少し前の話ですが、、、。
スウェーデン贔屓の姪っ子が、「swedish quality」と評して笑ってくれました。
しっかりしてね、Aftonbladet!
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私にとっての不妊治療は、全て顕微授精。最初の治療は2008年3月。2007年4月にスウェーデンへ移住。スウェーデン語を始め、2007年8月にSASBに合格し、9月から6ヶ月の臨床研修を始め、その研修が終わろうとしていたときでした。もともと子供を欲しいと積極的に思ったことのなかった私ですが、当時妹が子供三人を連れてスウェーデンに留学したことで、母性本能に火がついてしまったのです。スウェーデンでは、38歳までであれば3回のIVFを無料で受けることができますが、私は既にその年齢を軽く越していたため、ストックホルム市内の私立病院にお世話になりました。何回か試みれば妊娠するのではないかと軽く考えていた私でしたが、それは大きな間違いでした。 その病院では、ホルモン注射をかなり使って卵巣を刺激し、1回目は10個近く、2回目は20個近く採卵をしました。2回目はOvarian hyperstimulation syndrome (OHSS) になってしまい、かなり腹水が貯留して呼吸困難となり、死ぬかと思いました。胚盤胞まで培養することもなく、生理が来たときには、「残念。でも私たちはベストを尽くしたのよ。」という超スウェーデン的な言葉を投げかけられ、信頼も希望も失うことになります。職場では自分の使えないスウェーデン語に苦しみながら、仕事の間隙を縫って検査や治療に通いました。OHSSになっても、重い体を引きずりながら、手術室へ向かいました。これまでずっとそうでしたが、治療で何が一番辛いかというと、辛い検査や採卵などではありません。治療の過程にいるときは、希望があり、辛くても辛いと感じないものです。本当に辛いのは、出血が始まったとき。妊娠初期は出血もありうるということで、出血しながら膣剤を使うときの無力感。妊娠検査薬で、あらゆる方向から見て、「もしかして線が見えるかも?」と言ってみるときの虚しさといったら、、、。 そんな中で、何とか医師免許を取得し、職も得ることができましたが、治療の旅は続きました。スウェーデンで治療することを諦めた私は、日本での治療を考え始めました。いくつか候補のうち、ある不妊治療専門のクリニックのホームページで、母校の先輩の名前を見つけ、すがる思いでメールを出しました。それ以降その先輩に、非常に親身になって面倒をみていただきました。今日があるのは、この先輩のおかげであるといっても過言ではありません。そのクリニックは、世界で最も多く採卵を行っていて、高齢者の治療経験も非常に豊富でした。先輩のおかげで、遠隔治療と遠隔検査をした上で、数日の日本滞在で治療を行うということを、何回もしました。幸い、毎回採卵に成功した上、受精も胚盤胞凍結も可能で、希望が湧いてきましたが、hcg値が多少上昇するものの、妊娠には至らないという経過が繰り返されました。短期間の帰国では無理があるのかと考え、数ヶ月無給で休暇を取り、帰国したこともありました。この期間には、数回ドミノ移植も試みました。失敗を重ねるうちに、子供が生まれるということは、一つ一つのステップがまさに奇跡なのだということを、身をもって感じるようになりました。そして、あらゆることにおいて、「見聞きする」ことと、「実際に経験する」ということの間には、天と地ほどの認識の違いがあるのだということを学びました。それは、医師としての私の生き方にも、人間としての生き方にも影響を及ぼしました。「思いやり」とは、決して過ぎることはないのだと。そして、自分が経験していないことについて、軽々しく語るべきではないことを。私の人生にとって、辛い経験ではありましたが、非常に意味のある貴重な経験となり、人間として成熟できたのではないかと思っています。 