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ノーベル賞授賞式

ノーベル授賞式の日を、振り返りたいと思います。写真は、iPhoneでの撮影がさほど綺麗でなかったため、新聞などから拝借。

招待されるとは思っていなかったので、当日午前中は外来診療が既に入っていました。外来診療を済ませて帰宅。また、着用予定だったドレスはネットでオーダーしていましたが、結局間に合わなかったため、手持ちのドレスの中から急遽選ぶことになりました。ドレスコードは、女性はイブニングドレス、男性は燕尾服と決まっています。 私のドレスは、プレーンな黒のロングドレスだったため、大きめのバロック真珠のネックレスとお揃いのピアス、真珠のリングと、普段は使えない大きめダイヤのリング、大好きなカルチェのドレスウオッチを合わせました。

生憎の小雨模様、コンサートホールは美しくライトアップされて、リムジンが並んでいます。青いナンバープレートは外交官プレート、その中でも、1Aで終わるものは、各国大使のナンバーです。大使に限り、コンサートホール前に駐車でき、コンサートホールの周辺の車の進入は完全に閉鎖されます。

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授賞式は何回も出席していますが、今回は初めて舞台近くの席に着席しました。

通常、王族メンバーは全て壇上に座るのですが、今年は国王、王妃、皇太子ビクトリアとダニエル王子の4人だけで、カールフィリップ王子とフィアンセのソフィア、マデレーン王女と夫のクリスは壇下の最前列に座りました。

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ビクトリアの真紅のドレスはとても素敵でした。しかし、エキスパートからクレームがついたとか。この点は後ほど。随分、痩せてしまっていて(実物はもっと痩せて見えました)少々心配になりました。

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日本から受賞の物理学賞の3氏については、すでに良く知られているため省略。

カロリンスカに選考委員会のある生理・医学賞は、脳に存在するGPS細胞の発見に。

ノルウェーから、Moser夫妻。

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彼らは大学時代の同級生。かれこれ30年一緒にいるそうです。写真は若き日の夫妻。

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彼らのラボには100人以上のメンバーがおり、受賞の知らせに大喜び。

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彼らには医学部に通う二人の娘がいます。

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授賞式には、ニューロンをイメージした大胆な模様の入ったドレスで。

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大学の同級生が、仕事でも家庭でも同志として30年、愛の結晶はノーベル賞と二人の娘。こんな幸運はまずあり得ませんね。

化学賞は、次の3人。

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ペア受賞ではありませんが、右手のBetzig氏の妻は、彼のリサーチグループで働く研究者Na Ji

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晩餐会の席順は小冊子に印刷されているのですが、名前とタイトルが記載されています。日本からの受賞者のパートナーはタイトルなし(妻という記載のみ)なのですが、海外の受賞者や、招待客は夫婦ともにタイトルがある場合が多く、日本では未だに男の成功の陰には家庭を支える妻が必要なのだなと感じました。ちなみに、晩餐会では各賞から代表で一人ずつ挨拶があるのですが、物理賞は中村先生でした。そして彼のスピーチの中で、「Thank you for letting me work hard」という言葉が、会社や同僚、家族に対して投げかけられ、聴衆の笑いを誘っていました。きっと、非常に日本的で、殊に、プライベートを大切にするスウェーデン人には、理解できないと思いました。

授賞式のあとは、晩餐会の一般招待客は青いSLバスに分乗して市庁舎へ向かいました。

STAP騒動に幕

今年の1月、Natrueに発表されたSTAP細胞に関する論文。発表された日から注目していました。カロリンスカでも、ノーベル賞に値する発見かどうかという噂話をしている人たちがいました(もっとも、選考委員会に近い人たちの意見は、「既にstress-induced multipotential cellが報告されているし、無理だろう。」といった感じでしたが。)。

「リケジョ」などの新語を生むなど、日本では一大センセーションを巻き起こし、小保方氏は一躍、時の人となりましたが、一方、論文の発表直後から、論文の信憑性についての議論が始まりました。

