今年の1月、Natrueに発表されたSTAP細胞に関する論文。発表された日から注目していました。カロリンスカでも、ノーベル賞に値する発見かどうかという噂話をしている人たちがいました(もっとも、選考委員会に近い人たちの意見は、「既にstress-induced multipotential cellが報告されているし、無理だろう。」といった感じでしたが。)。
「リケジョ」などの新語を生むなど、日本では一大センセーションを巻き起こし、小保方氏は一躍、時の人となりましたが、一方、論文の発表直後から、論文の信憑性についての議論が始まりました。
小保方氏が、「してはいけないという認識がなかった。」とした、電気泳動のバンドの切り貼り。
蛋白実験や遺伝子解析を扱う研究をしたものであれば、これだけでアウトと考えるのが自然なのではないでしょうか。私もその一人として、そう思いました。全てのレーンが論文掲載に堪え得るクオリティのものが得られるまで、何十回でも、何百回でも繰り返すのが常識。それがNatureのようなトップジャーナルであればなおさらのことです。
(朝日新聞デジタルより)
STAP細胞は体細胞由来の細胞から簡単に万能細胞が作製できるという点が売りであるため、STAP細胞には、体細胞で見られるべき、「T細胞受容体遺伝子の再構成」がある必要性がありましたが、この点が覆ってしまったため、共同著者の若山教授から論文撤回の呼びかけが3月にありました。
その他も、博士論文からの複数の画像の流用や、実験方法の部分における、他論文からのコピペなど、お粗末としかいいようのない捏造疑惑が次から次へと明らかになります。通常の科学者であれば、もはや論文撤回は当たり前、呆れを通り越して怒りさえ覚えたのではないでしょうか。その中で、日本の誇れる研究者である笹井氏が、小保方氏を庇い続けたのは不思議でした。カロリンスカでも再生医学の分野では良く知られていた笹井氏は、将来、ノーベル賞を取る可能性もあるとされていたようです。ノーベル賞を取るためには、優れた科学者であるだけではなく、類まれな運を持っていなければなりません。言い換えれば、天才と言われるまで優れている必要はないけれど、強運がなければいけないと言えるかもしれません。そういった意味では、笹井氏は天才的な研究者だったようです。そして非運、悲運の。iPS細胞では、当時、世界中の多くの研究者が同じ手法でiPS細胞の作製を目指しており、iPS細胞の作製に成功しノーベル賞に到達することは時間との競争で、新しい発想が必要だった訳ではありません。つくづく運命とは皮肉なものだと思わざるを得ません。
そして、今年の8月5日。悲劇は起こりました。天才的研究者、笹井氏の自殺。遺された複数の遺書から、知られていなかった真実が明らかになるかとも思いました。「小保方さんのせいではありません。」「STAP細胞を証明してください。」「新しい人生を歩んでください。」などの表現を目にしたとき、私は、彼は彼女を本当に大事にしていたんだな(愛していたんだな)、と思いました。STAP細胞がないことはすでに彼は知っていたはずなのに。理研内では、映画「ボディーガード」で、ホイットニーヒューストンを守るケビンコスナーを気取っていたそうですが、自分の死に際しても、彼女を守ろうとした、、、、。笹井氏には妻子もいたようですから、人目を憚る関係であったのでしょうが、研究所では大手を振っての同志。研究の道に足を踏み入れた女性が、天才肌の研究者に恋し、男盛の研究者が、日夜傍にいて研究に邁進する妙齢の美しい女性に心を奪われるのも不思議ではない、というより、そうならない方が不思議です。また、笹井氏ともあろう人が、STAP細胞が存在しないことや、小保方氏が研究者として稚拙であることを、認識しなかったはずがありません。少なくとも、論文がpublishされたのち、様々な疑惑が沸き起こったあとは。勿論、ことの始まりは、殊に、iPS細胞に再生医学研究におけるひな壇をさらわれたことなどの研究者としての焦りなどがあったのかもしれませんし、故に研究者としての能力を見抜くことは難しいことではなかったはずなのに、目くらましにあってしまったのでしょう。
そして大方の想像通り、STAP細胞の存在は証明されることなく、検証実験は終了。小保方氏が200回以上作製に成功したのはES細胞だったのでしょう。小保方氏は退職。野依氏を冠する理研らしい幕引きです。
小保方氏の研究者としての将来がないのは自明です。多量のコピペが発見された博士論文であるにもかかわらず、早稲田が彼女の博士号の撤回を決定しないのもおかしな話ですが、捏造論文で教授職を得ても、教授職に留まることのできる日本ですから、所詮、そんなものなのかもしれません。
自己責任とはいえ、小保方氏に出会ったことが悲劇の始まりとなり、自らの命を絶った笹井博士。日本も世界に誇れる研究者を失いました。悲しいことです。Nature blogも笹井博士の死に際してコメントを出しました(記事 )。
彼の死を止めることはできなかったのか。私が小保方氏で、本当に彼を愛していたなら、「捏造は全て自分がやった。彼の責任ではない。」と言ったと思います。そして、おそらく、それが真実だろうと思います。研究者でない人は、「彼は指導者なのだから、彼女の不始末は彼の責任。」と軽々しく言いますが、何千という実験の全てをコントロールすることは、指導者であっても不可能に近いことです。このあたりの事情は、やはり経験者にしか理解できないのか、非研究者と研究者、文系研究者と理系研究者、また、理系研究者であっても、同じような実験系を使う研究者と使わない研究者とでは、意見が異なっているのが印象的でした。
私の気持ちに近い記事を発見したので、リンク を貼っておきます。週刊現代という雑誌がどういう雑誌かは知りませんが、バランス良く(私の好みに)書かれているような気がします。産経のこちら もおすすめです。
最後に、、、。小保方氏が確信犯であったのかどうか、ずっと想いを巡らせてきました。小保方氏が全くのおバカさんで、自分の間違いに気づいていなかった。あるいは、確信犯であった。私の結論は、後者です。おそらく、大学時代に始めたコピペなりの小さな不正が想像以上に有効で、その成功に味をしめ、不正を繰り返した。そして、その不正は徐々に膨れ上がり、後戻りできなくなってしまった、、、。
笹井氏の死という大悲劇をもたらしたことで、彼女が少しでも後悔してくれていることを祈ります。
Recent comments