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師匠の引退

医師として、研究者として、師匠と呼べる人はあまりいませんが、スウェーデンで、医師として初めの一歩を踏み出すのを手伝ってくれた大先輩が、少し早めの定年退職を選択しました。通常65歳、場合によっては67歳まで勤務が可能ですが、彼は65歳まで数年残しての退職になります。

医師免許取得までの6ヶ月の臨床実習の間の指導者でした。彼のスコンスカ(南スウェーデンの訛りの強いスウェーデン語)は、スウェーデン語初心者の私には非常に難しく、彼がしびれを切らして英語に切り替えたときは、悔し涙を流しました。

毎日、ランチには10クローネのサンドイッチを一緒に買って食べました。おそらく、彼の最後の開腹手術となった、腎摘術で助手を務めましたが、私のつたないスウェーデン語による意思疎通不足で、手術中に怒鳴られたのも、今となっては良い思い出です。術者としては、助手が理解しているのかどうか理解できないのは、大変なストレスだっただろうと想像します。

1月14日、彼の最後の勤務日。私は休暇を頂いておりましたが、師匠の30年を振り返っての記念講演があったので、出勤しました。人生にはいくつものドラマがあります。人生のドラマには心を動かされます。

最後のスライドは、、。

同時に定年退職する奥様の写真。

彼が「lammkött(ラム肉、スウェーデンのスラングで、歳下の(男性)のパートナーのこと)」だったなんて、知らなかった。

E先生、有難うございます!お元気で!

悲しくも美しい夫婦愛

スウェーデンでは、終末期に入った患者さんは、大学病院からは退院していただき、ホスピスや在宅医療での治療となります。

「この人とは、もう二度と会えないだろうな」と思いながら、患者さんとさよならをするのは、辛いものです。

今年、恥もなく涙をこぼした患者さんの話題といえば、間違いなく、「悲しくも美しい夫婦愛」を見せてくれた彼。

彼は膀胱癌を患った70代の男性。数年前から、他の癌の治療や、心・血管系の疾患での大きな治療を繰り返してきました。運の悪いことに、膀胱癌も発見時から非常に進行した状態。抗癌化学療法を施行してから、膀胱全摘となりました。今回は、消化管と尿路の瘻孔形成の症状で入院。入院時の検査で多発性の肝転移が。通常であれば、それほど高齢でもないこのような患者さんに対しては、腎機能更なる抗癌化学療法が行われるのですが、手術前に既に抗癌化学療法が行われているにもかかわらずの再発ということで、再発癌には化学療法が無効であろうと推測されます。こんな場合、日本では他に治療法がないこともあって、無効であっても化学療法が施行され、患者さんは結局、退院もできないまま亡くなることも多いのですが、スウェーデンでは非情なまでに意思決定がはっきりしています。日本で泌尿器科癌に抗癌剤治療をするのは泌尿器科医ですが、スウェーデンでは腫瘍専門医。しかも、泌尿器科腫瘍の専門家です。この患者さんのケースも、治療カンファレンスで話し合いがなされ、いとも簡単に「無治療」という決断が下されました。また、消化管との瘻孔も、腹膜炎症状もなく、限局性ということで、現疾患が無治療であれば、こちらも無治療という外科の決断。これも、日本ではありえないことです。

以前の記事でも述べましたが、彼のようにまだ元気であっても、予後が非常に悪く、保存的治療以外の方法がない場合は、比較的早い時期から、「治療制限」についての決断をすることが奨励されています。泌尿器科のように、当直医がおらずオンコールのみの場合は、急変時に処置をするのは、急変時に対応する医療チーム(Mobila intensivvårdsgruppen、通称MIGチーム)ですが、治療制限の決定がなされている場合、その内容により診察もせず無処置とすることも可能になります。MIGチームは、小さな荷台に医療機器や薬剤を積んで、通常、緊急コールがあってから数分以内に到着し処置を行う特別な医師・看護師チームで、日中であってもときどきお世話になることがあります。

治療の制限の決定がなされると、コンピュータ上にある書式に記入します。

例えば、こんな感じです。これは、新たな治療行為開始の制限。

MIGチームの要請、集中治療室への入室、心肺蘇生、ペースメーカー、挿管を伴う呼吸管理、挿管を伴わない呼吸管理、透析、手術、放射線治療、輸血、酸素吸入、昇圧剤、抗生剤、抗癌剤、栄養、輸液がチェックリストに挙げられており、施行しないと決断されたものにチェックをするようになっています。

続いて、一度開始された治療を中止する場合のチェックリストもあります。

Beslut har tagits efter samrådmed(この決断は以下の人間の同意により下された):

