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愚痴ってもいいですか?

今週はペダゴギーのコースに出席することになっています。

全くもってつまらないとはいわないけれど、やる気が出ないコース。

今日は愚痴らせていただきます。

一つ目。久し振りに車で帰宅。車庫の前に積もって硬くなっていた雪の山に気付かず、やってしまいました。ごりっと。前方から車が来ていたので、いつもより右寄りで右折してガレージに入ろうとしたのです。後方ドアの下方に傷が、、、。車を傷付けたのは15年ぶりくらいで2度目。何だかものすごくへこんでしまいました。とほほです。

二つ目。

車を傷つけたあと、何もやる気がおきずに、今年更新予定の日本泌尿器科学会専門医に必要な点数を計算。学会参加などが主に点数となり、5年間で100点を集めなければなりません。以前は、誰かに学会の参加証だけ買ってきてもらって(といっても2万円くらいかかります)、参加証を集めればよかったのですが、最近は、IDでコンピューター上で自動登録するようになっているため、実際に会場に行かなければなりません。論文も点数になりますが、いくらインパクト・ファクターの高い雑誌に筆頭著者で投稿しても5点にしかならないのに、日本泌尿器科学会雑誌に掲載されれば、倍の10点。学会も、世界で最も大きな泌尿器科学会であるヨーロッパ泌尿器科学会やアメリカ泌尿器科学会に参加しても3点なのに、日本で行われる日本泌尿器科学会総会では20点。明らかに、お金集めが目的としか思えず、非常に腹が立ちます。しかも、学会に参加して点数を集めたからといって、泌尿器科医としての技量が十分かどうかという証明になる訳ではありません。

海外に留学などで出ている場合には、更新期間が1年延長されるのですが、何と、最も古い1年分の点数は対象にならず、新しい5年間分での計算に。これでは、海外に出ていて、点数が集めにくいことを補うことにはなりません。何と思慮に欠けるシステムか。

今のところ帰国の予定もないので、日本の専門医なんてやめてしまおうか、とも思いましたが、この5年間は毎年2万円の会費から、学会のためにわざわざ帰国して、交通費を払って会場へ行き、参加費を払うということを何回かしておりますので、今回は更新予定。ということで、不足分の点数を得るために、来月、名古屋で行われる、「日本泌尿器科学会総会に出席するためだけ」に、日本へ飛ぶ予定です。

とはいっても、常々親不孝をしておりますので、親にも顔を見せる機会にもなりますので、よしとしなければ、、、。

2つの人形

芸術には疎い私ですが、絵画や陶磁器のスカルプチャーに興味があります。

芸術家から直接贈られたスカルプチャーを2つほど持っていますが、この2つの顔がとてもよく似ていることに気付き、最近、大変驚きました。

一つ目は、4半世紀近く前、附属高校から医学部への推薦が決まったとき、高校1年生のときの担任だった美術の先生に頂いたもの。

斜め掛けにした籠の中には、ネズミが。

高校に入学したとき、学年4クラスのうち半分が外部からの進学者で、その殆どが入学当初は医学部志望でした。学年から4名が医学部への推薦を受けることができますが、私は当時トップ4には程遠い成績でした。担任だった彼には、おそらく、私には医学部の推薦を受けることは無理だとわかっていたのだと思いますが、卒業するまで私を励まし続けてくれました。最終的に私はなんとか推薦を受けることができたのです。彼は、ヘビースモーカーの上、大酒飲み。卒業のときには、「先生、摂生してくださいね。」とお願いしました。医学部卒業を間近に控えたある日、彼の訃報が突然伝えられました。医師免許を取ったら挨拶にいこうと思っていた矢先のことでした。学校の自室で、吐血して倒れているところを発見されたのだそうです。おそらく、アルコールによる肝硬変から食道静脈瘤の破裂を来たしたのではないかと思われます。海の近い先生の自宅で行われたお通夜に行き、遺影の前で涙を流し手を合わせました。

「先生に生きていて欲しかった。」

この人形の丸くて優しい顔が、先生の人柄を現しています。医学部卒業してフレッシュマンで初めて地方へ出張したときから、沖縄勤務まで国内では連れ回し、とうとう、先生の人形はスウェーデンまでやってきました。この人形を見ると、先生のことを想い出します。幾度とない先生の励ましが、どれだけ力になったことか、、、。

2つ目の人形は最近戴いたもの。

私は、ストックホルム中心の市場の片隅にある魚料理のレストランが好きで常連と化しています。このレストランはいつも混んでいて、相席は当たり前。ある日、相席となった老夫婦と話が始まりました。いつもでしたら、その場だけで終わるのですが、何故かその老夫婦に気に入って頂いたようで、名刺を頂きました。名刺には「芸術家」との肩書きがあり、どうやらかなり有名な方のようでした。その際、私も名刺を差し上げましたが、その後連絡があり、自宅に招かれました。超高級住宅街であるDjursholmに、ストックホルム市庁舎を手掛けた建築家Ragnar Östbergにより建てられた一軒家にお住まいでした。

