりはるかに高い給料を得ている。ここで、労働組合の力を借りても良いところだが、スウェーデンでは、労働組合に話をするということは、すなわち、問題を自分で解決できない、つまり、ボスとうまく話ができないと理解されるため、ボスとの関係がぎくしゃくするのを覚悟した上での最後の手段であるため、低い給料に甘んじてきた。専門医から次のステップであるöverläkare、カロリンスカでは、その間に、biträdande överläkareという階級があるが、そのポジションを得たときに、基本となる新しい給料水準の交渉をするということで話がついている。しかし、昨今の厳しい経済状況の下、カロリンスカでは新しい医師の雇用をストップし、昇級もなしという状態が続いていた。人間関係の軋轢を嫌って退職していった複数の医師の他、つい最近では、若手のロボットの名手が退職した。離婚して、新しいパートナーと知り合った彼は、より高い給料を望んだが叶わず、市内にありロボットを有する病院と交渉し、倍近くの給料で契約した。スウェーデンでも日本と同様、大学病院における医師の給与水準は、一般病院に比べて低い。私は日本でもほとんど大学病院勤務であったが、その理由は、臨床だけでなく、研究もするアカデミックな環境での勤務を希望していたためである。そのため、研修医時代の月給2万5千円に始まって、所得は常に低かった。留学は持ち出し覚悟であったが、離島の大学病院で一定期間勤務することを条件に、有給で留学できたこと、また、複数の奨学金を受けることができたために、ひもじい思いをせずに留学できたのは、せめてもの幸いであった。

スウェーデンに移住してから今まで、まさに「忍耐」ということに尽きる生活をしてきた。そろそろ自己主張をしようかと考えていた矢先に双子を授かり、自己主張は先延ばしとなったが、思ったより早く復帰したため、また自己主張を考えなければならない状況になった。ポジションと給与もそうだが、ロボット手術のトレーニングに関しては、もう少しがめつくならければいけない。これまでも同僚に、「vassare armvåge(鋭い肘鉄)」、つまり、もう少し主張するように言われてきたが、うまくやらないと嫌われるだけで望みのものは手に入らないため、一歩引いていた。男性同僚との競争は勿論のこと、海外から、ロボット手術習得目的のフェローを多く受け入れているため、彼らとも競争しなければならない。これは今回の議論からは外れるが、不思議なことに、最も多いのがギリシャからのフェローである。最悪な経済状態で、EUのお荷物になっているギリシャ。そのギリシャに、超先進医療であるロボット手術を受けることができる金持ちが沢山いる。そして、高価なロボットを購入できる病院がある。しかも、ロボット手術を目指す医者がこれだけ沢山いる。彼らによると、賄賂の蔓延しているギリシャでは、手術を受けるにも、かなりの額の「money under the board」、つまり、袖の下が必要なのだそうだ。そんなギリシャの医療のために、私がギリシャ人のフェローと競争しなければならないというのは、何とも納得いかない。私が指導医となっているドイツからのST läkare(専修医)の女医さんは非常にタフで、オペ室で、ギリシャ人フェローと症例の取り合いになったとき、「This is MY case!」とピシャリと言って、症例を勝ち取ったそうだが、なかなか私にはそんな風にはできない。それでも、先日、これはイギリスからのフェローと取り合いになり、「これは私の患者さん」と思わず強く言ってしまったが、出てきたのはスウェーデン語で、何とも情けなかった。

いがみ合っている同僚がいる訳ではなく、コメディカルとは非常にうまくいっているため、退職していった医師と比べれば、針の筵に座っているという状況ではないのだが、それでも夢に向かう道が厳しく遅々として前に進まないのは辛い。ときどき、転職してしまおうかという気持ちにもなるが、やはり、将来的にも研究も続けたいと思うと、我慢して大学病院にいるしかない。まさに、「夢のためには忍耐」である。

遺伝子か環境か

 

遺伝子が原因となるような疾患がない限り、子供の成長に重要なのは遺伝子より環境であると考えている私です。

数年前のノーベル医学・生理学賞受賞者の一人は、路上で育った子供でしたが、そんな極端な例について、遺伝子か環境かを議論するのは難しい。子供を捨てなければならないような経済状況の親であるとすれば、正常な遺伝子は持っていても、ノーベル賞級の知能を持っていたとは想像しにくい。ならば、路上で育ったことを含めて、その後の環境が、彼をノーベル賞へ導いたに違いありません。

