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おひなまつり

先日、ストックホルム日本人会主催のおひなまつりの会に双子を連れて行ってきました。

私自身、日本人会の役員(補欠ですが)をしているのですが、子供向けの行事に子供を連れて参加したことはありませんでした。3歳も近くなったので、少しはお行儀よくしてくれるかなと思い、思い切って連れてゆくことにしました。

 

東アジア美術館のアトリエドラゴンという場所を借りての催しでしたが、到着すると、在瑞おりがみ名人によるお雛様が。

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アトリエドラゴンというだけあって、立派な龍の飾りものがあって、子供がよじ登るには丁度良い大きさです。

 

運動系が大好きな息子は、すぐによじ登り、

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勿論、娘も負けてはいません。何たって、二人とも辰年生まれですもの。

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歌やおりがみ、お遊戯などがあり、最後にはFIKAタイム。

日本人会の副会長さんが作ったひなまつりケーキと、会長さんが作った手作りジュース、それに果物などを頂いて。

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おそらく、参加した子供の中では最も小さい双子ですが、親も驚くことにお行儀良くしてくれました。

また、お土産に、手作りひなあられもいただきました。

 

日本人会は数々の行事を主催していますが、そのために役員は多くの時間を割いて頑張っています(私はたいしたことはやっていませんが)。是非、多くの在瑞邦人の方が会員となって、日本人会を一層盛り上げて欲しいなと思います。

 

 

成長の春

この数日、ストックホルムは日中10度を越す暖かさです。長い冬を耐えてきた木々や植物が、一気に芽吹きそうな雰囲気。

 

そんな中、私といえば、人生最悪と言える(おそらく)インフルエンザに罹患し、1週間近くも38度以上の弛張熱が続きました。日本であれば、解熱剤を使いながら通勤するところかもしれませんが、ここはスウェーデン。遅々として下がらない熱に、1日1日と欠勤が伸び、診断書無しに欠勤できる最長の一週間を休んでしまいました。診療所を受診してもすぐに診断書がもらえるかどうか不明だったので、1週間欠勤したところで、フラフラしながら無理矢理出勤。その後は、アドレナリンの分泌を強制的に刺激しながら、何とかやっていますが、発症後3週間になる現在も本調子ではありません。

スウェーデンでは、病欠1日目は傷病手当は給付されず、2日目からは、給与のほぼ80%が給付されます。しかし、私の場合は、給与のレベルが給付の上限を上回っているため、病欠するとかなりのマイナスになってしまいます。それでも、給付があって病欠できるのは本当にありがたいことです。同時に3、4人の同僚医師が病欠していたらしく、手術をこなすことを第一目標に、外来をキャンセルしたりして何とか回していたようですが、とても大変そうでした。

私のインフルエンザ?が双子に発症するのではないかと心配だったのですが、鼻風邪と微熱程度の症状しかなかったため、保育園に送り込むことができ、日中は休養できたのが幸いでした。双子が感冒症状を得たときには、とにかく、鼻水ドレナージを徹底します。以前耳鼻科医だった私は、子供の鼻づまりで、急性、慢性副鼻腔炎、浸出性中耳炎、そしてそれによる難聴などを数多く見てきました。ベッドに子供を寝せて、水スプレーを鼻腔内に注入しながら吸引します。うまくすると、咽頭まで下がってぜこぜこの原因いなっている喀痰まで吸引できます。そして、鼻粘膜収縮スプレー。

physiomer-isotonicこれを最低朝晩2回は徹底的にします。

しかし、このために、もしかすると私がウイルスを子供からもらったのかも、、、。

 