アトリエへ案内されましたが、あまりの迫力に圧倒され、涙さえ出てきそうなほどでした。

これらはほんの一部です。

彼は、ハンガリー人。ハンガリー革命の際に隠れた業務に携わっていた関係で、秘密警察に逮捕されて銃殺されそうになったのですが、ハンガリーの首相と知り合いだったということで、オーストリアまで移送され開放されました。その後、銃殺されたスウェーデンの首相、オロフ・パルメとの出会いがあり、彼の助言によりスウェーデンに住みついたということでした。そんな関係もあって、彼の作品には、哲学や政治思想などが色濃く出たものが沢山あります。

「Varför」とは、「何故」という意味。彼の頭の中には、常にその問いかけがあるのでしょう。

ハンガリー料理をご馳走になり、グリーンランドを描いたリトグラフを戴きました。

その後ふたたびランチで会ったときに、人形を。

彼のスカルプチャーには、人の顔以外に、手、鳥といったモチーフが良くあります。

今回、彼のポケットから出てきたのは、鳥。

単純な形だからこそ難しい、完璧なバランス。そして、丸くて優しい顔。

先生に貰ったあの人形と、同じ顔。

その顔が表現しているのは、「愛」かな、と思いました。

そして、その2つの人形は仲良くならんでいます。出会うはずのなかった人形達。

もう3月ですね

2月は、公私共にさまざまなことがあり、心身のコントロールが大変な時間を過ごしました。

大きな手術も沢山ありました。久し振りの骨盤内臓器全摘術は8時間にも及び、術後管理も難渋しています。気持ちが落ち込んでいるときは、忙しいくらいの方が良いのですが、体調が悪いときは、やはり忙しいときついですね。

とはいえ、気温は零度くらいまで上がってきていて、もしかすると春?という雰囲気もあります。しかし、湖はまだ凍っているし、雪も残っています。3月に大雪が降ることも珍しくありません。それでも、出勤時間に明るいのは、とても助かります。

先日会った20代女性の患者さん。虫垂炎の診断で手術をしましたが、実は虫垂癌でした。その後、再発をして、子宮全摘、両側卵巣全摘、結腸一部摘出となりました。自分で排尿することができないため泌尿器科受診となり、自己導尿をしています。膀胱鏡のため私の外来にきましたが、彼女の明るいことといったら。

沢山のコメントやメールをいただいた一つ前の記事では、不妊に悩む友人の話題を取り上げましたが、この患者さんの明るさと前向きな生き方に接すると、「不妊で悩むこと」や、「友人の思いやりに欠ける行動に傷付くこと」などが、とるに足らぬことに感じられてしまいました。彼女は、自分の子供を持つことは勿論、妊娠することもできません。それでも、こうやって前向きに生きている。彼女は、パートナーが付き添っての受診でした。大変な病歴は二人の問題となることを承知で、彼女を支えるパートナーがいる。きっと、彼女の人間的魅力のなせる業なのでしょう。自分が不幸だと思ったとき、自分よりも不幸な人が沢山いることは知っていても、自分の持っている幸せに感謝し、満足することは難しいものです。私を含めて。

しかし、このまだ20代の若さで苦難の道を歩んでいる彼女の明るい顔は、まさに電撃ショックのようで、私の中に強烈な感情が湧き上がってきました。私は何て未熟でちっぽけな人間なんだろう。彼女の生き様に対する感動と自己嫌悪とが混じり合って、涙がこぼれそうになりました。こんな出会いがあったことに、深く感謝します。

相手の心に寄り添って伝える

少し前の記事に対して、コメントだけでなくメールも頂きました。

少しでも多くの方に正しく理解していただきたいと考え、いま一度自分の考えをまとめてみたいと思います。長くなってしまうので、お疲れの方はスキップしてください。

毎日の仕事の中で、人間が学校などで習うことではなく、人それぞれの人生経験により培われた人生哲学が大事になることが多くあります。そのうちの一つが、「ものの伝え方」です。