小保方氏が、「してはいけないという認識がなかった。」とした、電気泳動のバンドの切り貼り。

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蛋白実験や遺伝子解析を扱う研究をしたものであれば、これだけでアウトと考えるのが自然なのではないでしょうか。私もその一人として、そう思いました。全てのレーンが論文掲載に堪え得るクオリティのものが得られるまで、何十回でも、何百回でも繰り返すのが常識。それがNatureのようなトップジャーナルであればなおさらのことです。

 

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STAP細胞は体細胞由来の細胞から簡単に万能細胞が作製できるという点が売りであるため、STAP細胞には、体細胞で見られるべき、「T細胞受容体遺伝子の再構成」がある必要性がありましたが、この点が覆ってしまったため、共同著者の若山教授から論文撤回の呼びかけが3月にありました。

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その他も、博士論文からの複数の画像の流用や、実験方法の部分における、他論文からのコピペなど、お粗末としかいいようのない捏造疑惑が次から次へと明らかになります。通常の科学者であれば、もはや論文撤回は当たり前、呆れを通り越して怒りさえ覚えたのではないでしょうか。その中で、日本の誇れる研究者である笹井氏が、小保方氏を庇い続けたのは不思議でした。カロリンスカでも再生医学の分野では良く知られていた笹井氏は、将来、ノーベル賞を取る可能性もあるとされていたようです。ノーベル賞を取るためには、優れた科学者であるだけではなく、類まれな運を持っていなければなりません。言い換えれば、天才と言われるまで優れている必要はないけれど、強運がなければいけないと言えるかもしれません。そういった意味では、笹井氏は天才的な研究者だったようです。そして非運、悲運の。iPS細胞では、当時、世界中の多くの研究者が同じ手法でiPS細胞の作製を目指しており、iPS細胞の作製に成功しノーベル賞に到達することは時間との競争で、新しい発想が必要だった訳ではありません。つくづく運命とは皮肉なものだと思わざるを得ません。

そして、今年の8月5日。悲劇は起こりました。天才的研究者、笹井氏の自殺。遺された複数の遺書から、知られていなかった真実が明らかになるかとも思いました。「小保方さんのせいではありません。」「STAP細胞を証明してください。」「新しい人生を歩んでください。」などの表現を目にしたとき、私は、彼は彼女を本当に大事にしていたんだな(愛していたんだな)、と思いました。STAP細胞がないことはすでに彼は知っていたはずなのに。理研内では、映画「ボディーガード」で、ホイットニーヒューストンを守るケビンコスナーを気取っていたそうですが、自分の死に際しても、彼女を守ろうとした、、、、。笹井氏には妻子もいたようですから、人目を憚る関係であったのでしょうが、研究所では大手を振っての同志。研究の道に足を踏み入れた女性が、天才肌の研究者に恋し、男盛の研究者が、日夜傍にいて研究に邁進する妙齢の美しい女性に心を奪われるのも不思議ではない、というより、そうならない方が不思議です。また、笹井氏ともあろう人が、STAP細胞が存在しないことや、小保方氏が研究者として稚拙であることを、認識しなかったはずがありません。少なくとも、論文がpublishされたのち、様々な疑惑が沸き起こったあとは。勿論、ことの始まりは、殊に、iPS細胞に再生医学研究におけるひな壇をさらわれたことなどの研究者としての焦りなどがあったのかもしれませんし、故に研究者としての能力を見抜くことは難しいことではなかったはずなのに、目くらましにあってしまったのでしょう。

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そして大方の想像通り、STAP細胞の存在は証明されることなく、検証実験は終了。小保方氏が200回以上作製に成功したのはES細胞だったのでしょう。小保方氏は退職。野依氏を冠する理研らしい幕引きです。