日々成長する双子を見ていると、2卵性双生児とはいえ、少なからぬ数の同じ遺伝子を持っているはずであるのに、見た目は勿論のこと、性格も生まれながらにして異なっていることに驚かされます。いえ、彼らがお腹の中にいたときから、違いは明らかであったような気がします。私のお腹の左側に、常に頭を下にしていた「わたし」は、とてもおとなしくて、ときどき、手足を動かすのを感じる程度でしたが、「わたし」より少し頭側で、横位に近かった「ぼく」は、手足は勿論のこと、頭も活発に動かし、エコーの検査のたびに少しずつ位置がずれていることも多かった。出産まで同じようなスピードで成長してきた双子は、ほぼ同じ体重で生まれましたが、4ヶ月の時点で、1キロ近く、「ぼく」が重い。これは、性ホルモンも含めて、遺伝子によるものでしょう。

最近、ベビージムにうつぶせ寝で、首と背中の筋肉トレーニングをさせています。「ぼく」の頭は大きくて重くて、最初は辛くて泣いていましたが、すでに大分上手になりました。

トレーニングのおともは、日本のおばあちゃまから送られた、「おしゃべりくまさん」。海外に住み、ハーフの子供を持つ親としては、日本語教育がとても心配ですが、そんな私にはとても嬉しい助っ人です。

童話を話し、童謡を歌ってくれるくまさんです。童話はまだ早いので、童謡を歌ってもらっています。

しばらくすると、二人とも力尽きて眠りにつきます。

遊び方ひとつとっても、それぞれの性格が出ます。

Baby Björnのbaby sitterに座らせると、、、。

二人とも最初は上手に遊んでくれますが、、、。

集中力抜群の「わたし」。

「めし」、「おねんね」が大事な「ぼく」。

という差が出ます。

最近、さわるとガサガサと音のする本が、二人のお気に入り。

 

遺伝子に負けない環境を与えてあげることができたらいいな。

近所で見かけたお茶目な車

毎日忙しく時間に追われていると、微笑む余裕がなくなりがちですが、こんなお茶目な車を見たら、ほっと心が和む気がします。

名も知らぬ車の主に、「ありがとう」。

双子、オペ室のアイドルに

オペ室の看護師さんや麻酔科の先生たちには、妊娠中からいろいろと気にかけてもらっていましたが、双子が生まれて、お祝いのカードとbaby Gapのお洋服が届けられました。

そんなこともあって、職場に復帰してオペをするようになってから、たびたび双子を見たいと言われ続けていました。双子を連れてお出掛けするのは、かなり勇気が必要。ミルクは勿論のこと、おむつ、着替えなどなど十分に準備しなければなりませんし、泣き出しても、一人ずつしか抱っこすることができません。

それでも、少しずつ外へお散歩に出て、湖のほとりを散歩したり、

市庁舎を眺めたり、

バスや地下鉄に乗ったり(バスは、ベビーカーを押していれば無料!)しています。

病院にも行きましたが、オペ室は未開拓。

 

やっとオペ室訪問が実現。前室まで、なんとベビーカーで。

泌尿器科セクションのチーフナースに抱っこされる、「わたし」。

(いつもは厳しい)麻酔科の先生に抱っこされる、「ぼく」。

「ぼく」は大きなおめめで、女性陣に大人気。若い女医さんにだっこされ。

「わたし」も負けていません。看護師のおにいさんに抱っこ。

20人以上スタッフが集まってくれて、双子はオペ室のアイドルに。母はめでたく鼻を高くしたのでありました。

切なくなるほど愛おしい

4ヶ月を過ぎて、双子は一段と人間らしくなってきました。

少し前までは、人間同士のつながりというものをあまり感じませんでしたが、最近は親の顔を認識しているようです。双子が見せてくれる無垢な笑顔には、喜びを通り越して胸が締め付けられるような痛みさえ覚えるほどの切なさを感じます。

笑っている顔、泣いている顔、寝ている顔。どれも、切なくなるほど愛おしい、、、。

 

相変わらず髪の生えてこない、「わたし」。体重5.3キロ、身長57センチ。

食欲旺盛な「ぼく」。体重6.1キロ、身長61センチ。

4ヶ月になりました!

11月3日で双子は4ヶ月になりました。

 

「わたし」には、手術室の看護師さん達からいただいた、Baby Gapのスカートとタイツを着せてみました。3ヶ月から6ヶ月用で、まだ少し大きめですが、何とも可愛らしいです。早く髪の毛が生えてくれば、もっと女の子らしくなるのですが、今はまだ「剥げたおじさん風」。

アームチェアーに二人で座ってもらいました。

 

「わたし」によだれかけを引っ張られてずり落ちた「ぼく」は大泣き。「わたし」はお得意の舌を出したまま涼しい顔。やはり、一分早く生まれた「わたし」がボス?