医療従事者同士における情報伝達では、「正確な情報の伝達」こそが重要であり、どのように伝達するかは、むしろ、感情移入することなく、客観的な立場であることがプロとして大事なこと。しかし、対患者となると、事情は異なってきます。「正確な情報」が大事であるのは言うまでもありませんが、いかに「相手の心に寄り添って」表現するか。治癒の見込みのない癌患者さんであっても、わずかの希望は与えなければならない。「死期を悟る」という言葉があるように、医師から情報を得たのち、患者さん本人がもう少し時間をかけて悟るもの。そして、医師はその過程をサポートする。しかし、これは決して易しいものではなく、時間を要するものでもあります。この、決して「義務」ではない役目に対する考え方は、医師の哲学により大きく異なってきます。私自身は、父の末期癌闘病生活を通じて、予後が絶望的な患者であっても、医師のサポートにより、かなり精神的に救われるものだということを学びました。正しい情報を、思いやりのある伝え方によって伝え、そして、義務ではないけれど、どれだけの時間を患者さんに割くことができるか。知識、技術の優れた医師であることは当たり前として、これらの思いやりが医療における愛なのだと思っています。

思いやりのある「ものの伝え方」が大事であることは、無論、医療現場に留まるものではありません。言葉や文章で表現された情報が、人の心を傷付けることは日常茶飯事です。発信者こそが伝えられた情報に責任を負う義務があり、人を傷付けたなら、それを真摯に受け止めるべきです。

くだんの記事では、不妊治療で苦しんでいる友人Aに届いた、Aの友人である妊婦Bからの胎児の超音波画像について取り上げました。奇しくも、友人Aは数日前に流産してしまい、彼女の苦しみは計り知れないものがあり、心が痛みます。

そもそも友人AとBは、ブログを通じて知り合い、未だに面識がありません。そして、BはAが書いている不妊ブログにより、Aがいかに辛い状況にあるかを知っています。その中で、Bは自分のブログで妊娠の報告をする記事を書いています。Aはその記事を読むことで、Bの妊娠を知り、お祝いのメールを個人的に送っています。そしてBから送られてきた、複数の人間にあてたとみられる季節のご挨拶メール。妊娠の経過報告もあり、最後に胎児の写真。Aによると、Bは、「事実を隠さずに伝えることこそが友人への思いやり」であると。Bの言動にはいくつかの矛盾があります。友人であるならば、なぜ、最初の妊娠報告をブログという場でするのではなく、ブログに書く前に、個人的にAへ伝えなかったのでしょうか。そして、妊娠の報告は事実を隠さずに伝えることとして間違っていないけれど、胎児の写真を添付する必要性があったのでしょうか。そして、悲しいことは、Aが傷ついているにもかかわらず、議論を、「事実を隠さず伝えることの意義」にすりかえて自己弁護に終始しているのだそうです。傷付けようとする意思があっての行動であったとは思わないけれど、一人の人間を傷付けたのなら、どうしてそれを真摯に受け止められないのでしょうか。

医師として働いていると、患者さんの診断治療の流れが、王道どおりにいかないことがあります。わき道に反れたときは、それを修正しながら、目的とする方向へ向かいますが、そんなときには、ときとして、意思疎通に問題が起こることがあります。患者さんが怒ってしまったりすることもない訳ではありません。こちらに不備があることもあります。そんなときは、まっすぐに謝罪します。繰り返しになりますが、情報を伝えるものには、責任があります。患者さんが情報を理解できておらず、医師は患者さんが理解したと誤認していたとすれば、それは、適した情報発信ができていなかった医師の責任であり、反省すべきなのです。「理解してもらえないのは、情報を受け取ったその人の責任」とは言えません。

日本には心細やかな思いやりの文化があります。お中元やお歳暮の習慣もその一つであろうし、喪に服している人間へ年賀状の送付を慎むことも、その典型であると考えられます。しかし、どんなに相手を思いやる努力をしたとしても、それには限界があるのだということを認識することも大事です。癌の患者さんに、軽がるしく、「辛い気持ちは理解できる」などとは言ってはいけないと考えています。自分がその状況にならない限り、理解など到底できるものではないからです。不妊で悩んでいる友人も同じです。たかが不妊程度、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、本人にとっては、とてつもなく辛いものです。そんなことを考えると、相手の心に寄り添う努力は、いくらしてもしきれないくらいだなと思います。

以前の記事で、複数の批判コメントを頂いたことがありました。スウェーデンの大学で「あいうえお」を学ぶ日本人を例にとり、スウェーデンの高福祉に寄生する日本人の話題でしたが、その定義が曖昧であったため、他の目的がある方が、ひとくくりにされたくないという批判でした。私には、全くそのような意図はなかったのですが、個人のブログとはいえ、私の伝え方が適切でなかったため誤解を生んだのだと反省しました。決して易しいことではないけれど、思いやりのある素敵な表現ができるように、努力してゆきたいと思っています。