小保方氏の研究者としての将来がないのは自明です。多量のコピペが発見された博士論文であるにもかかわらず、早稲田が彼女の博士号の撤回を決定しないのもおかしな話ですが、捏造論文で教授職を得ても、教授職に留まることのできる日本ですから、所詮、そんなものなのかもしれません。

 

自己責任とはいえ、小保方氏に出会ったことが悲劇の始まりとなり、自らの命を絶った笹井博士。日本も世界に誇れる研究者を失いました。悲しいことです。Nature blogも笹井博士の死に際してコメントを出しました(記事)。

JAPAN-STEMCELL-RESEARCH-SCIENCE-SCANDAL

彼の死を止めることはできなかったのか。私が小保方氏で、本当に彼を愛していたなら、「捏造は全て自分がやった。彼の責任ではない。」と言ったと思います。そして、おそらく、それが真実だろうと思います。研究者でない人は、「彼は指導者なのだから、彼女の不始末は彼の責任。」と軽々しく言いますが、何千という実験の全てをコントロールすることは、指導者であっても不可能に近いことです。このあたりの事情は、やはり経験者にしか理解できないのか、非研究者と研究者、文系研究者と理系研究者、また、理系研究者であっても、同じような実験系を使う研究者と使わない研究者とでは、意見が異なっているのが印象的でした。

 

私の気持ちに近い記事を発見したので、リンクを貼っておきます。週刊現代という雑誌がどういう雑誌かは知りませんが、バランス良く(私の好みに)書かれているような気がします。産経のこちらもおすすめです。

最後に、、、。小保方氏が確信犯であったのかどうか、ずっと想いを巡らせてきました。小保方氏が全くのおバカさんで、自分の間違いに気づいていなかった。あるいは、確信犯であった。私の結論は、後者です。おそらく、大学時代に始めたコピペなりの小さな不正が想像以上に有効で、その成功に味をしめ、不正を繰り返した。そして、その不正は徐々に膨れ上がり、後戻りできなくなってしまった、、、。

笹井氏の死という大悲劇をもたらしたことで、彼女が少しでも後悔してくれていることを祈ります。

ノーベル賞晩餐会のメニュー

いつもながら、記事を更新できるのがいつになるのかわからないため、簡単なところから。

今年のメニューは例年に比べても評判が良かったのではないかと思います。

 

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主賓テーブルは80cm幅ですが、それ以外は60cmですので、多少窮屈な感じは否めませんが、オレフォッシュのノーベルのセットがとても美しい。右上のマテイーニグラスがシャンパングラスとして使われます。蓋つきの器の中には、前菜が既にサーブされています。

 

今年のメニューはこちら。

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前菜は、カニと野菜のゼリー寄せに、カリフラワーのスープをかけたもの。

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実はスープが掛かっていない方が美しいのです。

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スープはオマールエビのスープのような濃厚な味。カニがプリプリしていて、とても美味しい。

 

メインは鹿のステーキ。これは絶品でした。付け合わせのマッシュポテトの上にカリカリにローストされた玉ねぎが掛かっているのも、素晴らしく美味しかった。

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デザートはお決まりの花火と共にサーブされます。

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絵のように美しいデザート。サフランのパンナコッタが美味しかったです。

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コーヒーとともにコニャックもサービスされたのですが、翌日大手術があったので我慢。

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とはいえ、最初の極上シャンパンでほろ酔いご機嫌な私。

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授賞式、(食事以外の)晩餐会については、また改めて。

3年前の今日

3年前の今日、この街にいました。

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街はクリスマスのイルミネーションで美しかった。

数日前に、12年前に抗癌剤治療を受ける前に採卵した未受精卵で出産したというニュースが報道され感動したのですが、実はこの方が採卵したクリニックは私が通っていた西新宿の加藤レデイースクリニックでした。世界に誇れるこのクリニックの凍結技術を取り入れたクリニックに知人の医師が務めていた関係で、不妊治療をお願いすることにしたのですが、彼女に凍結胚盤胞を2つ移植してもらったのが、3年前の今日。3年前には1ミリ以下の大きさだった胚盤胞が、今日の双子に成長してくれました。