Patienten(患者)、Närstående(患者家族)、Ansvarig läkare på hemklinik(該当科の担当医)、Ansvarig läkare på intensivvårdsläkare(集中治療室の担当医)

とあるように、この決断を下すのは、患者さんや家族の同意がなくとも可能。これも日本では考えられません。


彼に残された時間は、おそらく長くて数ヶ月。彼は、現実を全て理解し、受け入れていました。私が、「治療制限」についての話をしたときも、動揺を見せずに、静かに言いました。

「私に残された時間が短いことはわかっている。不必要な治療は勿論受けたくない。」

続けて、ホスピスなどへの転院の話をすると、

「私は家に帰りたい。私には、癌を患った妻がいる。彼女は長いこと闘病生活をしていて、私が家で彼女の面倒をみてきたから、早く帰らないと。」

スウェーデンでの在宅医療は非常に進んでいて、ASIH(avancerad sjukvård i hemme、高度在宅医療)という24時間体制のシステムが、居住区毎にあります。中には、必要に応じて入院できるベッドを持っているところも。医師、看護師ばかりでなく、理学療養士、社会福祉士、栄養士なども働いています。中心静脈栄養の管理は勿論、手術創や褥創の管理もしてくれます。カルテも、大学病院と共有する電子カルテを使っているところもあり、大学病院の担当医とコミュニケーションを取る場合も便利です。

肝転移によると考えられる腹水貯留も始まり、呼吸も苦しそうになってきた彼には、ホスピス転院が適当と考えられましたが、彼の妻の面倒を家でみるという意思は固く、ASIHにお世話になることにしました。

彼が言います。

「どうしてもこの週末までに退院させてください。」

週末まであまり日がなく、ASIHの審査や準備を考えると、かなり厳しい日程なのですが、どういう理由か、絶対に退院すると言います。

普段から、彼の人柄、そして、真摯に死と、自分の運命と向き合う姿に感銘を受けていた私達医療チームは何とか全ての手続きが間に合って、彼の希望が叶うように頑張りましたが、結局、ASIHは、週明けからということになりました。しかし、退院はその前の週末で、週末は夫婦二人で乗り切るということになりました。腹水、呼吸困難の彼がどうやって病床の妻を面倒みるのか、、、。

退院当日、看護師さんが涙目で私のところへやってきました。

「彼、病院のお花屋さんで、花束を買ってきて欲しいのですって。先生、何故だかわかる?今日、奥さんとの50回目の結婚記念日なんですって。」

そして、

「Vilken fin människor han är!」(なんて美しい人間なんでしょう!)

と彼女はつぶやきました。

それに対して、私は思わず、

「50回目の、そして最後の結婚記念日」

とつぶやいて、二人で涙をこぼしました。

「先生、彼は奥さんと最後のクリスマスを過ごしたいって言っていたけど、大丈夫かしら。}

「多分、それまではもたないと思う。」

というような会話をしたと思います。

私は、彼に最後のさよならが言いたかったけれど、他の仕事があって、それは叶いませんでした。

彼は、花束を手に車椅子で退院していったそうです。

数週間後、同じ看護師さんがやってきました。

「先生、知ってる?彼、亡くなったって。でも、結婚記念日が祝えて良かったね。」

そんなに早いとは、思っていませんでした。カルテをチェックしたら、退院してから、およそ1週間後の死でした。手続きのために入院を延長させなくて良かった、と思いました。

それから程なくして、彼の妻も亡くなったと聞きました。

私はそのとき思いました。

「彼らは天国で再び出会って、クリスマスを一緒に祝うに違いない。」

平均より少し短い人生だったけれど、それだけ想い合える相手とめぐり合い、50年を共にできて、幸せだったに違いありません。今、思い出しても、涙がこぼれる、「悲しくも美しい夫婦愛」の話です。

クリスマスは、スウェーデン人にとって、家族にとって、特別な日。

God Jul、Merry Christmas!!!

「そんなにもあなたは娘を待っていた」

日本と異なり、大学病院は急性期医療専門。終末期は殆ど扱うことがないため、患者さんの死を看取ることはあまりありません。

それでも、今年は数件の死亡診断書を書きました。

最近亡くなった患者さんは、70代の男性。局所進行性膀胱癌。かなりの悪性で、内視鏡的に切除しても切除しても数週間で再発腫瘍は巨大になります。幸い、遠隔転移がなかったため、膀胱全摘を勧めました。もともとヘビースモーカーで、慢性閉塞性肺疾患が強く疑われましたが、無治療で放置。腫瘍からの出血と、腫瘍により排尿が困難なことから、入院が長引きます。病院での臥床が長くなると、それに伴って呼吸症状が悪化します。