3ヶ月を過ぎた頃から、笑顔だけではなく、涙も出るようになりました。それまでは、いくら泣いても、一粒も涙は出なかったのに、、。涙が出るようになると、泣き顔はいっそう可哀相に見えます。

 

切れ長のおめめの「わたし」。

くりっと大きなおめめの「ぼく」。

不妊治療の旅 壱

私にとっての不妊治療は、全て顕微授精。最初の治療は2008年3月。2007年4月にスウェーデンへ移住。スウェーデン語を始め、2007年8月にSASBに合格し、9月から6ヶ月の臨床研修を始め、その研修が終わろうとしていたときでした。もともと子供を欲しいと積極的に思ったことのなかった私ですが、当時妹が子供三人を連れてスウェーデンに留学したことで、母性本能に火がついてしまったのです。スウェーデンでは、38歳までであれば3回のIVFを無料で受けることができますが、私は既にその年齢を軽く越していたため、ストックホルム市内の私立病院にお世話になりました。何回か試みれば妊娠するのではないかと軽く考えていた私でしたが、それは大きな間違いでした。

その病院では、ホルモン注射をかなり使って卵巣を刺激し、1回目は10個近く、2回目は20個近く採卵をしました。2回目はOvarian hyperstimulation syndrome (OHSS) になってしまい、かなり腹水が貯留して呼吸困難となり、死ぬかと思いました。胚盤胞まで培養することもなく、生理が来たときには、「残念。でも私たちはベストを尽くしたのよ。」という超スウェーデン的な言葉を投げかけられ、信頼も希望も失うことになります。職場では自分の使えないスウェーデン語に苦しみながら、仕事の間隙を縫って検査や治療に通いました。OHSSになっても、重い体を引きずりながら、手術室へ向かいました。これまでずっとそうでしたが、治療で何が一番辛いかというと、辛い検査や採卵などではありません。治療の過程にいるときは、希望があり、辛くても辛いと感じないものです。本当に辛いのは、出血が始まったとき。妊娠初期は出血もありうるということで、出血しながら膣剤を使うときの無力感。妊娠検査薬で、あらゆる方向から見て、「もしかして線が見えるかも?」と言ってみるときの虚しさといったら、、、。

そんな中で、何とか医師免許を取得し、職も得ることができましたが、治療の旅は続きました。スウェーデンで治療することを諦めた私は、日本での治療を考え始めました。いくつか候補のうち、ある不妊治療専門のクリニックのホームページで、母校の先輩の名前を見つけ、すがる思いでメールを出しました。それ以降その先輩に、非常に親身になって面倒をみていただきました。今日があるのは、この先輩のおかげであるといっても過言ではありません。そのクリニックは、世界で最も多く採卵を行っていて、高齢者の治療経験も非常に豊富でした。先輩のおかげで、遠隔治療と遠隔検査をした上で、数日の日本滞在で治療を行うということを、何回もしました。幸い、毎回採卵に成功した上、受精も胚盤胞凍結も可能で、希望が湧いてきましたが、hcg値が多少上昇するものの、妊娠には至らないという経過が繰り返されました。短期間の帰国では無理があるのかと考え、数ヶ月無給で休暇を取り、帰国したこともありました。この期間には、数回ドミノ移植も試みました。失敗を重ねるうちに、子供が生まれるということは、一つ一つのステップがまさに奇跡なのだということを、身をもって感じるようになりました。そして、あらゆることにおいて、「見聞きする」ことと、「実際に経験する」ということの間には、天と地ほどの認識の違いがあるのだということを学びました。それは、医師としての私の生き方にも、人間としての生き方にも影響を及ぼしました。「思いやり」とは、決して過ぎることはないのだと。そして、自分が経験していないことについて、軽々しく語るべきではないことを。私の人生にとって、辛い経験ではありましたが、非常に意味のある貴重な経験となり、人間として成熟できたのではないかと思っています。

治療のために日本とスウェーデンを往復するためには、生理周期の調節だけでなく、仕事のスケジュールの調節など、様々な苦労が伴いますが、成果が出ない期間が長くなるにつれ、日帰りも可能な地域での治療を考え始めました。

雪化粧のストックホルム

昨晩降った雪でうっすらと雪を纏ったストックホルム。現在、寒暖計は零下1度を示しています。

市庁舎を望める東の空。

しろうさぎになった「わたし」と「ぼく」。双子にとっては生まれて初めての雪です。

例年より美しく色づいたテラスの紅葉。わずかに残っていた葉っぱも、全て落ちてしまいました。

今週で夏時間も終了。いつもは少し憂鬱なこの季節も、双子に癒されながら過ごせそうです。

双子は仲良し!