治療のために日本とスウェーデンを往復するためには、生理周期の調節だけでなく、仕事のスケジュールの調節など、様々な苦労が伴いますが、成果が出ない期間が長くなるにつれ、日帰りも可能な地域での治療を考え始めました。 記事にしたいことは沢山あるのですが、仕事と双子の世話で毎日一杯一杯です。妊娠したことは日本の家族には内緒にしており、帝王切開が無事に済んでから電話連絡して驚かせましたし、出産後も誰にも頼らずにきましたので、それなりに大変です。診療所などでも、初産だし、双子だし、未熟児でもあるということで、第三者の手を借りるように勧められましたが、親の手を借りないというのが私の希望でもあり、父親の親も遠方在住である上、脳梗塞の後遺症に悩んでいるということもあって、借りる手がないのも現状でした。 昨日、SVT(スウェーデン国営放送)で放映した、HIV感染症、AIDSに関する番組はとても興味深いものでした。 Smittad – när hiv kom till Sverige(感染、HIVがスウェーデンにやってきたとき) というタイトル。 AIDSは後天性免疫不全症候群の略であり、HIV感染により免疫不全を起こした場合の病名です。最初の症例報告は同性愛の男性に発症したもので、1981年。1983年にウイルスがフランス、パスツール研究所で発見され、そのフランスの研究者たちは2008年にノーベル医学・生理学賞を受賞しています。日本では1985年が最初。私が医学生だった頃、丁度、「カポジ肉腫」などが教科書に載るようになりました。日本では、主に、同性愛者、そして血液製剤を必要とする血液疾患患者、母子感染などが感染経路。もともとの起源としては、チンパンジーのウイルスが突然変異して人間に感染したという説が有力のようです。 スウェーデンでも80年代に最初の症例報告がありましたが、やはり同性愛者に多く、針を共有する薬物依存者、そして、感染者と性的接触をした人などに広まってゆきます。1990年代中ごろに、有効な抗ウイルス剤が開発され、その多剤併用によりAIDSによる死亡率は激減しますが、それまでは致死的な病でした。私が最初にAIDS患者を診察したのは、研修医の頃。当時、耳鼻科医として働いていた私は、小児科病棟から往診を依頼されました。血友病の小学校低学年の男の子で、輸血によりHIV感染を来しました。鼻出血が止まらないので何とかしてほしいという依頼でした。往診すると、隔離された個室で、鼻から大量に出血している小さな男の子がベッドに横たわっていました。個室の前室で、担当医が、「気を付けてください。死んでもそれは仕方がありません。」と。研修医の私には、あまりに重過ぎる言葉でしたが、80年代の当時は、AIDS発症はすなわち、死を意味したのですから、致し方なかったのかもしれません。帽子に目を防御できるマスクを2重にし、ガウンも手袋も2重という重装備で治療にのぞみ、持参したボスミンや鼻用ガーゼを使って何とか止血に成功しました。しかし、あのときは恐ろしかったし、あまりのことに涙が出たのを覚えています。 現在、診療をしていると、ときどきHIV陽性の患者さんを診察したり、ときには手術をしたりすることがあります。現在では、滅多なことでは感染しないことがわかっていますので、動揺しませんが、やはり、手術になると緊張します。20年以上医者として働いていると、針刺し事故などは何回も経験済み。診察する全ての患者さんのほとんどはHIVテストをしていませんから、針刺し事故のあとは落ち込みました。スウェーデンでは1回、前立腺生検をする際に、通常はエコーガイドでの穿刺のみ行うのですが、そのときは、直腸診上、硬結があったため、そこから生検を試みたため、自分の指を刺してしまいました。すぐに事故のレポートを提出して何回か検査し、幸い、何の感染も起こしませんでしたが、、、。