普段から、心を閉ざして言葉少なく、コミュニケーションが難しい患者さんでしたが、徐々に話をするようになりました。どうやら、娘が遠い島に住んでいるよう。患者さんの住所を見ると、ストックホルムでも端の、移民の多い街で一人住まい。経済的にも困窮しているらしく、しきりに、アパートの家賃などの心配をしている。そして、手術を含め、治療を受けたくないと言うのです。

「お嬢さんに連絡して病状を話してもいい?」と訊ねます。

彼は無言で首を横に振ります。

その後、看護師さんから、彼が翻意したという報告を受け、再度病室を訪問し、お嬢さんへの連絡に合意。

お嬢さんは、ストックホルムより南にある島に住んでいます。電話で話すと、とても感じの良い人でした。治療を受けなければ、予後は厳しいことを説明すると、お嬢さんからも話をするという。島からストックホルムまで最低半日必要だが、近々訪ねたいとのこと。父娘はどういった事情かわかりませんが、数年音信不通だったと。

その後、患者さんは腎後性腎不全(下部尿路、この場合は、膀胱癌の進行により、両尿管が閉塞し尿が流れないため、腎機能障害を起こした)となり、片方の腎瘻(腎臓へ直接管を挿入し、尿を管から排泄させる)増設となりましたが、腎瘻を自分で引き抜いてしまい、結果として、重篤な敗血症と腎不全に陥り、病状は急激に進みました。既に、「治療制限に関する書類」が作成されていたため、高額治療は一切しません。意識不明、下顎呼吸となり、今にもはかなくなりそうなある朝、危篤であることをお嬢さんへ連絡しました。そうすると、明日の朝発つとのこと。それでは到着が夕方です。間に合わないな、と思いながら、「急変したら連絡します」と言って、電話を切りました。

複雑な事情がありそうな高齢の独居老人。可能性があるのに、かたくなに治療を拒否する彼。スウェーデンでは、「死に目に会う」ことは重要ではありませんが、それは普段から交流があるからのこと。長い間娘と音信不通だった彼の、まだ息のある間にお嬢さんが来て欲しいと、私も看護師さんも願いました。腎瘻が無いため、せめてもと尿道カテーテルを入れると腫瘍塊と尿が。出来る限り洗浄して、輸液や利尿剤を調節します。舌根が落ちているために、挿管は高度治療となるためできませんが、鼻腔カニューレを。

次の朝、祈るような気持ちで病室を覗くと、若干呼吸状態が改善しているではないですか!もう少しだから頑張って欲しい。

結局、お嬢さんは15時半頃到着し、意思疎通は出来ないけれど、久し振りの面会を奇跡的に果たしました。お嬢さんとの会話でも、家庭の複雑な事情が感じ取れましたが、私にとっては、あの状況から24時間以上持ちこたえたことが信じられませんでした。

「今夜は父の傍にいます。」と言って別れたのも束の間、17時に呼吸が止まりました。救命はしないため、しばらくしてから、病室を訪れました。

「お父さん、あなたが来るのを待ってたんですね。」

お嬢さんは涙を見せながらにっこりとしてくれました。

医師をやめようと思ったあのときを思い出しました

研修医を終了して、専門医となるための研修を大学病院でしていたころのことです。

腎臓癌術後で肺転移をきたした患者さん、O氏の担当になりました。

私が医学部学生だった頃の父と全く同じような病状でした。父は病院で免疫療法を受けるとともに、様々な民間療法を試みました。腎臓癌の肺転移は着実に進行し、病理組織学的にも気管支鏡による生検で、腎臓癌の転移であることが確認されていました。

胸部単純レントゲン写真上ですら確認できる複数の転移巣が。

傾眠傾向となり、病院にも見放された父を家へ連れて帰りましたが、ある時点から元気を取り戻し始めました。

そしてしばらくして、驚くことに、CT検査でも、肺の転移は一つも見られなくなりました。こんな経験があって、私は泌尿器科を専門とすることにしたのです。

何が効を奏したのか、、ただただ奇蹟というしかありませんが、試した民間療法の中で、感触の良いものがありました。

話を戻しますが、父に病状の似た患者さんO氏は、勿論、病状が改善するはずもなく、予後が絶望的であるのは明らかでした。患者さんおよび患者さんの妻と毎日接するうちに、父が試した民間療法のことを伝えたいという思いが育ってきました。しかし、大学病院に勤務する医師として、医師チームの方針(無治療)から外れた行動はしてはいけないという認識を、当然持っていました。何日も悩んだあげく、「担当医」としての立場でなく、「一個人として、一癌患者の家族としての経験」であることを念を押し、了承を得たた上、父の闘病歴を話し、参考としたプライベートクリニックで行われている治療法の本を紹介しました。