Mの学位審査

2月4日はMの学位審査でした。

Mのバックグラウンドは、生物学。約5年前にカロリンスカのPhD studentとして登録しました。カロリンスカのシステムでは、30ポイントの授業(フルタイムでおよそ半年分に当たります)を受講し、試験に合格することが義務付けられています。また、日本と異なり、学生は給料を貰いながら研究するため、給料を払える能力のある指導教官を見つけ、合意に至らなければなりません。以前は、場合によっては10年近く学位取得までにかかることがあったのですが、現在では、原則4年程度という規定となっています。中間点で、ハーフタイムという中間審査がありますが、これ以降は、指導教官は学生の社会保障費を国に支払わなければならないため、30%以上の余分な人件費がかかることとなるため、ハーフタイムは中間点というより、少し遅れて行われることが多いようです。学位審査を受ける条件は、正式には、1999年に出されたBologna declarationに準じており、論文数については規定がありません。しかし、カロリンスカでは実務上は、出版された論文があって、しかも、当該学生が筆頭筆者であるものが最低1件あること、その他に1件の論文かマニュスクリプトがあることが、暗黙上の条件となっているようです。しかし、実際には、例えば、最も権威のある雑誌、「Cell」にshared first author(筆頭著者だが、筆頭著者が複数いる場合)の論文が1編という場合でも、論文数が少ないなどの理由で学位審査委員会で揉めることもあります。

Mの場合、

Proc Natl Acad Sci USAと、EMBO Jというトップジャーナルに論文があり、Proc Natl Acad Sci USAではshared first authorとなっているため、審査の条件は十分にクリアーしています。

そして、学位審査用に彼女が書いた冊子がこちら。

Introduction、Aims、Results and discussion、General conclusions、Acknowledgemens、Referencesで56ページ、これに、各論文が続いて、一冊の本となります。

とにかく、気が遠くなるほどの仕事量です。

それに対して、日本の医学博士はピンキリ。ある私立医大では、卒業生の殆どが開業医となります(もともと、開業医の子弟が入学するのですが)。開業医をするのに、研究生活の経験が必要だとは思いませんが、開業医として、「学位証明書」を診察室に飾ることは、大事であるようです。そんな大学はたいてい、「東大系列」などといって、一流大学の系列となっていることが少なくなく、教授、講師陣が外からやってくることが多い。そんな場合、講師陣が学位の下請けをして、数百万円の謝礼を受けるということも行われることがあるようです。もともと、授業料だけで5000万円近く、寄付金をあわせると6年間で1億円近くのお金をかけて医師となるのですから、数百万円で学位が取れるなら安いものなのでしょうけれど、そんな学位と、PhDが同列にされることは、納得がいきません。私の母校は当時は学費も安くて、普通のサラリーマン家庭の子弟が沢山いました。母校の前教授は、「学位は足の裏についた米粒みたいなものだ。取っても食えないが、取らないと気分が悪い。」などとのたまわっていましたが、実際は米粒を取るように簡単なものではありませんでした。私が学位を取ったときには、臨床が一区切りする夜の7時ごろから実験を始め、オールナイトになることもしばしばあり、結構大変でした。臨床家としても、研究に携わり、研究者としての視点や考え方を学ぶことは大事だと思いますが、タイトルを取るためだけなら無意味。とはいえ、教授になるためには学位取得は当たり前であり、カロリンスカでも、上級指導医(överläkare)となるためには、学位がなければいけません。とても優秀な外科医で研究者でもあるスイス人の同僚は、スイスではドイツ方式で、学位というシステムがないため(博士号を取るためには、マスターからやりなおさなければならないらしい)、överläkareになることができず、最近、母国へ帰る決意をしたということもありました。どこでも、ヒエラルキーの上を目指すのは、大変な訳です。

話をMの学位審査に戻します。

9時半より、まず、opponentの講演が15分くらいあります。続いて、Mが30分ほどの発表。そして、2時間近くに渡る質疑応答。前半はopponentが全ての論文の図表について細かく質問。後半は審査委員からの質問。

前の記事で、「BUT」を言わないように、と勇気を出して注意しましたが、なんと、Mは一回も「BUT」を口にしませんでした。練習のときより格段に良い発表でした。嬉しかった。