涙なしには語れない不妊治療の長い旅。双子に恵まれた今でさえ、思い返すたびに心の古傷が痛むのは不思議。

とても感慨深いです。

最近の双子の成長

双子は、お腹の中にいたとき、そして生まれてからこれまで、同じような環境にいたにも関わらず、性格が全く異なります。

子育てをする上で、遺伝よりも環境が重要だと考えている私でさえも、子供の性格というものは、お腹の中にいるときに、すでに最初のフォームが決まっているのだなと考えざるを得ません。

「わたし」は、「ぼく」よりも少々大人。「ぼく」に好きなものを譲ることができます。「ぼく」が「わたし」の持っているものが欲しくて大泣きしていると、そっと渡していきます。そして、「ぼく」が散らかしたものを、片付けるのも「わたし」。こぼしたミルクをみれば、テイッシュを取りに行って拭いてくれたり。母が扉などを閉め忘れていると、閉めてくれるか、自分で閉めることができない場合は怒って、閉めろと騒ぎます。

「ぼく」は、とても社交的。知らない人にでも、どんどん「Hej!」と挨拶をします。宅配のお兄さんにも、「Hej!」と「Hejdå」を欠かしません。「わたし」は「ぼく」の後ろに隠れています。それなのに、お掃除ロボット、ルンバは大嫌い。ルンバと聞くだけで、大泣きします。「Elias är rädd(エリアスはルンバが怖い)」と言います。パパママに怒られて大泣きするのも「ぼく」。とても繊細な男の子です。怒られたあとは、必ず、「嫌われていない」ということを確認したいのか、ハグを求めてきます。そして、母の服で鼻水を拭く。これがお決まり。

それでも、遊びのイニシアチブを取るのは、「ぼく」。「ユリア!Kom!(おいで)」と叫んで走っていきます。

双子は「おばけのラーバン」、「FindusとPettersson』、「Lilla Anna 」「Alfons』などのスウェーデンのアニメや、「となりのトトロ」、「魔女の宅急便」、「崖の上のポニョ」などのジブリ作品が大好き。多分、「ぼく」の初恋の相手はポニョだと思います。魔女の宅急便のイントロで、ルージュの伝言が流れると、二人とも踊り出します。一回だけでは済まずに、「もっと、もっと」と巻き戻しをせがんで、延々と踊っています。「しまじろう」に出てくるパンダも大好き。「ぼく」の感情移入はとてもすごくて、いちいち感情を込めて解説しています。例えば、燃える火を見れば、「varmt!  あついあつい!」と。殆どがスウェーデン語ですが、ところどころ日本語の単語が入ります。日本語は生憎、圧倒的に劣勢ですが、「わたし」は少し興味があるのか、母の言葉を良くリピートしています。

夜はすぐに寝付く「わたし」を先に寝かせるのですが、体の部分を日本語で言ってみたり、歌を歌ったりしているうちに、10分くらいで寝ついてくれます。「ぼく」の寝かしつけは大変。ベッドの上で飛んだり跳ねたり。お腹の中にいたときも、「ぼく」はどんどん動いていましたが、「わたし」は殆ど動かなかった。最悪、2時間くらい寝るまでにかかることもあります。まだ親と一緒の部屋に寝ているので、そろそろ子供部屋に移さないとと思っているのですが、子供部屋が荷物置き場となっており、それを片付けるには、まとまった休みが必要。