O氏の妻は早速そのクリニックに連絡を取り、診察の運びとなったその直前、新たな臓器への転移のため、容態が急変し、クリニック受診は不可能な状態になりました。そして、私が医師をやめようと思ったことが起こったのです。

O氏の妻は、「医師チームのメンバーである○○先生が勧めた治療であるから、この大学病院の勧めであると理解した。治療を受けたいので、救急車で送迎してください。」と要求してきました。私がその場で涙をこぼしそうになっても、彼女は冷ややかに同じことを繰り返し、さらに、私を非難する言葉まで飛び出しました。

主治医だった上級医の先生に詳細を説明し、「私は医師を辞めます。」と泣きながら言ったことを覚えています。

「医師を長年やっていれば、いろいろ辛いことがあるよ」と、長い時間をかけて優しく説かれ、結局、思いとどまったのですが、これは本当に痛い経験でした。プロ意識が足りなかったのは明らかなことですが、その時以来、患者さんやその家族を心から信用することをやめました。プロとしては、意識的に「冷めた」考え方をしなければいけないのだということを学んだのです。

しかし、医者になるまでに培った性格や考え方というものは、なかなか簡単には変えられるものではありません。今でも、診療には、かなり気持ちを入れる方だと自覚しています。医師としては熱い方が良いという哲学もあります。

幸い、その失敗以来、大きな失敗はせずにきました。スウェーデンで働き始めても、とにかく、患者さん第一でやってきました。患者さんや家族が望めば、とことん時間を割いて話すようにしています。

しかし、スウェーデンでも、あの苦い経験が蘇るようなことがありました。

少し前のことです。化学療法が無効なタイプの膀胱癌の患者さん。しかも多発性の肝転移あり。もはやお手上げです。約束もなく現れる家族との度重なる面談。その度に1時間以上の話になります。それでも辛抱強く対応していたら、そもそも治療が何もできないことが非難の対象となってしまいました。看護師さんも、「もう、やってられない!」と怒り心頭。私が優しく対応したことで、家族を増長させてしまったかもしれないと反省するとともに、もう20年近くも前の事件を思い出しました。

O氏はほどなく亡くなりましたが、私は今でも、彼の名前や顔を覚えています。彼の妻は、どんな思いで、虚構の発言をしたのでしょうか。追い詰められていたゆえのことに違いないと今では理解していますが、思い出すといろいろな意味で胸が痛くなります。

果たして、自分が、そして自分の家族が再び絶望的な病状となったら、どんな行動をするのだろうか。最後まで筋の通った生き方をしたいものだと思います。患者さんの中には、残された時間が殆どなくなったときでも、切なくなるほど気高い生き方をしている人がいます。この次は、そんな患者さんのお話をしたいと思います。

基礎実験実習指導

カロリンスカには、医学部だけではなくBiomedicineという学科がある。

今日は、この学科の一年生に、基礎実験に用いるテクニックの一つである、UV(紫外線)とinfrared(赤外線)を用いたspectrophotometer(分光測色法)で物質を同定する方法を指導する教官として配属。器械の操作自体は、蛋白濃度やDNA濃度を計測したりする目的で、以前私も使っていたので、難しいことではない。しかし、「何を計測しているのか」という原理になると、突然遠い昔に学んだ、化学や物理の世界になって、しかもそれがスウェーデン語で、「励起光により分子の低いエネルギー状態の電子軌道から高いエネルギー状態になる際に吸収される光、、、。」などということを説明する訳で、、、。

ピペットの使い方を知らない学生さんも多く、まさに、実験における「はじめの一歩」。2-3人が1グループとなって、合計150人。グループ毎に3つの物質を与えられ、それが何であるかを同定する作業。

「この物質、黄色いよね。どうして黄色く見えるの?」

それぞれのグループにこんな質問をしてみる。

「電球の白い光りがこの物質にあたると、黄色の補色にあたる青が吸収されるため黄色く見える。」と正解できるグループはなかなかない。

「将来、何になりたいの?」

こう聞いてみると、驚くことに3割程度が、医師になりたいという。スウェーデンでも医学部に入学するためには、かなり頑張らないといけない。日本と違って、「浪人」というシステムはない。医学部に直接入学できなかった人たちは、他の道のりで医学部へ入学しようとする。そのうちの一つが、この、Biomedicineを経由する方法だ。Biomedicineへ入学するのは比較的簡単だ。そして、ここで学ぶ科目は、医学部で学ぶ科目と重複するため、医学部に編入した場合はその科目が免除されるシステムになっており、結果として殆どロスをしないことになる。