最近の双子ですが、目を見張るのが言葉です。

双子は双子語があるために言葉が遅いと聞いていたため、呑気に構えていたのですが、保育園で年上とばかり遊んでいるためなのか、話す話す。うるさいほど話します。私に日本語を話すエネルギーが残っていないのと、スウェーデン語があまりに通じるのとで、日本語に関しては単語くらいですが、スウェーデン語の発達は驚くばかりです。そして、家でも、親とよりは、双子が二人で話していることが多いのですが、聞いていると、ちゃんと会話になっています。本を二人で読むときは、二人で解説しあっていますし、DVDもそう。そして、喧嘩になると、どちらかが親のところへきて、「XXちゃんが、XXしたの〜。」と言いつけにきます。また、私のところに寄ってきては、「Min mamma!(私のママ)」「Min mamma!(私のママ)」「Julias mamma!(ユリアのママ)」「Eliass mamma!(エリアスのママ)」とママの取り合いをするのですが、最近、娘は「Bådas mamma!(二人のママ)」「Inte bara min mamma.(私だけのママじゃないの。)」と言うようになりました。

息子は、娘よりこわがりで、「おばけに電話するよ〜」というと言う事をきくのですが、自分がこわがりなくせに、本やDVDでおばけや猛獣が出てくる場面で、ママが「ママ、ちょっとこわ〜い。」というと、「Ingen fara, mamma. Det är bara mönster.(大丈夫、ママ。ただのおばけだよ)」と言って、ハグしてくれます。

 

双子の最近の写真。お気に入りのリュックサック。娘はてんとう虫。息子はふくろう。自分で選びました。

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各自のiPadをキッチンの引き出しの取っ手に載せて(これは娘のアイデア)、並んで鑑賞中。

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2011年12月(3年前の話のつづき)

先日、3年前の12月8日に、2つの胚盤胞を移植したことを書きました。

それまで、日本やスエウェーデンを含め、ヨーロッパ周辺各国で最低20回はIVFを試みてきました。採卵するたびに凍結可能な胚盤胞が得られていたため、諦め切れずにズルズルと治療を続けていました。IVF経験者の中には、諦めた途端に自然妊娠した、という話も良く聞きますが、私たちの場合、夫が脊髄損傷患者ということで、IVFを諦めて自然妊娠に期待するという可能性はあり得ません。ですから、いつか諦めなければならないとは理解していながら、その決断をすることが怖くて仕方がありませんでした。子供を諦めることより、そのような大きな決断をする勇気がなかったと言えるかもしれません。

3年前の治療にあたっては、夫と同じ日に受傷したメンターのClaesは勿論のこと、彼の学位の指導者だったPeter Sjöblom博士の助けがありました。彼については別稿で述べるとして、この時の治療は、先日も記載したように、世界に誇れる卵子凍結技術を持つ加藤レデイースクリニックの技術を取り入れた、ロシアのクリニックでした。ストックホルムからも比較的近く、望めば日帰りも可能、また、すでにIVFに掛けた費用が8桁に達していた私たちにとって、スウェーデンや日本に比べて安めの価格が魅力的でした。ロシア語も出来なかった私にとって、当時そのクリニックに勤務していた知人の女医さんを頼ることができたのも幸運でした。

Exif_JPEG_PICTURE(写真は前回治療時、9月のもの)

新鮮胚を移植した前回の治療で発見した、お気に入りのレストランがクリニックの近所にあり、そこでタコのサラダやピザなど、お気に入りのメニューでお昼を済ませてから、移植に臨みました。

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手術室のライトは赤と緑のクリスマスカラーになっていました。移植だけですので、あっという間にすみました。頭の中で、どこか現実のものとは思えないような感覚が交錯して、同時に、「どの道、成功することはないのだろうな〜。」とボーッと考えていました。ひとつだけ嬉しい驚きだったのは、子宮内膜が12 mmと過去最高だったことでした。

 

1時間くらいベッドの上で休んでから、ホテルへの道の途中にあるレストランで、好きなロシア料理を食べました。

イクラとパンケーキにスメタナ!ゴールデンコンビ!

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言わずもがなのボルシチ!