保育園は二人とも大好きです。毎日、喜んで通っていて、バイバイも全く涙なし。この8月から大きな子供のグループに入りましたが、2歳児は3人だけ。3歳児がいなくて、4歳児と5歳児です。「ぼく」はもう一人の2歳児の男の子と遊んでいて(お兄ちゃんたちには混ぜてもらえない)、「わたし」は逆にお姉ちゃんたちのお気に入りで、4−5歳児と遊んでいます。「わたし」はお友達の名前を全部覚えていて、しかも、お友達のパパやママがお迎えにくると、誰のパパかママかもわかっていて、「xxちゃんはどこにいるよ。」と教えてあげているようです。スウェーデン人なんて皆、同じような顔に見える私には、仰天の才能。写真は、最近保育園で撮影した集合写真。「わたし」は一人一人指差して、全員の名前を教えてくれます。

 

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母の願いは、健康で優しい人間に育ってくれること。そして、今のところ二人とも、喘息気味であるくらいで健康には問題なく、そして、思いやりのある子に育ってくれています。喧嘩もするけれど、二人はとても仲良し。片方の姿が見えないと、片方が心配します。片方が泣いていると、片方がハグしにいきます。どこかに頭をぶつけて泣いていれば、ハグして、頭をフーフーして、なでなでしています。母はそんな二人の姿をみるだけで、胸がキュンとなり、涙がこぼれそうになります。母が「痛い」と言っても同じ。ハグしにきて、フーフーしてなでなでしてくれます。「わたし」が母に何か痛いことをしたときには、「Förlåt, mamma.(ママ、ごめんなさい)。」とまで言ってくれます。そして、とどめの一言は、「Jag älskar dig, mamma! (ママ、愛してる!)」。写真は、上と同じ日に撮影した個人写真。姉弟写真の試みもあったのですが、「わたし」が拒否したらしく、撮影ならず残念。

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次の写真は、丁度1年前に保育園で撮影したもの。「わたし」は母と日本へ帰国中だったため、写真はありません。一年間で、ずいぶんしっかりした顔になりました。

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来週は、母はスウェーデン社交界デビューです。というのは冗談ですが、ノーベル賞の授賞式と晩餐会に参加してきます。思いがけず招待状が届き、日本人3人が受賞という偶然もあり、出席することにしました。しかし、翌日は手術日、また、双子を家に残したままダンスまで踊る気分にはなりませんが、晴れの晩餐を楽しんできたいと思います。メニューが、楽しみです。

 

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日本よりタチの悪い男女不平等なスウェーデンの外科医社会

コメントのお返事もせずに、失礼しております。

タイトルの通り、あまりにひどい職場の男女不平等な状況と戦っています。

スウェーデンが男女平等な理想郷だと信じている方には、ショックなタイトルかもしれませんが、

少なくとも、女性患者さんを扱う乳腺外科と産婦人科以外の外科では、女性医師に厳しい環境であるようです。

専門医前の若い女医さんはその限りではありません。男性のライバルになるような女医さんのことです。

あまりに未熟な男が多すぎるのですね。男性ボスが外科医として優秀であるだけでは不十分。人間として成熟していない男性のもとでは、男女平等はありえない。しかも、日本よりたちが悪いのは、男女平等といいながら男女不平等。ヒエラルキーがないといいながら、ヒエラルキーの上にいる人間は権力行使する。まさにダブルモラルが醜すぎます。

書くことは多いので、またの機会に。

今週は、女性外科医の会で、日本の医療について話す予定なのですが、スウェーデンのダブルモラルについても、さらっと指摘してくるつもりです。

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2014 Nobel prize in physics to tree Japanese!!! LED!!!

 

Congratulations!!!