「どうして医者になりたいの?」と聞いてみた。

「お金の心配をしたくない。」「経済的に自立したい。」

どちらも、育ちはスウェーデンだが、両親は移民と思われる10代の女学生さん。

逆に、「医者になって良かったことは?」と質問され、

「多くの職業では、仕事をすることで「敵」が生まれるが、医者はそうではない。全ての人が、同じ目的を目指すことができること」「移民医師として、医学には国境がないこと」

をあげた。

何となく、スウェーデンでも、経済的安定のために医師を目指す人が多くなっているように感じた。

女学生さんの一人は、スウェーデン国内ではなく、ハンガリーの医学部に進むという。ハンガリーの医学部の方が入学しやすいけれど、スウェーデンよりずっと勉強させられるらしい。

と思えば、研究者となることを夢見ている、アフリカからの移民青年。研究者の道は険しいけれど、頑張って夢を追いかけてほしいと思いながら。

生真面目なスウェーデンの青年。教師になりたいのだとか。しかし、教科書が一字一句理解できないのが苦しいらしい。

「大枠を理解することがまず大事。細かいことにこだわっていると、先に進めなくなるよ。」と話すが、かなり煮詰まってしまっている。でも、私もどちらかといえば、そんな性格だったから、理解できる。

先日、友人と言語について話していて、面白いことに気付いた。日本語は漢字を筆頭として、一文字に含まれる意味が大きく、アルファベットの言語に比べて、速く多くの情報を得ることができる。これは、記号と同じこと。

たとえば、この身障者マーク。これだけで、身障者用の駐車場、エレベーター、トイレなど、一目瞭然だ。これを、文字で書いたら、情報を得るためにより時間が必要となる。

脱線してしまったが、日本人が日本語で書かれた教科書を用いて得る、単位時間あたりの知識は、もしかしたら、多言語に比べたら多いのではないかな、と、そんなことを考えてしまった。

普段、病院では10代の学生さんを相手にすることはないが、たまにはこんな授業を担当するのもいいものだ。

月曜日なのに辛いです

今週も月曜日から大きな手術。今日は、上級医と二人で手術しましたが、結局8時間かかりました。

今日はチョコレートをひとかけ、マスクの横から補給してもらいました。

友人に話したら、「NASAが使っているような、宇宙食みたいなのないの?」って言われました。お手洗い休憩についても質問されましたが、手術前にお手洗いに行けば、水分も取らないし、緊張しているためか、お手洗いに行きたくなったことは今までありません。不思議ですね。

今日の手術は、術式として大きなものだったこともあるけれど、何と言ってもおでぶちゃん。先週より更におでぶでした。BMIが40近くて、お腹の皮下脂肪は軽く10cm以上ありましたよ。腸の脂肪など、内臓にも大量の脂肪があって、麻酔科に何度も筋肉弛緩薬をお願いしても、お腹から腸がこぼれ出てくるほどでした。

通常二人で行う手術も、こんなときは、第2助手がいたほうが良い。15時過ぎに何人かに助っ人を頼んだら、みなさん帰宅途中で、誰も来てくれませんでした。日本ならこんなことありえん。

二人で頑張って何とか手術は無事終了。あまりに辛い手術だったので、閉腹が終わった瞬間、思わずその上級医の先生と患者さんのおなかの上でがっちりと握手。

明日も3時間ほどの手術が二つあるので、今日はこのままベッドへ沈没します。

Hot Autumn-辛い秋

Het höst (Hot Autumn)という名の催しものに行ってきました!

辛いものに目の無い私。家には、業務用の巨大タバスコを常備しております。

チリの栽培だけでなく、こんなものも展示されています。

私は、レシピ本を購入。

著者のこの方は、スウェーデン唐辛子協会(!?)の会長さんで、ご本人が会場でいろいろな説明をされていました。

辛さの単位は、scovilleといいます。

辛さの成分はカプサイシン。カプサイシンのレセプターは細胞膜上にあって、カルシウムイオンを通すチャンネルです。カプサイシンで刺激すると熱く感じますが、ミント(メントール)で刺激すると逆に寒く感じますよね。実はこの、メントールに対するレセプターも、カプサイシンレセプターと同じように、カルシウムイオンを通すチャンネルなのです。

カプサイシンレセプターが発見されたのは、1997年。第一報はNatureに掲載されました。

メントールレセプターは少し遅れて2003年。Cellに掲載されました。

カプサイシンレセプターは暑さを、メントールレセプターは寒さを感知し、刺激によってカルシウムイオンを細胞内に取り込みます。
細胞内のカルシウムイオン濃度は通常低く保たれており、この濃度が上下することにより、様々な反応を引き起こします。
ポスドクのとき、細胞内のカルシウムシグナル伝達に関して研究しており、2002年にメントールレセプターの論文が出たとき、興奮してジャーナルクラブで紹介したことを覚えています。