その後、別室で、審査委員とopponent、そして、指導教官、私は副指導教官として、判定会議に出席しました。勿論、文句なしの合格。

Mとラボの仲間達は、ラボの一室で軽食を食べながら結果発表を待ちます。そこへ我々が登場。審査委員長からの発表が。

そして、合格が告げられると、シャンパンを開けて乾杯です。

そして、同じ日の夜、場所を移して祝賀パーテイー。およそ70人が集まりました。

トーストマスターは同じラボのイタリア人のPhD studentと、Mの学生時代の友人。

本人や指導教官は勿論のこと、友人や家族のスピーチもあり、盛り上がりました。

中でも圧巻だったのが、同じラボのメンバーのスピーチ。

左から、アルゼンチン人、フランス人、中国人、イタリア人。

良い仲間を持つのは、幸せなことですね。

最後に20分にも及ぶ、恒例の映画上映。これも同僚による作成。本人は泣きそうになっていました。

研究者はこれからが本番です。頑張ってほしい。

大学における教授法についてのコース

現在、大学での学生への教育法についてのコースに出席しています。

参加者は26名。医師、歯科医師、看護師、作業療法士、研究者など、大学で教える立場にある人達が参加しています。純粋に教育に興味がある人もいれば、自分のキャリアのために必要な単位だから取っている人もいて、興味の度合いは人それぞれ。

教科書は、「Universitetspedagogik」。

講義とグループデイスカッションが主なのですが、普段使わない抽象的な単語が沢山出てきて、私にはかなり荷が重い。スウェーデン語を母国語としないのは私くらいです。英語のコースを取れば良かったかなと、かなり後悔しています。

講義をデザインするときに、最も大事なことは、「学習目標」を明らかとすること。何がどうして大事であるのかをはっきりさせなければなりません。学生のレベルを早い時点で見極め、レベルにあわせた授業内容としなければならない。学生とのコミュニケーションを取るにはどうしたらよいか。学生の理解が、「表面的」だけでなく、「より深い」ものとするには、どうしたら良いのか。

学生の進路には、「アカデミック」と「ノン・アカデミック」とがあります。アカデミックとは、教育・研究を伴った活動のこと。医師でもそうです。割合からすれば、「アカデミック」に属する医師はマイノリテイーですが、権威は「アカデミック」にどうしても付随するもの。「ノン・アカデミック」が進路であれば、学生の大学での目標は、究極のところ、「試験に合格する」というレベルで良いことになります。「暗記」だけで終わるのか、「深い理解」の試みをするのか。こんなことも、グループデイスカッションします。「暗記」だけで終わるような学習の仕方は、文化とも深い関わりがあって、それはアジア諸国に顕著だという記述が、既に教科書にもあり、それを日本の問題点として捉えていた私にとっては、とても印象深いものでした。

これまで、カロリンスカ医科大学でも、医学生や大学院生、留学生などの指導をしてきました。

奇しくも、2月に入って、私が指導教官であった大学院生が学位審査に合格しました。彼女が大学院生となった当初は、論文のプレゼンテーションもできないし、発表は原稿がないといけないという状況。しかも、性格的に、「bad loser」なのです。自分の非を認めない、謝罪できない人がいますね。これは本当に厄介です。自分をどうにかして正当化しようとしてきますが、相手にする方も厭になります。医師の後輩にもいます。医師の知識や臨床感覚は、どうしても経験値、つまり、勤務年数抜きには語れないところがありますが、先輩の言葉が素直に聞けない人がいます。まずは、先輩の言葉には耳を傾けるべきでなのですが、それができない人の指導は難しいものです。外科医の世界は特に。学問の世界では、優秀であり、自信がある人ほど、loserとなることを怖れないものだと理解しています。私も駆け出しの医師であったころは、「○○を知らない」と認めることが難しかった。しかし、専門医としても長い経験がある今は、「知らない」ということがそれほど恐くなくなりました(勿論、知らなくても許される分野についての質問に対してですが)。

「bad loser」は悪いことばかりではありません。例えば、世界のトップアスリートなどは、漏れなく「bad loser」だと思います。だからこそ、負けたときの悔しさをリベンジしようとすることで、次のステップがあるのです。脱線しましたが、大学院生の彼女Mが学位審査を受ける前に、「grillning」という機会を設けます。要は、「焼く。バーベキューする。」から転じて、本番同様の発表をしてもらい、厳しい質問や批評をする会のことです。彼女の最後のgrillningは3時間余りとなり、私もかなり虐めましたが、「negative feedback」をする、つまり、「批判」をするのは、かなり難しい。心配りが必要です。知識不足や、パワーポイントの不備などについては、簡単に指摘できますが、批判が難しい場合も稀ではない。目的はあくまでも、「向上」であって、「恥をかかせること」ではないのです。Mの場合、発表や質疑応答を貫くトーンが常にネガテイブで、これを何とかしたかった。ある問題点に気付いたのですが、それを指摘するかどうか随分悩みました。悩んだ挙句、比較的適したチャンスを見つけてコメントしました。

「あなたが質問に答えるとき、必ず「BUT」で始めるのよね。「BUT」で始めると、印象がネガテイブになるから、「BUT」を省くか、究極、「YES」に変えたらどうかしら。」