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デパートで、キャビアを眺めました。ロシアルーブルが値崩れしている今なら、もっとお買い得だったのかしら。

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また、ここに来ることがあるのかなあ。次はどこへ治療の旅をするのかなあ、などと思いながら、空路、帰途へ着きました。

 

 

こんな感じで、全く期待していなかった移植の旅でした。

帰国してからも同じように働き、子供もいないので特にクリスマスや年末年始もお休みを取る必要がなかったため、通常勤務が続きました。

ずっと治療してもらっていた漢方の中国人の先生は、私の脈を取って、「もしかするかもよ。」と言ってくれましたが、「妊娠なんてありえない」と思って(思うようにして)いた私。

そして、12月19日。移植11日目の採血。

hCG 558。同じ年の春に妊娠したときの倍近くありました。まさかね。胚は着床したらしいけれど、前回もそこから流産したし、きっと糠喜びになるに違いない、と思いました。

 

そして、年末12月27日。この日もまだ勤務。hCGは9200。順調に伸びています。大晦日には2組の友人夫妻が来てくれたので、私は一応ノンアルコールで乾杯。しかし、ノンアルコールのワインとかビールって、美味しくないのね。普通に深夜まで飲み食いして、片付けて床に着いたのは、元旦の朝の5時でした。

 

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仕事納め

12月29日、30日は通常勤務で、30日が年内の仕事納めに当たります。私は両日共に手術日でした。

オペ室にやってくると、ドアにこんな張り紙が!

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今年のロボット前立腺摘出術が603件(601は間違い)で、ヨーロッパで最も多くの症例をやったという内容。しかし、1件目に時間がかかって2件目をキャンセルしなければならないと、この数が少なくなる訳で、ちょっとプレッシャーですが、看護師さんサイドからのこんな張り紙は、張合いになります。

1件目はハイリスクの前立腺癌で、リンパ節郭清をバッチリやりましたが、どうした訳か腹腔内は腸管の癒着が高度で剥離に時間 がかかり、さらに腫大したリンパ節が大血管に癒着していて、難しかった。それでも、正午くらいには終了したため、2件目も問題なく手術できることになり、ホッとしました。最後の症例は中レベルのリスクの前立腺癌でした。しかし、結構大きな中葉があっ て、多少時間がかかりましたが、1時間半弱で終了。結局、16時前には終わり、良い締めとなりました。

本格的にこの手術を始めたのが、去年の9月。数えてみると、これまでに100例弱を執刀しましたが、通常の症例であれば1時間前後、難しい症例では2時間程度、リンパ節郭清を徹底的にやっても2時間から3時間弱で終了するようになり、自信がつきました。外科医としては、麻酔科の先生に褒められることは非常に名誉なことなのですが(麻酔科医はどの外科医が上手か下手か、良く知っています)、最近も、「とってもエレガントな手術ね!」と過分な褒め言葉をもらい、とても嬉しく思いました。手術で時間や出血量を競う外科医もいますが、もちろん、上手な外科医は短時間で少ない出血量で手術しますが、癌であれば根治性、そして、機能温存という面でも、優れた結果がなければいけません。その点でも、私の手術後の癌の根治性や尿禁制(尿失禁がないこと)の割合は非常に高く、満足のいくものでした。インポテンスに関しては、自慢はできませんが、、、。

 

新しい年も、さらに研鑽を重ね、よりメスの切れる外科医を目指し、また、愛のある診療を心がけたいと思います。

クリスマス

クリスマス休暇も終わった週明けの今日、12月29日、日本なら御用納も済み休暇モードのところを、スウェーデンでは通常業務の始まりです。ロボット手術が5件、そのうち2件を担当しました。明日も2件、その上オンコールです。

 

さて、今年のクリスマス・イブは、義理の姉のところで集まって祝いました。

双子と早目に退散することを考えて、2時過ぎに集合。クリスマスに合わせて、赤系の洋服を着せてみました。まだまだ髪の毛が少ない「わたし」ですが、エステル王女を真似て赤いリボンのヘアピンを付けてみましたよ。Farmor(父方の祖母)のお膝で、変顔。

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Estelleはこんな感じ。これ、一年前?

