泌尿器科の患者さんではないが、ある癌が腹腔内に再発し、尿管を圧迫したため水腎症を来たし、その腎臓を救うために、腎瘻(腎臓へ直接カテーテルを挿入する)を入れた患者さんがいた。その患者さんが、最近、腹腔内大出血を起こし、血管造影による塞栓術を行った。
腹腔内の巨大血腫によりカテーテルが偏移したのか、カテーテル内の尿の流れが悪くなり、CTでは、カテーテルの先が腎盂外にあるということだった。そんな場合、カテーテルを操作して正しい位置(腎盂内)に戻すことは難しいと最初の判断がなされ、膀胱からWJカテーテル(留置用の尿管ステント)を挿入しようということになり、私にご指名となったのだが、大量出血後の血小板減少に対応するために輸血などをしている間に、腎瘻から尿が流れるようになった。そのため、腎瘻造影をして、可能であれば腎瘻の位置をガイドワイヤーを使って腎盂へ戻す試みをする価値があるのではないかと考え、放射線科へ依頼した。その結果を待って、修正が不可能であれば、緊急にステントを入れる予定にしていた。
放射線依頼表は、コンピューター上で作成、送付されるが、緊急事態のため、勤務時間外であったが、私に直接結果を知らせてもらえるように、個人の携帯番号を記入しておいた。電話がかかってきたので出ると、
「あなたねー、何で、こんな検査を依頼するの!?」
と怒りに震えた声が聞こえた。
あまりのことにすぐに返答できずにいると、
「CTでカテーテルは腎盂の外にあるのは確実だってわかってるでしょ!それ以上、何をしたい訳!?」
少し正気を取り戻した私は、
「カテーテルから尿が出ているので、造影をしてもらって、可能であればカテーテルの位置を修正して欲しい。」
と伝えたところ、
「CTで腎盂の外にあるんだから、無駄でしょ!」
と怒鳴られたが、食い下がり、
「しかし、CTでも、カテーテルが完全に腎臓の外にあるとは言えないと思う。」
と言ったら、さらに相手の怒りが増幅したらしく、
「私はあなたより、ずっと経験があるんだ!外だといったら外だ!」
というので、
「とにかく、造影をしてください。」
と言ったら、
「血腫に造影剤を注入しろというのか!」
「尿が出ているということは、腎盂が写ってくるかもしれないから。」
「造影剤を注入して、腎臓の外だということがわかれば満足か!?」
「満足です!」
というと、彼は、何も言わずにがちゃんと電話を切った。
「Fy Fan!!! Vilken otrevlig läkare!!!」(Shit!!! 何て厭な医者!)
と同僚にこぼした。
同僚は私に、överläkare(指導医)のポジションを得たかどうか訪ねた。残念ながら、私はまだ専門医である。
スウェーデンでは、良く、ヒエラルキーがないと言われるが、これは全くの嘘である。
表面上は、いかにも、ヒエラルキーを嫌っているように振舞っているが、実際は、はっきりとしたヒエラルキーがある。医師の中では、
AT läkare(研修医、厳密には、医師免許を持っていない)
ST läkare(専修医)
Specialistläkare(専門医)
Biträdande överläkare(Böl、代替指導医)
Överläkare(Öl、指導医)
という階級があり、胸に着けるバッチにも、名前とともに、はっきりタイトルを表示する。
ATは日本で言う研修医に相当し、18ヶ月の研修を行う。STは5年程度の研修であるが、その後審査により、専門医となる。日本と同様であるが、専門医となったとしても、実際は独り立ちが出来るレベルではない。Bölになるには、カロリンスカでは、最低専門医として3年は勤務しなければならない。Ölになるためには、学位がなくてはいけない。
この階級の他に、アカデミックな階級として、
Docent(准教授)
Professor(教授)
というタイトルがある。臨床科では、教授の枠が1つか2つくらいしかないので、臨床医としては、「Docent、Öl」というタイトルが得られれば、大成功といったところか。
ヒエラルキーが強力だと言われる日本では、タイトルに関わらず、「医師」と表示する医療機関が多いと思うが、スウェーデンでははっきりとタイトルを表示する。このことからも、スウェーデンにヒエラルキーがないというのは嘘であるということが明らかである。実際、患者さんはこのバッチを確認する人が多いし、他科の医師や看護師も、このバッチをみて、タイトルによって態度を変えることは、日常茶飯事である。私も、ただの医師から専門医になったときには、対応の違いに驚いたものだった。(名前も外見も移民で、女性で、スウェーデン語もnativeではない訳だから、患者さんが不安になるのは理解できる、、、。)
脱線が長くなったが、同僚が私にÖl(Böl)のタイトルがあるかどうか訪ねたのは、こんな背景があるからである。彼は最近Bölになったのだが、それ以降、厭な対応をされることが少なくなったとか。
「でも、スウェーデンではヒエラルキーは汚いものって考えられているでしょ?」
「それはそうなんだけど、ヒエラルキーはあるよ。」
少なくとも、私が知る限り、スウェーデンでは、ヒエラルキーは悪だと、表面上言いながら、実際は明らかなヒエラルキーが存在し、都合の良いところでは、ヒエラルキーは無いという。例えば、ヒエラルキーの頂点に立つ人が責任回避をするために「ヒエラルキーは無い」ことを利用するようなことがある。この点は、日本の方がまだましであると思っている。
この日の最悪な経験には、実は続きがある。
その後、私は別件で携帯で通話をしていた。その通話を終えると、一件の留守番メッセージが。
それは、例の医者からだった。
「私は、放射線科のxxです。先ほどの失礼な会話をお許しください。全く必要がなく、無分別でした。患者さんの腎瘻の位置を修正できました。本当にごめんなさい。」
いやはや、驚いた。そして、とても嬉しくなった。まず、患者さんにとっては、侵襲の少ない方法で、腎臓を救うことができて良かった。そして、スウェーデンのヒエラルキーの中で、平の専門医、移民、女性という三重苦の中で、厭な経験もしてきたが、今回のこの医者が、素直に自分の非を認めて、謝罪してくれた、ということで、やはり、「性善説」を信じ続けてゆこうという気持ちにさせてくれた。彼の態度は、ひどいものであったが、非を認めて謝罪するということは、非常に痛みを伴うことであり、決して易しいものではない。それを潔くした彼のことは評価するべきである。彼は、個人の携帯から電話をしてきたため、すぐに、メッセージを送った。
「Tack för ditt meddelande. Jag blev ledsen efter vårt samtal men jag blev jätteglad med ditt meddelande. Dessutom var det jättebra för patienten. Bra jobbat! Tack igen och trevlig kväll!」(メッセージありがとうございます。あの通話で、悲しくなったけれど、あなたのメッセージでとても嬉しくなりました。そして、患者さんにとってはとても良かった。ありがとう、そして、良い晩を。)
最悪の経験だと思ったことが、素敵な結末となって、とても嬉しかった。
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