癌の告知は、日本でも最近は普通になってきているが、それでも、家族が本人への告知を希望しない場合がかなりある。
そんな医療現場の文化に慣れてしまっていた私は、スウェーデンの文化に衝撃を受けたものだった。
スウェーデンの文化とは、「本人絶対主義」。患者さんに意思疎通能力がある限り、癌の告知を含め、本人に話さなければならない。ときには、患者さん自身が、家族には秘密にしてほしいという要望を出すこともある。その要望に医療従事者は答えなければならない。日本だと、患者さんの家族に訴えられたりすることを避けるためにも、家族への説明にも多くの時間を割かなければならない。インフォームド・コンセントは日本では書類作成の上、署名するなどしなければならないが、スウェーデンではそんな手続きはなく、まだまだおおらかである。
スウェーデンの文化と日本の文化を双方体験してみて、もともと「癌を告知しないこと」には消極的な考えを持っていた私は、ますます、その思いを強くした。人生はその人のものである。人生に大きな影響を及ぼす事象について、家族であっても他人が情報操作することは許されないと思う。自分が持っている時間が長いのか短いのかを知り、自分の人生の台本を手直ししなければならない。
そして、人間とは意外に強いものである。出身、年齢、性別、学歴、職業など様々な患者さんにスウェーデンで会ってきたが、非常に厳しい現実をそれぞれが受け入れて、生きようとしている。スウェーデンでは、高度治療を必要としない末期の患者さんを大学病院に入院させることは少ないため、死の瞬間に立ち会うことはあまりないが、大学病院での治療を終えて(中止して)、在宅やホスピスに送り出すまでの管理をすることは多い。その中には、「引導を渡す」ことが当然含まれているが、早い時期に十分な告知をしているため、死期の近い人に、短い余命を告げることは回避できる。患者さんは、その過程の中で事実と向かい合い、受け入れてゆく。
手術前に行われる、初めての「癌告知」は、かなり楽である。何故なら、治療により治癒する可能性があるから。日本での「癌告知」は、日本の文化を鑑みるて非常に気を使うものであるが、スウェーデンでは、単刀直入に、「あなたは癌です」と言える。手術後の再発や転移の場合は、スウェーデンにおいても緊張する。最近、癌の再発を来たした複数の患者さんに話をする機会があったが、患者単独と話をするのか、家族と一緒に話をするのか(家族だけに話をするという日本式なやり方は、患者さんが重態であるとか、意思疎通能力がないとかという特別な状況でなければ行われない)によっても、場の雰囲気は異なってくる。ある患者さんは、尿管と新膀胱の吻合狭窄を手術する予定で開腹したら、腹膜播種がみられたため、そのまま閉腹したのだが、患者さんはベッドに横たわり私の顔を見ていたが、その傍で患者さんの手を握りながら話を聞いていた奥さんは、こらえきれず泣き出した。患者さんが奥さんの背中をさすり慰めていたが、スウェーデンではこのようなカップルにしばしば遭遇する。強いと言われるスウェーデン人女性、逆に、おとなしいスウェーデン人男性だが、なぜか、余命宣告のような場ではスウェーデン人男性は強いような気がする。
日本とは違うスウェーデンの医療現場の文化といえども、私の診療のスタイルは日本に近い。辛い状況に置かれた患者さんや家族に対しては、どうしてもドライにはなれないからである。でも、先日こんなことがあった。膀胱癌の患者さんだけを集めた外来を膀胱癌チーム4人で担当。予約制ではなく到着順に診察するため、患者さんは主治医でない医師の診察を受ける確率が高い。外来の看護師さんが私のところにきて、「先生と会った患者さん夫婦が、『Äntligen fick vi en läkare som vi kan prata.(ついにちゃんと話を聞いてくれる先生に会った。)』と話しながら帰っていったわよ。素敵な賛辞だと思わない?」日本流はスウェーデン人にも評判は良いと感じている。
膀胱癌の再発を告知した、入院中の男性。イラク人の彼は片言のスウェーデン語を話す。両側腎瘻と新膀胱へのカテーテル、併せて3本のカテーテルが挿入されている。込み入った話は通訳同席あるいは、家族が通訳となって話すため、彼の感情を理解することは難しい。腎機能の回復を待って、抗癌剤の投与ができればという状況。専修医の手術指導のため手術室へ向かうとき、彼が病棟の廊下を懸命に歩いているのに会った。「Hej!」と言って通り過ぎた。約2時間後、手術が終わって病棟へ戻ると、未だに廊下を彼が往復している。「Vad duktig du är! Jättebra!(良く頑張ってるね。とっても良いことよ。)」と声を掛けると、「Jag vill bli stark.(強くならなくっちゃ。)」と言ってはにかんでいた。父が末期癌を宣告されたとき、毎日、病院の屋上で何キロも歩くトレーニングをしていたことを思い出した。父に起きた奇跡が、彼にも起こるといいなと思った。父は告知をされて、全てを知っていたし、知っていたからこそ頑張ったのだと思う。








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