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こちらが、今年でしょうね。大分毛が伸びました。

Prinsessan+Estelle+julen+2014+Foto+Kate+Gabor,+kungahuset.se+43Farfar(父方の祖父)と従兄弟と。

2014-12-24 17.02.5515時にKalle anka(ドナルドダッグ)の番組を見て、お食事して、その後に、誰かがサンタさんの扮装をしてクリスマスツリーの下に用意されているプレゼントを配りにくるのがスウェーデンの慣習。

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初めて見るサンタさんに、双子は怖がって大泣き。それを見て大人は大笑い。

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涙を拭き拭きプレゼントを受け取った「ぼく」。しばらく恐怖でおののき、お兄ちゃんに抱きついている「わたし」。

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そのうち落ち着き、プレゼントを開け始めます。

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イブの集いの他にも、pepparkaka(スパイスクッキー)を作ったりして、クリスマスの休暇は過ぎてゆきました。外気は零下10度くらいに冷え込んだため、室内でゆったりと過ごしました。

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ノーベル賞晩餐会のメニュー

いつもながら、記事を更新できるのがいつになるのかわからないため、簡単なところから。

今年のメニューは例年に比べても評判が良かったのではないかと思います。

 

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主賓テーブルは80cm幅ですが、それ以外は60cmですので、多少窮屈な感じは否めませんが、オレフォッシュのノーベルのセットがとても美しい。右上のマテイーニグラスがシャンパングラスとして使われます。蓋つきの器の中には、前菜が既にサーブされています。

 

今年のメニューはこちら。

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前菜は、カニと野菜のゼリー寄せに、カリフラワーのスープをかけたもの。

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実はスープが掛かっていない方が美しいのです。

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スープはオマールエビのスープのような濃厚な味。カニがプリプリしていて、とても美味しい。

 

メインは鹿のステーキ。これは絶品でした。付け合わせのマッシュポテトの上にカリカリにローストされた玉ねぎが掛かっているのも、素晴らしく美味しかった。

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デザートはお決まりの花火と共にサーブされます。

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絵のように美しいデザート。サフランのパンナコッタが美味しかったです。

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コーヒーとともにコニャックもサービスされたのですが、翌日大手術があったので我慢。

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とはいえ、最初の極上シャンパンでほろ酔いご機嫌な私。

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授賞式、(食事以外の)晩餐会については、また改めて。

3年前の今日

3年前の今日、この街にいました。

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街はクリスマスのイルミネーションで美しかった。

数日前に、12年前に抗癌剤治療を受ける前に採卵した未受精卵で出産したというニュースが報道され感動したのですが、実はこの方が採卵したクリニックは私が通っていた西新宿の加藤レデイースクリニックでした。世界に誇れるこのクリニックの凍結技術を取り入れたクリニックに知人の医師が務めていた関係で、不妊治療をお願いすることにしたのですが、彼女に凍結胚盤胞を2つ移植してもらったのが、3年前の今日。3年前には1ミリ以下の大きさだった胚盤胞が、今日の双子に成長してくれました。

涙なしには語れない不妊治療の長い旅。双子に恵まれた今でさえ、思い返すたびに心の古傷が痛むのは不思議。

とても感慨深いです。

最近の双子の成長

双子は、お腹の中にいたとき、そして生まれてからこれまで、同じような環境にいたにも関わらず、性格が全く異なります。

子育てをする上で、遺伝よりも環境が重要だと考えている私でさえも、子供の性格というものは、お腹の中にいるときに、すでに最初のフォームが決まっているのだなと考えざるを得ません。

「わたし」は、「ぼく」よりも少々大人。「ぼく」に好きなものを譲ることができます。「ぼく」が「わたし」の持っているものが欲しくて大泣きしていると、そっと渡していきます。そして、「ぼく」が散らかしたものを、片付けるのも「わたし」。こぼしたミルクをみれば、テイッシュを取りに行って拭いてくれたり。母が扉などを閉め忘れていると、閉めてくれるか、自分で閉めることができない場合は怒って、閉めろと騒ぎます。

「ぼく」は、とても社交的。知らない人にでも、どんどん「Hej!」と挨拶をします。宅配のお兄さんにも、「Hej!」と「Hejdå」を欠かしません。「わたし」は「ぼく」の後ろに隠れています。それなのに、お掃除ロボット、ルンバは大嫌い。ルンバと聞くだけで、大泣きします。「Elias är rädd(エリアスはルンバが怖い)」と言います。パパママに怒られて大泣きするのも「ぼく」。とても繊細な男の子です。怒られたあとは、必ず、「嫌われていない」ということを確認したいのか、ハグを求めてきます。そして、母の服で鼻水を拭く。これがお決まり。