なかなか更新する時間がありません。

2週間ほど前から、「わたし」が笑ってくれるようになり、少し遅れて「ぼく」も可愛い笑顔を見せてくれるようになりました。どんなに疲れていても、双子の笑顔には癒されます。

幸い、病気もせずに、すくすくと育っています。

顔を爪で引っ掻いて負傷した「わたし」。

一分早く生まれた「わたし」に少し遅れて笑顔を見せた「ぼく」。

動く人形にも興味を示すようになりました。

 

ずっと仲良しでいてね。

職場復帰

10月から職場復帰をしています。最初は25%くらいを目安にしていますが、復帰初日は早速手術日。軽い体慣らしなら良いなと思っていたところ、そんな甘い期待は見事に打ち砕かれてしまいました。

婦人科の患者さんで、膀胱、尿道、子宮、卵巣、膣全摘という大手術。しかも再手術症例。婦人科の先生は、大きな手術には慣れていないので、ほとんど私が術者という状況。日本だと自分の科の若い先生を助手に連れてゆくのですが、こちらでは1人で参加しなければなりませんので、知らない先生方を相手にする手術になります。結局、休みなしで7時間の手術になりましたが、うまく手術でき満足。術後、婦人科病棟に回診にゆくと、患者さんから、「泌尿器科の先生の手術がとても上手だった。」と婦人科の先生から説明があったと聞きました。そんなフィードバックは、何よりも嬉しいものです。

膀胱全摘は、切除するだけでなく、機能再建がある手術ですので、切除したら終わりという婦人科の手術とは大きく異なります。切除のうまい下手は、癌の予後にかかわりますが、患者さんには、上手な手術だったかどうかはわかりません。しかし、機能にかかわる手術は、QOLにかかわりますので、患者さんにもすぐわかってしまいます。そういう意味で、癌の手術とは別の意味で難しくもあります。整形外科なら、動くか動かないか、眼科なら見えるか見えないか、、、。今回は、尿道を切除しなければならなかったため、自排尿型膀胱ではありませんが、ストーマが美しく、患者さんが管理がしやすいか、回腸導管と尿管の吻合が漏れなく狭窄もないこと、そして勿論、回腸導管を採取したあとの、腸管吻合に問題がないことが重要。長期的にはまだわかりませんが、おそらくうまくいくと思います。自分の患者さんではない分、よりプレッシャーを感じてしまいますが、数ヶ月のブランクは感じず、良いスタートが切れました。

同僚や看護師さんたちには、スウェーデンの常識から外れた早い復帰に、「もう来たの?こんなに早く復帰したら駄目じゃない!」と、お叱りを受けましたが、双子を母乳で育てることは難しかったこと、そして、何よりも、「パパも育休取りたいのですって。」という一言で、皆(殊に女性陣は)、一転、笑顔になりました。

「それはいいことね!」

男女平等のスウェーデンといえども、やはり、女性の方が長く育休を取るのが通常ですので、早期からのパパの育休は女性には心象が良いようです。

出産後、ポンプによる搾乳、マッサージ、そして最後には、オキシトシンスプレーも使って、2ヶ月ほど授乳を頑張りましたが、母乳の出はあまり良くなく、しかも、双子ということで非常に辛い毎日でした。胃管が入ったまま退院してきた双子は、成長とともに胃管を嫌がって抜こうとし、早く取ってあげるためには、哺乳瓶を使い始めなければならず、そうすれば、出の悪いおっぱいには興味を失うということで、哺乳瓶を始めるのを控えていたのです。しかし、最終的に、母乳を優先させるよりも、胃管を取ることを優先させようと決断しました。「おっぱいをあげる」ということを初めて経験して、女性として、母親としての喜びを強く感じていた私にとっては、それはとても辛い決断でした。できれば、母乳で育てたかった。そんなこともあって、未だにマッサージ、搾乳を止められない私です。双子は生まれてしばらく、「寄付された母乳」を頂いていましたが、病院では、1リットル100クローネで寄付を受け付けていました。寄付するほど母乳が出るなんて、うらやましい、、、。

 

職場復帰して、多くの患者さんに喜んでもらっていることは、医者冥利に尽きますが、母親となって初めて出勤した日の朝、双子をおいて出かけることの辛かったこと。その日は幸い(!?)長い手術だったため、勤務中に双子を思い出す余裕はなかったのですが、手術が終わるやいなや、看護師さんに、「走れ~!」と言われながら、急いで帰宅しました。こんな感情は生まれて初めてでした。良き医師、良き母親の両立は大変だと思いますが、時間を上手に使って頑張りたいと思います。

 


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