今日は、インパクトファクター (impact factor, IF)についてなど。エキスパートの方はどうぞスルーしてくださいませ。
IFは、自然科学社会科学分野の学術雑誌を対象として、その雑誌の影響度を測る指標。The Institute for Scientific Information (ISI)の創始者であるEugene Garfieldが1955年に考案したもの。現在では、ISIはトムソン・ロイター社の一部となっており、そのデータベースJournal Citation Reportsから毎年IFを算出している。対象となる雑誌は自然科学5,900誌、社会科学1,700誌である。
雑誌ごとのIFは次のように計算される。
例えば、最も新しい2009年のIFであれば、
1) 当該雑誌に過去2年間(2007年と2008年)に掲載された論文数
2) 1)の論文が2009年に引用された回数
から、2)÷1)で求められる。つまり、論文1つあたり何回他の論文に引用されたかという指標であり、大きければ大きいほど、影響度が大きいと解釈される。
IFの数字にはいろいろなファクターが影響する。例えば、この表で最もIFの高いA Cancer Journal for Cliniciansは隔月に発行され、論文数はわずか23編。大規模な疫学統計や総説などが中心である。論文数が少ないのと、内容で、当然、引用回数は多くなる。1論文あたり80回という計算になる。The New England Journal of MedicineやThe Lancetは主に臨床症例に関係する論文を取り扱う。IFトップ10には、REVと示された、つまり総説を扱う雑誌が複数あり、これは、原著論文を扱う雑誌と同じようには比較できない。
研究者の端くれであれば、原著論文が高いIFを持つ雑誌に掲載されることを夢見るものであり、夢は、Nature(IF34.5)やScience(IF29.7)、Cell(IF31.2)といったスーパー雑誌。しかし、高いIFの雑誌に掲載されたから、良い研究であるかといえばそうとも限らない。一時的にセンセーショナルな話題をさらうだけではなく、本物であれば、永きに渡って引用されるはずである。従って、引用数が時系列でどのように変化するかなども計算されている。教授ポストの選考などには、応募者の業績、つまり、論文数やそれら論文が掲載された雑誌のIFの総和を計算することがしばしばある。前述の理由によって、必ずしもそれが研究のクオリテイーを示すものであるとはいえないが、選考に際しては非常に重要である。
業績の評価では、論文数だけではなく、論文の著者の中で、どの位置に名前があるかも大事である。海外では通常、学位の指導者の名前が入った論文は、独自の研究とはみなされない。学位取得後、研究者の道を進み、少なくともprincipal investigator(PI)を目指すとすれば、学位取得の際の指導者の名前が入らない論文を発表しなければならない。その際も、筆頭著者または末尾著者であるか、corresponding author(論文の責任者著者)が価値があるもので、多数の著者の間に名前が入っている場合のインパクトは少ない。そこで、共同研究者間でどの位置に名前を載せるかで、喧嘩になることが良くある。
ポスドク時代に手掛けた研究が、Cellにほぼアクセプトされたか、というところまでいったことがある。フルタイムでおよそ2年がかりの仕事だった。2年がかりというと長いように感じる方もいらっしゃるかもしれないけれど、2年の仕事でCellに掲載されそうなデータが出るなら、それはとてもラッキーなこと。そのときの私の共同研究者は、既に、NatureやNature Neuroscience、PNASなど夢の雑誌に原著論文を持つ強者。Cellにアクセプトされそうになった状況で、筆頭著者争いの喧嘩になった。私には自分が最も研究に貢献したという自負があったから、あくまでも抵抗し、結局、筆頭著者2名、但し、順序は私が筆頭というところで合意した。しかし、研究室のボスがしっかりしていないと、こんな争いが起こるのである。結局、このラボでは、私は3つの論文から名前を外された。もともと、日本へ帰る予定のポスドクなど、虫けらみたいなものと考えるボスもいるのだろう。そのうちの一つは、短期留学できていた中国人の大学院生を私が指導したものだったので、流石に切れそうになったが仕方がない。結局、Cellに載りそうだった論文は、最後の詰めでこけてしまった。数年前に発表されたものだが、最近、これまでの引用回数が100回に近くなったことを知り、やはり良い論文だったのだと安心するとともに、嬉しく思った。
しかし、研究者の世界もどろどろとしている。データ捏造などは論外だが、良いポストを得るために、あるいは名声のために、データ捏造をする人間は常に存在する。少し前に阪大医学部・内分泌代謝学の下村伊一郎教授が起こした論文捏造事件。
これは、捏造問題で取り下げられたNature Medicineの論文である。筆頭著者は医学部学生。最後の筆者は、「Shimomura」とあり、その名前の後には、この著者が論文に関する責任を負うという意味の番号がつけられている。それにも関わらず、下村教授はこの論文に関して学生の指導をしなかったとし、捏造問題の責任回避をしようとした。結局14日の停職になっただけ。もう5年も前の事件であるが、責任を負うべきボスである教授が、医学部も卒業していない学生に責任を押し付けたことに、大きな憤りを感じたことを覚えている。
研究者という職業は本当に大変だ。臨床現場で働く医師より、ある意味、ずっと過酷だと思う。日本の研究者は、例えば、教授になれば、業績が出なくても未だに辞めさせられない、無期限の職も多い。こちらで周りを見回すと、教授であっても業績が足りずに、研究費はおろか、自分の給料の工面もできない人もいる。医師であれば、その日のスケジュールに沿って働けば毎日が過ぎてゆくが、研究者はそうはいかない。いかにモチベーションを保ち、研究を継続するか。研究にしても、自分が面白いと思ったり、高いIFを狙うような研究だけではいけない。研究費を取るために論文にするのにリスクの低い研究もしなければならない。PIになったら、大学院生やポスドクの人生もかかってくる。研究者とは自転車を漕いでいるようなもので、漕ぐ足を止めれば倒れてしまうのである。
そんな訳で、Cellに手が届きそうになった頃、思わず舞い上がって、研究一本で生きるのもいいなと、愚かな夢を見たこともあったが、所詮、私には無理と悟った。もしCellにアクセプトされていたら、人生間違っていたかもしれない。Cellクラスの雑誌に筆頭著者の論文が1本あったら、向こう5年くらいの人生設計に影響する可能性があるから。生命科学分野における基礎研究とは、人類に還元されることを目的としてなされるべきもの。だから、臨床に関わる一医師として、所謂、「ベッドからベンチへ」、臨床の観点から研究に関わることは大事だと今でも信じているし、研究の時間が少しずつ取れるようになったらいいなと思っている。
そろそろ、ノーベル賞受賞者の発表の季節。今年の医学・生理学賞候補には、日本の誇れる山中先生の名前が挙がっていると聞く。山中先生は、頭脳と、パッションと、人柄を兼ね備えた研究者という印象があるので、是非、今後の日本を盛り上げて戴きたいと期待している。ノーベル賞は確実。問題は「いつ?」。今年?来年?








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