カプサイシンの臨床応用も試みられているので、少し知識をアップデートしてみようかな、などと思いながら、辛い秋を楽しんできました。

高福祉に寄生する人間

昨日の手術で疲れ切った体に鞭打って、職場へ向かいます。首と腕の筋肉痛は、昨日の激務を物語っています。

術後ベッドへ回診。思ったより患者さんは元気そうだったのですが、心筋梗塞、糖尿病、腎不全と合併症だらけの患者さんですので、術後管理は予断を許しません。心配したとおり、尿量が少なく、心不全気味。強心薬のサポートが必要です。スウェーデンでは、一般病棟では心電図や酸素飽和度のモニターや、強心薬などの投与、呼吸器管理などはしないことになっています。その際には、病状によって、一般救急床か集中治療室での管理となり、一日あたり、最低7000クローネの費用がかかります。この患者さんは、集中治療室へ移動させることに。

予定業務の間には、書類の処理に追われるのが日常。その中に、何度も書類の請求をしてくる患者さんの書類が。

30代の彼女は、アフリカの貧しい国から15年以上前に移民としてやってきました。これまでに複数回、帝王切開で出産をしています。最後の帝王切開で、膀胱に少し損傷を受けたらしいのですが、泌尿器科的症状としては、多少膀胱容量が小さいための頻尿。基本的に、健常者と同じような生活ができるはずです。にもかかわらず、病状詳記の書類やら、重いものは持てないことの証明やら、何回も書類を請求してきていて、うさんくさく感じていました。そんなとき、今回は、社会保険庁に提出する病状詳記の書類請求が。要は、「これはできない」「あれはできない」とごねて、仕事をせずに生活補助を受けるか、楽な仕事にありつこうという魂胆がみえみえなのです。スウェーデンのシステムや考え方には、まだあまり自信のない私は、かなり患者さんの希望に沿った病状詳記を書いていましたが、あまりに強引なので、同室で、神経因性膀胱が専門の同僚に相談してみました。そうしたところ、「Nu djävlar! (Goddam!) Fy fan! (hell! Damn!)」とお怒り。私が感じていたとおり、ほぼ普通に生活や仕事ができるはずなのに、福祉システムに寄生しようという典型例のようです。「そんな患者に書類を書く必要なし」とのお墨付きをいただき、溜飲が下がった私です。しかも、スウェーデンに長く住んでいるにも関わらず、彼女、スウェーデン語ができないのですよ。外来受診は通訳つき。勿論、通訳のコストを自分で負担する訳じゃありません。これまで複数の出産をしているので、そのたびに補助が増え、その補助で生活。出産が終わったら、次に補助を得る手段がこれですか。

スウェーデン人であっても、高福祉に寄生する人は沢山いるのですが、ここはスウェーデンで、私は非スウェーデン人ですから、スウェーデン人が自分の国で寄生する分にはまだ納得できます。しかし、このように福祉に寄生する移民・難民をわずか2年の間に多く見てきました。スウェーデンが多くの難民を受け入れていることは評価すべきことですが、低所得であっても高額の税金が課せられるこの地で、真面目に頑張っている低所得者からの税金が、福祉に寄生する難民へ使われることには、憤りを感じます。私が書類を書くことで、このような輩の手助けをすることになるのですから、毅然とした態度で臨まなければ、と心に誓いました。

それにしても、中年の身が回復するには時間がかかりそうです。体が疲れているのに、怒りでアドレナリンが、、、。

今日も早く寝ることにします。

体力・気力の限界

今日は大きな開腹手術。
術者を交代で半分くらいやって、結局10時間近くの手術になりました。
うまくいって良かったけれど、途中にマスクの横から2回ほどストローで給水してもらった以外は食わず休まず。

今まで見た中で最も脂肪のついた大網や、巨大結腸、しかも癒着ばかりの腹腔内。体重の重い方は、手術に際しては良いことは何もないので、ダイエットをお勧めします、、、。
ヨーロッパから日本まで座らずに帰るのと同じ、というより、手術中にときどきやってくる緊張を考えたらそれ以上の負荷です。今までになかったような処置があったし、教える立場にもなったりしたので、もはや崩れ落ちそうです。

こんなときって、お腹は空いているはずなのに、食欲もありません。今日は、気力、体力の限界かな。このままベッドへ参ります。

IVFの父、ノーベル生理学・医学賞受賞!!!