これに対しMは、

「BUT,,,,」

と応答し、一同大笑い。場も和んで救われました。

Abraham Lincolnの言葉にこんなものがあります。

「He has a right to criticize who has a heart to help.」

批判するだけで、助ける心が無いのであれば、批判する資格がない。逆に訳すとそういうことになります。

大学病院という、教育の場で働く私が、常に考えていることです。医者は一生発展途上。批判してくれる同僚には、感謝します。良薬は口に苦しですが、批判する方も辛い。批判せずに流す方がずっと楽なのです。そして、これは、人生に通じるもの。

今回は、「negative feedback」つまり「批判」について書きましたが、それと同じように大事なことは、「positiv feedback」、つまり「賞賛」。日本人は比較的これが下手だと言われていますね。職場だけでなく、子育て、夫婦、友達との関係でも、「褒めること」は、非常に大事だと考えています。

次のエントリーでは、カロリンスカでのPhD取得と、Mの学位審査について書いてみたいと思います。

駟不及舌:駟も舌に及ばず

駟不及舌とは、「駟も舌に及ばず」と読む論語から出た四字熟語です。

最も速い四頭立ての馬車で追いかけても、舌の速さには及ばない。つまり、一回口から出た失言は、どうしても取り返しがつかないことを言います。

「ペンは剣よりも強し」とはイギリスの劇作家で政治家、ブルワー・リットンの戯曲「リシュリュー」の中に出てくる言葉ですが、福澤諭吉が言ったと誤解されることが多いようです。慶應義塾のペンの校章が原因で誤解されているのかもしれません。

いずれにしても、言葉の持つ力は大きく、毎日の様々な場面で発する言葉には心を配らないと、誤解されたり、人を傷つけたりしてしまいます。

医療従事者としてだけでなく、人間としても大切なのが、Empathy(共感)やSympathy(思いやり)だと常々考え、言葉の選び方やひいては振る舞いにも、出来る限り気を配るようにしています。

「駟も舌に及ばず」の時代には存在しなかった、Eメール。Eメールを出すときには、特別の注意が必要だと思います。大切なメールの場合は、必ず最低一晩寝かせて、翌日推敲し直してから送り出すようにしています。何と言ってもワンクリックで大失敗をして後悔するということになりかねません。内容だけでなく宛先で、「BCC」として送付すべきところを、「CC」として送付して不興を買うこともあります。

相手の立場に立って思いやりのあるメッセージを送ることは、ときとして非常に難しいことがあります。日本でもスウェーデンでもあることですが、不妊治療に苦しんでいる女性が赤ちゃんを見ることにストレスを感じる現象は珍しくありません。日本では、毎年、お正月に子供の写真の入った年賀状を見たくない人も多いようです。私自身も不妊治療を経験したことがありますが、子供の写真の入った年賀状はどちらかというと楽しみであり(家族の集合写真であればもっと楽しみ)、おめでたのニュースも(ほんの少し胸が痛くなることがありますが)、素直に喜ぶことができます。しかし、最近、不妊治療に苦しんでいる友人がこんな話を。

「妊娠中の友人から新年の挨拶がメールで送られてきたのだけれど、胎児の超音波写真が添付されていた。彼女は私が不妊治療をしていることを知っているので、ショックだった。」

私は言葉を失いました。生後の赤ちゃんであれば、通常の生活で普通に目にするもの。しかし、胎児の超音波写真は望まなければ目に触れることはまずありません。赤ちゃんの写真を拒絶する不妊症の女性を(気持ちは理解できるので、私が写真を送るようなことはしない)支持しようとは思わないけれど、不妊治療で苦しんでいる人間に、わざわざ胎児の写真を送るのは何でもやりすぎだと思いました。妊娠ブログなどで胎児の超音波写真を載せている人はいますが、ブログは個人のもので、何を書いても掲載しても原則自由、見たくなければ見なければ良いのですが、強制的に送られてくるメールではその意味が全く異なります。今回の場合、彼女が抱えている問題を知っている状況ですから、配慮に欠けていると言わざるをえません。友人が不妊症で苦しんでいるから、妊娠の事実を隠すことは、逆に友達甲斐がないと思います。でも、超音波の写真を送る必要があるのだろうか、、、。

「多分、お友達は深く考えなかったのだろうけれど、ちょっと思いやりがない行動だね。」

と慰めました。

不妊治療で子供を授かった林真理子さん。私は特に彼女のファンでもなかったのですが、彼女が自分の子供について語らない理由をあるとき知って、感心してしまいました。不妊治療の辛さを知ったからこそ、治療に成功したその後の話はしたくないのだそう。勿論、世の中には治療に成功する人ばかりではないから。タフなイメージの強かった林真理子さんですが、思いやりがあって素敵な人なのではと思うようになりました。彼女であれば、「子育て日記」にも興味を持つ人が沢山いるはずなのに、、、。