 

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わたしがブログを書く理由

匿名に近い形で始めたこのブログも、現在ではほぼ実名で書いているようなものになりました。

 

初めは、情報や意見の発信をしたいと思っていましたが、意見を発信すればときに炎上することを経験しました。それでも続けようと思っている訳ですが、ブログを書く上での最も大きなモチベーションは、子供たちに伝えたい歴史や人生に対する向き合い方を記録として残したいということです。ですから勿論、ブログを公開しなくても良いのですが、公開することによって継続することに強制力がかかること、また、いろいろな方との交流ができることは、とても意味のあることだと感じており、現在のところは公開のままにしておこうと考えています。

 

高齢母であることは欠点ばかりではなく、長所も沢山あると思っています。キャリア形成の上でも若い親世代に比べれば時間的にも精神的にも余裕がありますし、年を取っているだけ人生経験も豊富です。若い頃に比べれば忍耐力も格段にあり、子育て初心者ながら、鷹揚な子育てができているように思います。ときに、おおらか過ぎるのではと思うくらいです。一方、大きな欠点は体力の低下です。殊に、私の場合は、父親が車椅子生活をしているため、母親である私が父親役をこなさなければならないことも多く、精神的にも体力的にも辛く感じることがあります。しかし、それ以上に辛いのが、実は「死への恐怖」です。子供に恵まれる前は、死ぬことを恐れていませんでした。子供たちが独り立ちするまで何とか頑張って生きよう、生きたいと思っていますが、こればかりはわかりません。超高齢母ですから、「孫の顔を見たい」などということは考えていませんが、子供たちが自分の力で生きてゆけるようになるまでの寿命が欲しいと思っています。それでも、もしかしたらそうなる前にはかなくなるかもしれないと思うことがしばしばあります。考えるだけで恐ろしい。しかし、もしそうなったら、私の生き様を知る手だてを残しておきたい。子供たちが、どれだけ望まれて生まれてきたのか。生まれてくるまで、どんな苦労があったのか。今では、自分の命よりも大切な二つの小さな命。母はどれだけ子供たちを愛していたのか。

 

何だか、書いていて涙が出てきてしまったので、この辺でやめておきます。

子供たちにブログを読んでもらうためには、双子の日本語教育も頑張らなければいけませんね。日々口数の多くなる双子ですが、日本語は限られた単語だけで、文章は完全にスウェーデン語。日本語のDVDを利用してもいますが、日本語は圧倒的に劣勢です。職場では考える暇もなく怒濤のようにデューティーをこなし、急いで帰宅。間に合う場合には保育園のお迎え。夕食の準備。掃除。入浴。寝かしつけと、座る暇もなく時間は過ぎます。日本語教育を考える余裕などありません。DVDに頼っている不出来な母なのでした、、、。

歴史的酷暑に、手術蜂に、そして双子魔の2歳という夏

今年のスウェーデンの夏は、歴史的猛暑でした。連日30度を上回り、、、というと、日本に比べたら大した気温ではないはずなのですが、何しろスウェーデンの住宅は基本的にクーラーがついていません。自宅のリビングは西向きで、リビングに続くテラスの気温は上がる一方。

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室内、29.9度、テラス40度。これが続いては、たまったものではありません。扇風機を買いに走りましたが、全ヨーロッパ的に売れ切れだということ。湿度の低いことがせめてもの救いでしたが、、、。

 

この夏は、7月に1週間、8月に1週間お休みを取りましたが、基本的に働いていたため、5週間、6週間と続けて休暇を取る同僚が多い中、人手不足の現場でてんてこ舞いでした。私をトップにして、下が専門医を取って1、2年ほどの先生しかいないときなどは、毎日基本的に私が大手術を担当していました。そういうときに限って、骨盤壁にまで浸潤した膀胱癌の膀胱全摘などがあったり、外科のお手伝いで夜間の手術が続いたりしました。せめての救いは、現在ベネズエラからの優秀なフェローがいるのですが、彼が助手をしてくれたこと。それでも、メスは私が握っている訳で、最終責任は私にあり、誰も頼れる人がいないという毎日は辛いものがありました。そして、オンコールも複数回。オンコールは自宅待機ができますが、電話での会話だけで重大な判断をしなければならないこともあり、始めた当初は気分の良いものではありませんでした。やはり、患者さんを診察して判断を下した方がすっきりしますが、これもコストの問題ですから仕方がありません。仕事が済んだら家へ直行。ひたすらやんちゃな双子の世話をして、座る暇もなく双子が寝るまで。