本日11時45分に2010年のノーベル医学・生理学賞受賞者の発表がカロリンスカ研究所でありました。

The Father of the Test Tube Baby

Robert G. Edwards, the 2010 Nobel Laureate in Physiology or Medicine, battled societal and establishment resistance to his development of the in vitro fertilization procedure, which has so far led to the birth of around 4 million people.」



Edwards博士は1925年、イギリス、マンチェスター生まれ。

カロリンスカ研究所から発表された資料からご紹介。

「2010年のノーベル生理学・医学賞は、Edwards博士の「不妊治療における進歩である、IVFの開発」の業績に対して贈られる。現在では、全世界において、10%以上の人間が不妊症を抱えているともいわれる。1950年代にEdwards博士はIVFの治療としての可能性に気が付いた。いかにホルモンが卵巣の機能、卵子の成熟や排卵をコントロールするかという研究が彼にアイデアを与えた。体外で人間の卵子が成熟すること、受精することを初めて示したのは彼である。また、人間の受精卵が体外で初期胚や胚盤胞に成熟することを示したのも彼である。彼の業績の結果、1978年7月25日、午後11時47分、世界で初のIVFによる赤ちゃんであるLouise Joy Brownが誕生した。Edwards博士の研究は、生殖医療を進化させ、今日、IVFのおかげで400万人近い赤ちゃんが誕生している。」

という序文で資料は始まっています。

続いて、「Infertility is regarded as psychologically stressful by most individuals and can lead to depression, social isolation and a lower quality of life.」と、不妊症が精神的に与える苦痛や、生活の質について言及しています。

排卵から着床までを示した簡単な図が示されたあと、不妊治療の進化の歴史が述べられます。

「試験管内での受精については、初めは哺乳類ではない、例えば、海洋生物などで研究された。精子が卵子へ進入する様子は1851年に初めて寄生虫(Ascaris)でNelsonにより報告された。1935年には、アメリカのGregory Pincusが哺乳類(ウサギ)の卵子が体外で成熟することを報告した。1959年にはPincusと同じラボのMin Chueh Changが試験管内で成熟したウサギの卵子が試験管内で受精し胚に成熟することを示した。しかし、当時、精子が卵子を受精させるためには、体内で活性化される(capacitation)ことが必要だと信じられていた。」

「しかし、1963年に、Ryuzo YanagimachiとMin Chueh Changがそれは正しくないことを示した。彼らは、ハムスターの成熟精子が、体内での活性化なしに卵子を受精させ、2細胞胚までとなったことを観察したのである。」

Human invitro fertilization- a monumental challenge

「20世紀の初めに、研究者たちは人間の卵子を体外で受精させることができないかどうか考え始めた。1960年代初めまで、人間の卵子については殆ど研究に進歩がなかった。」

「Edwards博士は1950年代後半、ロンドンで不妊治療法の開発に関わっていた。最初に彼が解決した問題は、IVFに適した成熟した卵子を得ることだった。1965年、彼は、卵子がその成熟過程を開始するためには、体外での24時間の培養が必要であることを発見した。1969年には、ある培養液が人間の精子を活性化させ、受精に貢献することを示した。」

The Breakthrough

「Edwards博士は人間の卵子が体外で成熟することを示したが、2細胞以上まで成熟するこはできなかった。これは、卵子が体外で培養される時間が長すぎるからではないかと考え、今度は、体内で成熟を完了した卵子を使うことを考えた。つまり、排卵する直前の成熟卵子がIVFに適しているのではないかと考えたのである。」

(ノーベル賞審査委員会資料より:受精卵は8細胞胚となる2.5日目に子宮へ移植される)

「彼は、体外から供給される性腺刺激ホルモンにより、卵子の成熟が惹起されることを示したし、卵子の成熟のタイミングなどについても良く理解していた。しかし、次なる問題は、正しい成熟過程になる卵子を十分な数だけ、卵巣から採取することであった。1960年代には、人間の卵子を採取するためには、外科的に卵巣の一部を切除しなければならず、これはIVFには適さない方法であった。1968年にLancetに掲載されたSteptoe博士の「Laparoscopy and ovulation」という論文を読んで、彼はラパロスコピー(内視鏡手術)という新しい技術を知った。これを卵子採取に使えると考えた彼は、Steptoe博士に連絡を取って、1970年には、性腺刺激ホルモンで刺激した不妊症女性の卵巣から、ラパロスコピーで卵子の採取に成功し、これは1970年のLancetに掲載された。同1970年、この卵子を用いて、8細胞胚までの培養に成功し、その成果はNatureに掲載された。これは、体外で活性化された精子が2細胞以上の胚まで培養できた初めての報告であった。」

Fig. 3. Picture of 8-cell stage human embryo resulting from IVF (Fig. 2., in Edwards et al (1970) Nature, vol 227:1307-1309).