「駟も舌に及ばず」。そして、放たれた言葉は、「剣よりも強し」。

発言や行動には気をつけ、思いやりの心を忘れず、人の心の痛みを理解できる人間でいたいと思います。

厳寒のダーラナ

昨年のクリスマスには、ダーラナへ招かれていたので、行ってきました。

その時期、スウェーデン中で大雪。ストックホルムから車で北上したのですが、大変な道のりでした。

大型の除雪車が2台ペアで走行しています。

除雪車の前部がこんな感じになっています。

除雪車の後方につこうものなら、前方の視界が数メートルとなり、おそろしい限り。

そんな道を抜け、シリア湖が一望できる高台へ。夏のシリア湖も美しいのですが、冬の方が美しいと思いました。

言葉にできない静寂な美しさです。零下30度。

冬も泊まれるサマーハウスに宿泊。何とも幻想的。満天の星。

暖房に加え、暖炉で部屋をあたためます。薪の燃える音とともに、何とも平和な時間が流れます。

翌日、窓からは一面の雪景色。

生憎、雪混じりの曇り空ですが、お散歩へ。気温は零下27度。サマーハウスの向こうに見える湖も一面雪で覆われています。

窓辺にクリスマスの照明を飾っている、可愛らしいお家。

雪の結晶。自然って何と美しいのでしょう!

大自然の中にいると、心が癒されます。

厳寒のダーラナでのつかの間のクリスマス休日でした。

ご無沙汰しています

早いもので、新しい年となって数週間が経ちました。

年末は、おそらく肺炎で、1週間病欠し、結局2週間ほど床に伏していました。

症状があまり良くならないので、病院に行って胸部レントゲン写真撮影と、血液検査をしようと思ったくらいでした。

40代の知人も、風邪から肺炎となり、呼吸器管理となったようで、高齢者でなくても、命に関わるような肺炎に罹患する人が多くなっているような気がします。私の場合、初期は無理をして働いて重症化してしまいました。日本では38度くらいの発熱なら、解熱剤を飲んで働いていましたし、風邪で欠勤するなんて考えられませんでした。まさに「医者の不養生」です。

これからぼちぼち、年末年始のことも綴ってゆこうと思っております。

遅ればせながら、今年もよろしくお願いいたします。

悲しくも美しい夫婦愛

スウェーデンでは、終末期に入った患者さんは、大学病院からは退院していただき、ホスピスや在宅医療での治療となります。

「この人とは、もう二度と会えないだろうな」と思いながら、患者さんとさよならをするのは、辛いものです。

今年、恥もなく涙をこぼした患者さんの話題といえば、間違いなく、「悲しくも美しい夫婦愛」を見せてくれた彼。

彼は膀胱癌を患った70代の男性。数年前から、他の癌の治療や、心・血管系の疾患での大きな治療を繰り返してきました。運の悪いことに、膀胱癌も発見時から非常に進行した状態。抗癌化学療法を施行してから、膀胱全摘となりました。今回は、消化管と尿路の瘻孔形成の症状で入院。入院時の検査で多発性の肝転移が。通常であれば、それほど高齢でもないこのような患者さんに対しては、腎機能更なる抗癌化学療法が行われるのですが、手術前に既に抗癌化学療法が行われているにもかかわらずの再発ということで、再発癌には化学療法が無効であろうと推測されます。こんな場合、日本では他に治療法がないこともあって、無効であっても化学療法が施行され、患者さんは結局、退院もできないまま亡くなることも多いのですが、スウェーデンでは非情なまでに意思決定がはっきりしています。日本で泌尿器科癌に抗癌剤治療をするのは泌尿器科医ですが、スウェーデンでは腫瘍専門医。しかも、泌尿器科腫瘍の専門家です。この患者さんのケースも、治療カンファレンスで話し合いがなされ、いとも簡単に「無治療」という決断が下されました。また、消化管との瘻孔も、腹膜炎症状もなく、限局性ということで、現疾患が無治療であれば、こちらも無治療という外科の決断。これも、日本ではありえないことです。

以前の記事でも述べましたが、彼のようにまだ元気であっても、予後が非常に悪く、保存的治療以外の方法がない場合は、比較的早い時期から、「治療制限」についての決断をすることが奨励されています。泌尿器科のように、当直医がおらずオンコールのみの場合は、急変時に処置をするのは、急変時に対応する医療チーム(Mobila intensivvårdsgruppen、通称MIGチーム)ですが、治療制限の決定がなされている場合、その内容により診察もせず無処置とすることも可能になります。MIGチームは、小さな荷台に医療機器や薬剤を積んで、通常、緊急コールがあってから数分以内に到着し処置を行う特別な医師・看護師チームで、日中であってもときどきお世話になることがあります。