日本では、手術のために入院する患者さんには、HIVテストをする施設が多いですが、スウェーデンでは行いません。医療従事者の安全のためにも、各種感染症は検査するべきではないかと思いますが、やはりコストの問題なのでしょうか?医療従事者が入職する際にも、HIV検査はやっていなかったように記憶しています。一方、MRSAなどは検査しました。私自身は、B型肝炎のワクチンを打っているので、その抗体が陽性である以外は陰性。度重なる不妊治療のたびに、HIVを含めた感染症の検査をしています。感染者は、医療機関を受診する際などは申告することが義務付けられていますが、たとえば、美容院などではどうなのでしょう?しかし、未だに偏見が多くあるのも事実です。スウェーデンでさえも、HIV陽性患者さんの半分は秘密にしているそうです。 プログラムでは、スウェーデンのAIDS治療に携わってきた医師や、患者さんなどが登場します。まだ治療法も無かった頃は、政治家たちの中では、「同性同士の性的接触の禁止」などを法制化しようという動きもあったことが紹介されています。薬物濫用の取り締まりはできても、同性愛の取り締まりは難しいという議論もありました。AIDSで亡くなった患者さんのご遺体は、黒いビニール袋に入れられ、消毒され、まるでごみのように扱われていたそうです。80年代のスウェーデンや医療現場を知ることもでき、非常に興味深い番組でした。 AIDS関連で、 「Torka aldrig tårar utan handskar」(手袋をせずに涙をぬぐわないで) という映画があります。SVT playで途中まで見ましたが、これも非常に興味深いので、そのうち記事にしたいと思います。題名から、「涙でHIV感染が起こると信じられていた」ということが想像され、何とも心が痛みました。
多剤併用で良い予後が期待されるHIV感染ですが、細菌感染症と抗生剤と同じように、耐性HIVの発現なども問題になるのかもしれません。現在のところ、抗ウイルス薬で完治する訳ではなく、生涯、服用が必要なのです。 今日、スウェーデンの朝のトップニュースは、Madeleine王女の婚約。王室ウオッチャーとしては、記事にしない訳にはいきませんので、簡単に。 Madeleineはスウェーデン国王の第3子、次女になります。世界で最も美しい王女として知られています。 彼女には2009年に長年交際していたスウェーデン人弁護士のJonasと婚約し、2010年に彼の女性問題がきっかけで婚約破棄したという過去があります。 その後、傷心のMadeleine王女はニューヨークに渡り、そこでアメリカ人ビジネスマンであるChristopher O’Neillに出会い恋に落ちます。既に、マンハッタンのアパートで同棲中で、婚約発表が待たれていました。 HovetのHPでの発表。インタビューに答えるMadeleineの美しいこと! (写真はスウェーデン新聞各紙、HovetのHPから拝借!)
Chris O’Neillは既に何回か渡瑞しており、これは、Estelle王女の洗礼式のときのもの。美男美女、絵になります! カジュアルな装いもとても素敵です。 3兄妹がそれぞれのパートナーと。次は、第2子、Carl Philip王子の婚約が待たれます。現在の彼女、Sofiaと。 SofiaはEstelleの洗礼式にも出席しています。 Chris O’Neillのエスコートで洗礼式へ。 とても美しい彼女ですが、以前は下着モデルになったり、脇腹には大きなタトゥーを入れていたりと、日本では考えられない(!?)お妃候補。 婚約発表の記事で、Madeleineの成長を写真で紹介したものがありましたが、それを見ていて、私も子供たちの成長をこうやって見守ってゆきたいなあ、元気で頑張らないと、としみじみ思いました。 現在、Madeleine30歳、Chris O’Neill37歳。結婚式は来年の予定。今度こそ、幸せになって欲しいものです。 おめでとう!