 

そんな夏、無事に双子は2歳の誕生日を迎えました。

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壁に掛けてあるマリメッコの生地の後ろにかくれんぼのつもり。「頭隠して、、、。」とはまさにこのことです。

 

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テラスにビニールプールを出して水遊び。こんなに表情豊かに、大きくなりました。

おしゃべりも沢山してくれるようになりました。子供の成長の早さ、脳の柔らかさには驚かされます。

 

ブログを開く時間もない毎日ですが、もう少したびたび更新できたらいいなと思っています。

車椅子30周年記念

いつもいつもご無沙汰してしまいます。

一つ前のエントリーでは、意地悪なコメントもありましたが、掩護射撃も頂いており、とても嬉しく思っております。お返事が遅くなっておりますことを、お詫び申し上げます。

 

このブログでは、私の敬愛する人生のパートナーについては、殆ど触れておりません。それでも、多少見え隠れしていたように、彼は脊髄損傷を負っており、車椅子での生活をしています。そして、もうすぐ受傷してから30年が経とうとしています。彼のアドバイザーでもあり、友人でもあるClaesは、ストックホルム脊髄損傷センターを立ち上げた医師であり、自身も車椅子生活を送っていますが、Claesと私のパートナーは数時間違いで脊髄損傷を負ったといういわくがあります。同じ日に受傷した脊髄損傷患者3人を取材した記事が、今日のDNに掲載されました(記事)。

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私が最初にパートナーに出会ったのは、私がポスドクとして働いていたときで、彼は大学院生でした。彼とは、Cellにアクセプト寸前までいった論文の筆頭著者争いもしました。彼の人生に対する考え、想像を絶する努力、他人への思いやり、そして、どんなときも消えることのない明るさは、私の人生を根底から揺るがすほどのショックを与えました。勿論、異国へ移住し、しかも、車椅子生活の人をパートナーとして生きてゆくことを決意することは、決して容易なことではありませんでした。しかし、人間としての彼への尊敬の念、そして、彼が表現してくれた私への大きな愛が、私を清水の舞台から飛び降りさせました。

 

これまで何年も続けてきたブログの中で、自分の哲学や考えを表現しさえしなければ、意地悪なコメントを受けることもないであろうことはわかっていますが、やはり、表現するからには、自分の人生を表現したい。そして、今回、この記事が出ることをきっかけに、今まで語ってこなかったパートナーの紹介をしてみようと思いました。きっと、異なった切り口から、今までの私とは違った、あるいは、今までの私をサポートするような印象を与えることができるであろうと。

 

今日のDNの記事は勿論スウェーデン語ですので、パートナーと、特に近い友人であるClaesに関する部分を訳してみました。ご興味のある方はどうぞお読みいただければ幸いです。

 

5月のその日は暖かく太陽が輝いていた。Claes Hultlingは結婚式を3週後に控えていた。彼は完璧なダイビングをしようとした。水面下には石が隠れていた。彼の頭はその石に命中し、首から下が麻痺してしまった。

それから数時間後、Per Uhlenは友人からオートバイを借りた。どれだけ早く走るのか試してみたかった。加速したまま、速度計を見ていた。彼がカーブにさしかかったのに気付いたときには、既に遅かった。道路から吹き飛び、Claesと同じような障害を負った。

同じ夜、Magnus Krossenは学生のパーテイーからの帰り道、後部座席に座って寝ていた。運転手も眠りこけ、車は回転した。シートベルトをしていなかったMagnusは頭を強打し、すぐに何かがおかしいことに気付いた。しかも、以前彼は脊髄損傷を受傷して麻痺していたのだ。

Claes、MagnusそしてPerが脊髄損傷を受傷してから、明日で丁度30年になる。それゆえ、3人の中年男性はストックホルムで、それを祝う夕食を共にする。あの5月のその日、命は終わっていたかもしれなかった。