治療の制限の決定がなされると、コンピュータ上にある書式に記入します。

例えば、こんな感じです。これは、新たな治療行為開始の制限。

MIGチームの要請、集中治療室への入室、心肺蘇生、ペースメーカー、挿管を伴う呼吸管理、挿管を伴わない呼吸管理、透析、手術、放射線治療、輸血、酸素吸入、昇圧剤、抗生剤、抗癌剤、栄養、輸液がチェックリストに挙げられており、施行しないと決断されたものにチェックをするようになっています。

続いて、一度開始された治療を中止する場合のチェックリストもあります。

Beslut har tagits efter samrådmed(この決断は以下の人間の同意により下された):

Patienten(患者)、Närstående(患者家族)、Ansvarig läkare på hemklinik(該当科の担当医)、Ansvarig läkare på intensivvårdsläkare(集中治療室の担当医)

とあるように、この決断を下すのは、患者さんや家族の同意がなくとも可能。これも日本では考えられません。


彼に残された時間は、おそらく長くて数ヶ月。彼は、現実を全て理解し、受け入れていました。私が、「治療制限」についての話をしたときも、動揺を見せずに、静かに言いました。

「私に残された時間が短いことはわかっている。不必要な治療は勿論受けたくない。」

続けて、ホスピスなどへの転院の話をすると、

「私は家に帰りたい。私には、癌を患った妻がいる。彼女は長いこと闘病生活をしていて、私が家で彼女の面倒をみてきたから、早く帰らないと。」

スウェーデンでの在宅医療は非常に進んでいて、ASIH(avancerad sjukvård i hemme、高度在宅医療)という24時間体制のシステムが、居住区毎にあります。中には、必要に応じて入院できるベッドを持っているところも。医師、看護師ばかりでなく、理学療養士、社会福祉士、栄養士なども働いています。中心静脈栄養の管理は勿論、手術創や褥創の管理もしてくれます。カルテも、大学病院と共有する電子カルテを使っているところもあり、大学病院の担当医とコミュニケーションを取る場合も便利です。

肝転移によると考えられる腹水貯留も始まり、呼吸も苦しそうになってきた彼には、ホスピス転院が適当と考えられましたが、彼の妻の面倒を家でみるという意思は固く、ASIHにお世話になることにしました。

彼が言います。

「どうしてもこの週末までに退院させてください。」

週末まであまり日がなく、ASIHの審査や準備を考えると、かなり厳しい日程なのですが、どういう理由か、絶対に退院すると言います。

普段から、彼の人柄、そして、真摯に死と、自分の運命と向き合う姿に感銘を受けていた私達医療チームは何とか全ての手続きが間に合って、彼の希望が叶うように頑張りましたが、結局、ASIHは、週明けからということになりました。しかし、退院はその前の週末で、週末は夫婦二人で乗り切るということになりました。腹水、呼吸困難の彼がどうやって病床の妻を面倒みるのか、、、。

退院当日、看護師さんが涙目で私のところへやってきました。

「彼、病院のお花屋さんで、花束を買ってきて欲しいのですって。先生、何故だかわかる?今日、奥さんとの50回目の結婚記念日なんですって。」

そして、

「Vilken fin människor han är!」(なんて美しい人間なんでしょう!)

と彼女はつぶやきました。

それに対して、私は思わず、

「50回目の、そして最後の結婚記念日」

とつぶやいて、二人で涙をこぼしました。

「先生、彼は奥さんと最後のクリスマスを過ごしたいって言っていたけど、大丈夫かしら。}

「多分、それまではもたないと思う。」

というような会話をしたと思います。

私は、彼に最後のさよならが言いたかったけれど、他の仕事があって、それは叶いませんでした。

彼は、花束を手に車椅子で退院していったそうです。

数週間後、同じ看護師さんがやってきました。

「先生、知ってる?彼、亡くなったって。でも、結婚記念日が祝えて良かったね。」

そんなに早いとは、思っていませんでした。カルテをチェックしたら、退院してから、およそ1週間後の死でした。手続きのために入院を延長させなくて良かった、と思いました。

それから程なくして、彼の妻も亡くなったと聞きました。

私はそのとき思いました。

「彼らは天国で再び出会って、クリスマスを一緒に祝うに違いない。」

平均より少し短い人生だったけれど、それだけ想い合える相手とめぐり合い、50年を共にできて、幸せだったに違いありません。今、思い出しても、涙がこぼれる、「悲しくも美しい夫婦愛」の話です。

クリスマスは、スウェーデン人にとって、家族にとって、特別な日。

God Jul、Merry Christmas!!!


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