それでも、遊びのイニシアチブを取るのは、「ぼく」。「ユリア!Kom!(おいで)」と叫んで走っていきます。

双子は「おばけのラーバン」、「FindusとPettersson』、「Lilla Anna 」「Alfons』などのスウェーデンのアニメや、「となりのトトロ」、「魔女の宅急便」、「崖の上のポニョ」などのジブリ作品が大好き。多分、「ぼく」の初恋の相手はポニョだと思います。魔女の宅急便のイントロで、ルージュの伝言が流れると、二人とも踊り出します。一回だけでは済まずに、「もっと、もっと」と巻き戻しをせがんで、延々と踊っています。「しまじろう」に出てくるパンダも大好き。「ぼく」の感情移入はとてもすごくて、いちいち感情を込めて解説しています。例えば、燃える火を見れば、「varmt!  あついあつい!」と。殆どがスウェーデン語ですが、ところどころ日本語の単語が入ります。日本語は生憎、圧倒的に劣勢ですが、「わたし」は少し興味があるのか、母の言葉を良くリピートしています。

夜はすぐに寝付く「わたし」を先に寝かせるのですが、体の部分を日本語で言ってみたり、歌を歌ったりしているうちに、10分くらいで寝ついてくれます。「ぼく」の寝かしつけは大変。ベッドの上で飛んだり跳ねたり。お腹の中にいたときも、「ぼく」はどんどん動いていましたが、「わたし」は殆ど動かなかった。最悪、2時間くらい寝るまでにかかることもあります。まだ親と一緒の部屋に寝ているので、そろそろ子供部屋に移さないとと思っているのですが、子供部屋が荷物置き場となっており、それを片付けるには、まとまった休みが必要。

保育園は二人とも大好きです。毎日、喜んで通っていて、バイバイも全く涙なし。この8月から大きな子供のグループに入りましたが、2歳児は3人だけ。3歳児がいなくて、4歳児と5歳児です。「ぼく」はもう一人の2歳児の男の子と遊んでいて(お兄ちゃんたちには混ぜてもらえない)、「わたし」は逆にお姉ちゃんたちのお気に入りで、4−5歳児と遊んでいます。「わたし」はお友達の名前を全部覚えていて、しかも、お友達のパパやママがお迎えにくると、誰のパパかママかもわかっていて、「xxちゃんはどこにいるよ。」と教えてあげているようです。スウェーデン人なんて皆、同じような顔に見える私には、仰天の才能。写真は、最近保育園で撮影した集合写真。「わたし」は一人一人指差して、全員の名前を教えてくれます。

 

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母の願いは、健康で優しい人間に育ってくれること。そして、今のところ二人とも、喘息気味であるくらいで健康には問題なく、そして、思いやりのある子に育ってくれています。喧嘩もするけれど、二人はとても仲良し。片方の姿が見えないと、片方が心配します。片方が泣いていると、片方がハグしにいきます。どこかに頭をぶつけて泣いていれば、ハグして、頭をフーフーして、なでなでしています。母はそんな二人の姿をみるだけで、胸がキュンとなり、涙がこぼれそうになります。母が「痛い」と言っても同じ。ハグしにきて、フーフーしてなでなでしてくれます。「わたし」が母に何か痛いことをしたときには、「Förlåt, mamma.(ママ、ごめんなさい)。」とまで言ってくれます。そして、とどめの一言は、「Jag älskar dig, mamma! (ママ、愛してる!)」。写真は、上と同じ日に撮影した個人写真。姉弟写真の試みもあったのですが、「わたし」が拒否したらしく、撮影ならず残念。

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次の写真は、丁度1年前に保育園で撮影したもの。「わたし」は母と日本へ帰国中だったため、写真はありません。一年間で、ずいぶんしっかりした顔になりました。