10月から職場復帰をしています。最初は25%くらいを目安にしていますが、復帰初日は早速手術日。軽い体慣らしなら良いなと思っていたところ、そんな甘い期待は見事に打ち砕かれてしまいました。 婦人科の患者さんで、膀胱、尿道、子宮、卵巣、膣全摘という大手術。しかも再手術症例。婦人科の先生は、大きな手術には慣れていないので、ほとんど私が術者という状況。日本だと自分の科の若い先生を助手に連れてゆくのですが、こちらでは1人で参加しなければなりませんので、知らない先生方を相手にする手術になります。結局、休みなしで7時間の手術になりましたが、うまく手術でき満足。術後、婦人科病棟に回診にゆくと、患者さんから、「泌尿器科の先生の手術がとても上手だった。」と婦人科の先生から説明があったと聞きました。そんなフィードバックは、何よりも嬉しいものです。 膀胱全摘は、切除するだけでなく、機能再建がある手術ですので、切除したら終わりという婦人科の手術とは大きく異なります。切除のうまい下手は、癌の予後にかかわりますが、患者さんには、上手な手術だったかどうかはわかりません。しかし、機能にかかわる手術は、QOLにかかわりますので、患者さんにもすぐわかってしまいます。そういう意味で、癌の手術とは別の意味で難しくもあります。整形外科なら、動くか動かないか、眼科なら見えるか見えないか、、、。今回は、尿道を切除しなければならなかったため、自排尿型膀胱ではありませんが、ストーマが美しく、患者さんが管理がしやすいか、回腸導管と尿管の吻合が漏れなく狭窄もないこと、そして勿論、回腸導管を採取したあとの、腸管吻合に問題がないことが重要。長期的にはまだわかりませんが、おそらくうまくいくと思います。自分の患者さんではない分、よりプレッシャーを感じてしまいますが、数ヶ月のブランクは感じず、良いスタートが切れました。 同僚や看護師さんたちには、スウェーデンの常識から外れた早い復帰に、「もう来たの?こんなに早く復帰したら駄目じゃない!」と、お叱りを受けましたが、双子を母乳で育てることは難しかったこと、そして、何よりも、「パパも育休取りたいのですって。」という一言で、皆(殊に女性陣は)、一転、笑顔になりました。 「それはいいことね!」 男女平等のスウェーデンといえども、やはり、女性の方が長く育休を取るのが通常ですので、早期からのパパの育休は女性には心象が良いようです。 出産後、ポンプによる搾乳、マッサージ、そして最後には、オキシトシンスプレーも使って、2ヶ月ほど授乳を頑張りましたが、母乳の出はあまり良くなく、しかも、双子ということで非常に辛い毎日でした。胃管が入ったまま退院してきた双子は、成長とともに胃管を嫌がって抜こうとし、早く取ってあげるためには、哺乳瓶を使い始めなければならず、そうすれば、出の悪いおっぱいには興味を失うということで、哺乳瓶を始めるのを控えていたのです。しかし、最終的に、母乳を優先させるよりも、胃管を取ることを優先させようと決断しました。「おっぱいをあげる」ということを初めて経験して、女性として、母親としての喜びを強く感じていた私にとっては、それはとても辛い決断でした。できれば、母乳で育てたかった。そんなこともあって、未だにマッサージ、搾乳を止められない私です。双子は生まれてしばらく、「寄付された母乳」を頂いていましたが、病院では、1リットル100クローネで寄付を受け付けていました。寄付するほど母乳が出るなんて、うらやましい、、、。
職場復帰して、多くの患者さんに喜んでもらっていることは、医者冥利に尽きますが、母親となって初めて出勤した日の朝、双子をおいて出かけることの辛かったこと。その日は幸い(!?)長い手術だったため、勤務中に双子を思い出す余裕はなかったのですが、手術が終わるやいなや、看護師さんに、「走れ~!」と言われながら、急いで帰宅しました。こんな感情は生まれて初めてでした。良き医師、良き母親の両立は大変だと思いますが、時間を上手に使って頑張りたいと思います。
ご無沙汰しております。双子が誕生してから、もうすぐ3ヶ月になろうとしています。 数週間の入院生活、訪問診療による自宅療養を経て、おかげさまで順調に成長しております。この間のことは、ゆっくりと記事にするつもりです。とりあえずは、現在までの経過を写真数枚のダイジェスト版で。
誕生後、しばらくは体重減少。皮下脂肪がほとんどないため、体温の維持が難しい。 2キロを越えたので、看護師さんが国旗を持ってきてくれて記念撮影。 退院の日。胃管、無呼吸アラームをつけたまま。ベビー用シートが大きすぎるくらい。 胃管が取れる直前。 胃管が取れても、まだベビージムにも一緒に入れる大きさ。 お気に入りのStokkeの椅子。 少し「ぼく」の方が大きいけれど、まだそれほど変わりません。 表情も少し豊かに。 いつも一緒。 たまには監視下にうつぶせ。 寝ていれば可愛いけれど、二人が泣き出すと大変! 寝ていれば実に平和、、、。 泣き出したら、何をしても効き目がないことも多い。 今日の二人はこんなです。麻酔科のドクターと、オペ室の看護師さんからのプレゼントのBaby Gapのオーバーオール。 これが「わたし」。 こちらが、「ぼく」。 |
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