「1971年には、これもNatureに、「Human blastocysts grown in culture」というタイトルで、16細胞胚まで培養し胚盤胞を得たことを報告している。これらは全て、EdwardsとSteptoeの共著である。」

「1970年代に、EdwardsとSteptoeは、100例以上の症例で妊娠反応陽性を経験したが、ホルモン治療した女性においては、胚の着床障害が生じ、つまり、自然流産となることに気づいた。また、1976年の最初の妊娠例では、子宮外妊娠となってしまった。EdwardsとSteptoeは治療過程における、ホルモンによる卵巣刺激をやめることを決断し、1周期あたり1個の卵子しか得られないにもかかわらず、患者の自然周期に任せることとした。尿中の黄体ホルモンを計測することで、排卵直前のタイミングで、卵子を内視鏡下で採取することにしたのである。そして、1978年、世界初めての体外受精ベビー(試験管ベビー)が誕生したのである。」

Fig. 4. A copy of the Letter to the Editor in Lancet (1978) 2:366, documenting the birth of the first IVF baby, Louise Joy Brown.

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=pqu8Y4XGFK4[/youtube]

Further developments of IVF

Louiseが誕生したあと、EdwardsとSteptoeはケンブリッジのBourn Hallに不妊治療クリニックを設立した。Bourn Hall Clinicでは、1983年までに139名、1986年までに1000人の赤ちゃんが体外受精により誕生している。今日では400万近い赤ちゃんが全世界で誕生している(スウェーデンでは新生児の3%が体外受精治療で誕生しているとのこと。)。

Further medical developments

「その後、様々な技術革新がなされた。1984年には経膣超音波ガイドによる卵子採取法が報告され、全世界に広まった。1983年のNatureには「Human pregnancy following cryopreservation thawing and transfer of an eight-cell embryo」というタイトルで、8細胞胚の凍結が報告された。PGD(preimplantation genetic diagnostics)といって、両親からの遺伝疾患を子供が受け継ぐ危険を減らす目的で、着床前診断の手法も開発された。」

(1991年には、Intracytoplasmic sperm injection (ICSI)も開発されました。)

Health status offspring conceived through invitro fertilizatoin

「IVFにより出生する子供の健康状態についても、いくつもの報告がある。多胎問題は大きな問題であり、ヨーロッパの多くの国では、強制的、自主的に、「単一胚移植」を奨めており、多胎は劇的に減っている。しかし、未熟児出産の確率は、通常妊娠と比べて2倍と大きく、これは、母体の高齢化とともに、不妊の原因となるバックグラウンドが影響しているものとみられる。Beckwith-Wiedemann SyndromeやAngelman Syndromeの発生が多少多いことが知られている。外科的治療を必要とするような重篤な奇形の増加も報告されているが、十分検討されたものではない。

Ethical considerations

Edwardsは研究の初めから、研究が孕む倫理問題については検討しており、弁護士であるDavid Sharpeと共に論文も発表している。IVFの研究を始めた当初は、宗教団体や科学者からの批判も多くあったようである。」


Conclusions

私が訳すると、本文から受ける感動が薄れてしまうので、原文を載せます。

Robert G. Edwards has developed a method to treat human infertility. This discovery represents a monumental medical advance that can truly be said to confer the “greatest benefit to mankind”. Human IVF has radically changed the field of reproductive medicine. Today, 2-3% of all newborns in many countries are conceived with the help of IVF and many individulals that turn to an infertility clinic can be helped. IVF has also opened up new ways to treat many forms of male infertility. The development of IVF recognized by this year´s Nobel Prize Physiology or Medicine has touched the life of millions of infertile people, giving them an oppotunity to have children.

(Christer Höög, Professor of Cell Biology, Karolinska Institutet, Stockholm, Member of the Nobel Assembly)

関係者の話によると、審査委員会で採決されたのは、今日の朝。史上でも最高のノーベル賞だという自負があるようです。

ノーベルの遺書によれば、「人類の益となる研究」に与えられる賞であり、確かに、素晴らしい選択だと思います。

iPS細胞研究はIVF研究の流れを汲むため、山中先生の受賞は数年先送りになるとの予測。

IVF治療の将来は、未受精卵の凍結や、凍結未受精卵からの妊娠の確率が上がって、若い女性が積極的に未受精卵を貯金ならぬ「貯卵」するのではないかと、私は思っています。スウェーデンに住んでいると、キャリアのために出産を先送りにしなくても済むようなシステムがありますが、日本では後進国も良いところ。出産をしても、そのあとキャリアに邁進できるチャンスのある社会や、出産・子育てをしながら働ける環境、システム。男性、女性、両性の意識。どれをとっても日本はまだまだです。そんな社会で女性が頑張るためには、「貯卵」でもして、体内時計に心を痛めなくても良い状況を作るようになっても不思議ではないと思います。


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