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来週は、母はスウェーデン社交界デビューです。というのは冗談ですが、ノーベル賞の授賞式と晩餐会に参加してきます。思いがけず招待状が届き、日本人3人が受賞という偶然もあり、出席することにしました。しかし、翌日は手術日、また、双子を家に残したままダンスまで踊る気分にはなりませんが、晴れの晩餐を楽しんできたいと思います。メニューが、楽しみです。

 

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日本よりタチの悪い男女不平等なスウェーデンの外科医社会

コメントのお返事もせずに、失礼しております。

タイトルの通り、あまりにひどい職場の男女不平等な状況と戦っています。

スウェーデンが男女平等な理想郷だと信じている方には、ショックなタイトルかもしれませんが、

少なくとも、女性患者さんを扱う乳腺外科と産婦人科以外の外科では、女性医師に厳しい環境であるようです。

専門医前の若い女医さんはその限りではありません。男性のライバルになるような女医さんのことです。

あまりに未熟な男が多すぎるのですね。男性ボスが外科医として優秀であるだけでは不十分。人間として成熟していない男性のもとでは、男女平等はありえない。しかも、日本よりたちが悪いのは、男女平等といいながら男女不平等。ヒエラルキーがないといいながら、ヒエラルキーの上にいる人間は権力行使する。まさにダブルモラルが醜すぎます。

書くことは多いので、またの機会に。

今週は、女性外科医の会で、日本の医療について話す予定なのですが、スウェーデンのダブルモラルについても、さらっと指摘してくるつもりです。

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わたしがブログを書く理由

匿名に近い形で始めたこのブログも、現在ではほぼ実名で書いているようなものになりました。

 

初めは、情報や意見の発信をしたいと思っていましたが、意見を発信すればときに炎上することを経験しました。それでも続けようと思っている訳ですが、ブログを書く上での最も大きなモチベーションは、子供たちに伝えたい歴史や人生に対する向き合い方を記録として残したいということです。ですから勿論、ブログを公開しなくても良いのですが、公開することによって継続することに強制力がかかること、また、いろいろな方との交流ができることは、とても意味のあることだと感じており、現在のところは公開のままにしておこうと考えています。

 

高齢母であることは欠点ばかりではなく、長所も沢山あると思っています。キャリア形成の上でも若い親世代に比べれば時間的にも精神的にも余裕がありますし、年を取っているだけ人生経験も豊富です。若い頃に比べれば忍耐力も格段にあり、子育て初心者ながら、鷹揚な子育てができているように思います。ときに、おおらか過ぎるのではと思うくらいです。一方、大きな欠点は体力の低下です。殊に、私の場合は、父親が車椅子生活をしているため、母親である私が父親役をこなさなければならないことも多く、精神的にも体力的にも辛く感じることがあります。しかし、それ以上に辛いのが、実は「死への恐怖」です。子供に恵まれる前は、死ぬことを恐れていませんでした。子供たちが独り立ちするまで何とか頑張って生きよう、生きたいと思っていますが、こればかりはわかりません。超高齢母ですから、「孫の顔を見たい」などということは考えていませんが、子供たちが自分の力で生きてゆけるようになるまでの寿命が欲しいと思っています。それでも、もしかしたらそうなる前にはかなくなるかもしれないと思うことがしばしばあります。考えるだけで恐ろしい。しかし、もしそうなったら、私の生き様を知る手だてを残しておきたい。子供たちが、どれだけ望まれて生まれてきたのか。生まれてくるまで、どんな苦労があったのか。今では、自分の命よりも大切な二つの小さな命。母はどれだけ子供たちを愛していたのか。

 

何だか、書いていて涙が出てきてしまったので、この辺でやめておきます。

子供たちにブログを読んでもらうためには、双子の日本語教育も頑張らなければいけませんね。日々口数の多くなる双子ですが、日本語は限られた単語だけで、文章は完全にスウェーデン語。日本語のDVDを利用してもいますが、日本語は圧倒的に劣勢です。職場では考える暇もなく怒濤のようにデューティーをこなし、急いで帰宅。間に合う場合には保育園のお迎え。夕食の準備。掃除。入浴。寝かしつけと、座る暇もなく時間は過ぎます。日本語教育を考える余裕などありません。DVDに頼っている不出来な母なのでした、、、。


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