「私がオートバイで森の中へ吹き飛んだのは、14歳のときでした。」とPerは言う。「友人が私を探していたとき、私は一晩中森の中に転がっていました。最後に犬を連れた人がやってきて、救急車を呼んでくれました。」

Mora病院に入院したのち、PerはUppsalaで手術を受けた。そこで7ヶ月入院して、リハビリをした。

「事故から数週間後に、私は戦うことを決めました。まだ若かったから、そう考えるのも易しかったのかもしれません。自分の手だけで車椅子生活を送ることができるために、何でもしました。もし、45歳で受傷したら、体力的にも精神的にも回復するのは難しかったかもしれません。」

Perが言ったことの中で、印象的だったのは、次のことだ。

「もし、脊髄損傷を受傷しなかったら、車椅子に座っていなかったら、現在ほど幸せにはなっていないだろう。」

退院後、Perは継続してバンドを続け、16歳で運転免許を取得し、そして、友人たちはいつも近くにいた。

ラジオの修理工として働いた後、PerはKomvux(成人学校)で学ぶことにした。彼の夢は、civilingenjörになること。ストックホルムのKTH(王立工科大学)に入学し、核物理を専攻した。その後、小児疾患と細胞生物学の分野で研究を続け、2002年にPhDを取得し、アメリカのYale大学でポスドクとして働いた。

現在、Perはカロリンスカ研究所の准教授として、自身の研究グループを率い、幹細胞や癌に関する研究をしている。妻との間には、7月に2歳となる双子がいる。

「事故なしには、そして、車椅子なしには、私の現在は無かった。事故に遭ったことは、私を世界へと押し出してくれた。例えば、2回のパラリンピックでスウェーデンチームのキャプテンを務めたし、アメリカで働くチャンスも得た。」

Perはもともと人生に対してポジテイブであった。

「問題よりも可能性に注目する。」と彼は言う。

「病院で既に、孤立しないようにすると決めた。以来、親友のNiclasは常に側にいたし、一緒にバンドを組んでいた。彼は病院へお見舞いにきて、病院で寝ることもあった。周りの支えはとても大切だった。」

 

 

(中略)

 

Claes Hultlingはダイビングで首を損傷したその暖かい5月の日には、Magnusより数歳年上だった。彼は既にカロリンスカ大学病院で麻酔科医として働いていたので、受けた損傷が重篤であることは理解できた。受傷のあとすぐに、彼は前を向いて生きていくことを決めた。そして、その考えは、頭が石に命中した30年前から今まで、彼の生き方に強く影響している。

「勿論、脊髄損傷患者には、尿失禁や便失禁といった症状を持つ人もいる。また、強い痛みを感じる人もいる。痛みは、私が望まない最悪の敵だ。しかし、私は自分で動く力もあるし、集中することもできる。これまで私は活動的な人生を生きようとしてきた。セーリングも好きだし、シドニーのパラリンピックにも参加した。」

ダイビングでの事故以来、Claesは脊髄損傷患者のリハビリのために人生を捧げてきた。医学生だった頃、彼は将来の妻に出会った。妻との間には息子が一人いる。脊髄損傷患者がIVFによってパパになった世界で初めてのケースだ。

「20歳代に受傷した脊髄損傷患者のやる気を起こさせるのは難しいのです。多くがクライシスと感じ、人生は空っぽで真っ暗だと思うのです。楽観主義を戻す簡単な処方箋などありません。‘結局は何とかなるよ’などという、軽い慰めなど、役に立たないのです。」

Claesは言う。300万クローネを当てればとても幸せになるのかもしれないkれど、3、4年後には、その幸せのレベルは元に戻ってしまうという研究成果がある。

「脊髄損傷患者は、受傷直後にはとても不幸せです。しかし、数年後には気分は良く、幸せだとも感じています。そして私もそのうちの一人です。」

 


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