ノーベル賞授賞式および晩餐会は毎年、アルフレッド・ノーベルの没日である12月10日に行われます。昨年は、授賞式 と晩餐会 に参加しました。
今年のノーベル・ウイークは12月第2週となりましたが、受賞者がストックホルムに到着してから毎日のように様々な行事が行われます。ノーベル医学・生理学賞受賞者のスケジュールなどに関しては、ノーベル審査委員会の事務局長が仕切っており、エスコートはUD(外務省)からのノーベルアタシェが行います。
今回の行事のうち、内外プレス対象の記者会見がカロリンスカ研究所で行われましたが、マラリアでの受賞の中国のTu博士は全く英語を理解しないので、中国語ー英語の通訳が用意されました。大村博士についても、日本語でのやり取りがご希望ということで、日本語ー英語の通訳が必要となり、事務局長の希望として、通訳ができてかつ、研究・臨床の専門家という人選で、私に依頼がありました。とても光栄なことではありますが、何しろ私の英語はスウェーデン語の上達に伴って錆びついており、英語を話し始めるとスウェーデン語の単語が混じってしまうという始末。それでも、本職の通訳よりも医学の専門家という強い希望だったので、お引き受けすることにしました。
通訳をする以上は、業績について知っている必要があるため、学生時代の知識などすっかり忘れ去っている寄生虫学など関連する資料を読み、自分なりに英語と日本語でまとめを作りました。大村先生ご自身が寄生虫学者ではないので、放線菌やその産生物質、その作用機序なども勉強しましたが、確かに、これは素人には理解するのは難しいかもしれません。公衆衛生に関する部分では、億以上の数字が出てくることも多いのですが、どうしても日本人は英語日本語間の大きな数の変換が苦手で、私もその例外ではありませんでした。これについても少し練習しました。また、記者会見の前週に事務局長と打ち合わせをし、当日はご挨拶と打ち合わせをご本人とするということで早めに会場に到着する予定になりましたが、当日は実はオンコールに当たっていたのですが、記者会見の間だけなんとかボスに交替してもらうということで準備を整えました。
一時間ほど前に会場である研究所のノーベルフォーラムに到着しましたが、既に、日本と中国のジャーナリストが会場の中央前方の最も良い位置を占領していました。あとからきたスウェーデン人のジャーナリストが「これじゃ良い写真が撮れないよ。」と怒って、秘書さんに文句を言っていましたが、「直接交渉したら。」とあっさり言われてしまっていました。
記者会見は午後2時からですが、15分ほど前に裏手から上階に上がり、受賞者の投票がなされる大会議室にいる受賞者に会うことになりました。
向かって左から、大村博士、Tu博士、Campbell博士、そして事務局長のUrban Lendahl教授です。大村先生が最もお若く80歳ですが、3博士ともとてもお元気そうでした。大村先生は、とても気さくな腰の低い方で、通訳役の私にも丁寧にご挨拶をいただき、名刺まで交換させていただきました。
14時直前にジャーナリストで超満員の会場に入り、私は大村先生のすぐ傍に座ることになりました。英語での質問を日本語で先生にお伝えし、先生の日本語の回答を英語に直すという作業は、難しいものではありませんでしたが、共同受賞者の質疑応答を臨機応変に、かつ、タイミング良くお伝えすることが必要と気づき、それを随時状況判断しながら行うのが最も難しかったことでしょうか。先生がCampbell先生の発言を引用しながらお話しになったときには、その努力が報われた気がしてとても嬉しく思いました。
当初の予定では、前半は共同記者会見で、後半は3人別々のぶら下がりということだったのですが、何しろ、Tu先生の質疑応答に時間がかかり、50分を過ぎたところで散会となりました。その後、大村先生だけは、日本人記者のぶら下がり取材があり、記者の要望に応えて、15年前に亡くなった愛妻の写真を披露なさっている光景が印象的でした。
関係者が受賞者を裏手から退場させ、その間、ジャーナリストは会場に留まるような手はずになっていたのですが、うまくいったのでしょうか。
翌日に、ノーベル賞記念講演がカロリンスカ研究所であり、その後にパーテイーがありました。私はそのパーテイーに出席しましたが、そのときに、アタシエの方から、「通訳のお礼をおっしゃりたいそうです。」とお話があり、再び大村先生にお目にかかりました。
「お礼を言えなかったので、名刺をいただいていたので、帰国してからお礼状を書こうと思っていました。」とおっしゃっていただき、感動しました。また、研究に関する話でも盛り上がりました。なぜ、川奈ゴルフ倶楽部なのか、という問いに対しては、大村先生、実はとてもゴルフがお上手で、ゴルフの際に、「あそこの土に惹かれるなあ。」ということで採取なさったということでした。人格者には運命の女神も味方するんですね。
記者会見の翌日、日本ではNHKを始め、多くの民放のニュースで映像が流れたらしく、思った以上に私も大写しになって驚きました。いろいろな方から、「テレビで見たよ。」という連絡をいただき、実に多くの方がニュースをご覧になっているんだなあと改めて思いました。今年のように、既に世界で何億という患者さんの治療に使われている薬の発見という素晴らしいノーベル賞、しかも日本人の受賞という快挙に関わることができたのは、この上ない幸せなことでした。
記者会見で、「ノーベル賞を取れると思ったか。」という質問に対して、「アフリカに行って、多くの患者さんが救われているのを見たときに、人類のために大きなことをしたんだなあという思いはありましたが、それでノーベル賞を取れるとは思いませんでした。」と語っていらっしゃいましたが、この写真を見るとそれが理解できます。
記者会見を報道したニュースは以下のリンクから。日本では英訳は必要ないため、もっぱら通訳用のメモを必死にとっている私が写っております。
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